新しい家族
◆晃矢視点
あの日から、乃亜ちゃんは本当に細くなった気がする。元々華奢で、細すぎるくらいだったのに今はもう…見てられない。
食事中は微笑もうとしてるけど、ふとした拍子に黙り込む。湯気の立つ味噌汁の向こう側、俯いたまま手を止める姿に胸が痛んだ。
葬儀が終わった夜、母さんが「乃亜ちゃん、これからはうちに住みなさい」と優しく言った時、乃亜ちゃんは少しだけ戸惑って、それから静かにうなずいた。
正式に住むってことになったけど、血が繋がってるわけでも、法的に家族になったわけでもない。
でも俺にとっては——いや、たぶん弟たちにとっても、乃亜ちゃんはもう“うちの子”なんだ。
だからこそ、守りたくなる。
「部屋、もっと乃亜ちゃん仕様にしなきゃな」とか冗談めかして言ったら、ちょっとだけ笑ってくれた。
…よかった。少しでも、笑えてる。
まだ時間はかかるだろう。けど、俺たちがそばにいるってこと、毎日ちゃんと伝えていこう。乃亜ちゃんが一人じゃないって、絶対にわかるように。
◆大雅視点
乃亜が「ここに住むことになった」って言った時、少しだけ安堵した。
でもその瞳の奥に、まだ拭いきれない寂しさが見えて…なんか、やるせなかった。
乃亜は俺たちのこと「梓さんの子どもだから」って気を遣ってるのがわかる。
部屋に入るときも、「失礼します」って言ったり、洗濯物たたむの手伝おうとしたり。そういうところ、やっぱり健気で、泣きたくなるくらいピュアなんだ。
でも、そんなふうに無理して気を張らなくていい。
俺たちは、乃亜のこと“家族”として見てる…それ以上かもしれないけど。
「今日からは、乃亜がうちの姫だな」って言ったら、耳まで真っ赤になってた。からかったつもりだったのに、あんな顔されたら、まじで抱きしめたくなるだろ。
もっと、笑える日が増えたらいい。
俺にできること、全部してやるよ、乃亜。
◆伊織視点
「乃亜ちゃんが…今日から、正式に住むことになったの」
母さんが言ったその言葉を聞いた瞬間、胸がぎゅっとなった。嬉しいような、でもすごく切ない気持ちでいっぱいになった。
乃亜は笑ってた。けど、その笑顔の奥にある悲しみは、俺にはちゃんと見える。
「一緒に住むってことは、毎日ずっとそばにいられるんだよな」
そう思うとすごく嬉しい。でも、ただそれだけじゃない。
守らなきゃ、って思った。もう二度と、乃亜が一人で泣くことのないように。
俺の部屋の前を通るたびに、つい顔をのぞきたくなる。小さな声で名前を呼んで、ちゃんと眠れてるか確認したくなる。
本当の家族じゃないかもしれない。
でも、俺にとって乃亜は、誰より大切な存在だ。
「乃亜はもう、俺の心の中の一番深いとこにいるんだよ」って、言葉にはできないけど、ずっとそう思ってる。
これからは、そばにいるだけじゃ足りないくらい、いっぱいの想いで、乃亜を支えていきたい。
家の匂いが、少しずつなじんでくる。
お風呂上がりの柔軟剤の香り、キッチンから漂うお味噌汁の香り、笑い声の混じったテレビの音——全部が、まだ少しだけ他人の家みたいで、でもほんの少し「ここにいていいのかもしれない」って思わせてくれる。
「乃亜〜、こっち座りなよ。ここ、俺のとなり」
伊織くんが空いた席をぽんぽんと叩いて笑う。
「ちょ、おまえさっきも隣だっただろ」
大雅くんがすぐに突っ込むけど、なんだかそのやり取りに救われた。
私が座ると、伊織くんがそっとお椀を近くに寄せてくれて、さりげなく気を配ってくれるのが嬉しい。…でもなんだか、少しだけくすぐったくもある。
「乃亜ちゃん、うちのごはん合う? ほら、もっと食べな」
晃矢くんはいつものように穏やかに、でもちょっと兄っぽく微笑んでくれる。
「うん…すごくおいしいです」
そう答えた声は、少し震えていたかもしれない。
……ううん、震えてた。
笑顔で答えたつもりだったけど、箸を持つ手がぴたりと止まる。
ふと、思い出してしまった。
…両親と一緒に食べた、最後の夕食のこと。
唐突にこみ上げるものが喉の奥につかえて、口の中に広がったご飯の味が、なんだか遠くに霞んでいく。
…やだ、泣いちゃだめ。今は…今は楽しい時間なのに…。
「……乃亜」
ふいに隣の伊織くんが小さな声で呼んで、私の手をそっと握った。
その温もりに、涙がこぼれそうになる。けど、それでもまだ笑いたくて、唇をかんで無理やり笑顔を作る。
「大丈夫、です……うん。ありがとう」
それでも、晃矢くんと大雅くんもすぐ気付いてくれて、そっと私の話題を逸らしてくれた。
「なぁ、明日の部活どうする?」
「俺らさ、乃亜のためにスイーツ買ってきたんだぜ?」
そんなふうに、わざとらしいくらい優しくて、からかい混じりで…でも、すごく、あったかい。
胸がいっぱいで、ご飯が喉を通らなくなるくらい、私は今、幸せと悲しさの境界で揺れていた。
部屋に戻って、一人になると、静寂が急に重くのしかかってくる。
どれだけ笑っても、どれだけ優しくされても、ぽっかり空いた穴は埋まらない。
でも——。
スマホに、ぽん、とメッセージが届いた。
【伊織くん】:ちゃんと眠れそう?
【大雅くん】:無理しなくていいぞ。
【晃矢くん】:もし辛かったら、いつでも呼んで。
涙が、止まらなかった。
……ひとりぼっちじゃないんだ。もう、全部なくしたわけじゃない。
私は、小さく声を漏らしながら、枕に顔を埋めた。
たくさん泣いて、そして少しずつ、新しい「家族の形」に慣れていこうって、そう思えた夜だった。
◆ 翌朝のリビング ― 乃亜視点
「……おはようございます」
朝の光が差し込むリビングに入ると、すでにテーブルには朝食が並べられていた。
「おっ、乃亜、おはよー。よく寝れた?」
大雅くんがトーストをかじりながら笑って声をかけてくれる。
その向かいには晃矢くん、キッチンでは伊織くんがジャムを塗っていた。
「う、うん……おかげさまで、ぐっすり」
(ぐっすり、って……。昨日のあのこと、思い出しちゃう)
伊織くんの肩に頭を預けて、あんなに甘えて――
思い出すだけで顔が熱くなって、思わずうつむく。
「……なんでそんなに顔赤いの?」
唐突に大雅くんがツッコんできた。
「え!? べ、別に、何も……っ!」
「ふ〜ん? もしかして〜」
大雅くんがニヤニヤしながら、視線で伊織くんを見る。
すると晃矢くんが、ゆっくり新聞を置いて、口角を上げた。
「……なるほどな。昨夜、伊織が“そばにいてやる”とか言った感じか」
「晃矢にい!?!?」
伊織くんが急に顔を真っ赤にして、ジャムナイフを手に固まった。
「うわ、まじで!? そういうやつ!? おまえ、しっかり抱きしめてた感じじゃないの~?」
「ち、違うし! 頭を預けてきただけで! べつにそんなんじゃっ……!」
伊織くんの慌てた声に、私はとうとう耐えられなくなって――
「う、うわぁあああ! 忘れてくださいー!!」
思わず両手で顔を隠した。
「……乃亜ちゃん、かわいすぎるな」
晃矢くんの低くてからかうような声が、静かに響いた。
「……末っ子ばっか、いい思いしてんな〜〜」
大雅くんが伸びをしながらふざけた調子でぼやくと、伊織くんが真っ赤な顔で言い返す。
「ち、ちがうってば……乃亜が、ちょっと寂しそうだっただけで……」
その言葉に、私の胸がまたぽわっとあったかくなった。
「……ありがと、伊織くん」
ぽつりと伝えたその言葉に、伊織くんは驚いたように目を瞬かせてから、照れたように顔をそらした。
「……別に、気にすんな」
でもその耳まで真っ赤なの、バレバレだよ。
◆ 伊織視点 ― からかわれ地獄の朝
朝起きたとき、隣に乃亜がいなかったのが、ちょっとだけ寂しかった。
でもリビングで再会して、顔を合わせた瞬間――
やばい、かわいい。
頬を赤く染めて、もじもじしてる。あんな顔されたら、昨夜のことなんて頭から離れるわけがない。
けど、それを兄たちは見逃すはずもなくて――
「……なるほどな。昨夜、伊織が“そばにいてやる”とか言った感じか」
晃兄のその一言で、すべてが地獄と化した。
「そばで抱きしめて寝たの!? どこまで!? 何分間!?(笑)」
大雅兄までテンション上げてツッコんできて、乃亜は真っ赤になって「忘れてくださいー!」とか言ってるし。
……いや、俺だって忘れたくないわ。
でも、あの夜、乃亜が少しでも安心してくれたなら、それでいい。
からかわれるくらい、我慢する。
むしろ――あの子のために、もっとからかわれてもいいくらい。
(とか思ってるのは、さすがに恥ずかしくて言えないけど)
◆ 伊織視点:
朝の光が差し込む通学路、乃亜は少し俯きながら俺の隣を歩いていた。小さな手をギュッと握る勇気が、なかなか出なかった。
今まではただ一緒にいるだけでよかった。けど、あの日から…乃亜の表情の陰りを見るたびに、守ってあげたくてたまらなくなる。
だけど、手を握ったら──「家族みたい」と思わせてしまうんじゃないか。
俺たちは“本当の家族”じゃない。だけど、想いは…そんな言葉を超えてる気がして。
悩みながらも、乃亜のか細い肩が少し震えた気がして、思わず手を伸ばした。
「……手、握ってもいい?」
そう小さく聞くと、乃亜は少し驚いた顔をしたあと、こくりとうなずいた。
その瞬間、俺の心があたたかくなる。
指先が触れ合って、自然に絡まっていく。
握ったその手が、あたたかくて柔らかくて、少し震えてて…まるで俺の心そのものみたいだった。
大丈夫。俺がいる。俺がずっとそばにいる。
言葉にしなくても、手からその想いが伝わってほしいって、そう願っていた。
◆ 大雅視点:
登校中、何人もの視線が俺たちに集まっているのがわかった。
「乃亜ちゃん、あの子だよね…」「なんか、兄弟の家に住んでるって…」
耳に入ってくる噂はどれも無神経で、俺の中に熱いものがこみ上げる。
ふざけんなよ。乃亜がどんな想いで日々を過ごしてると思ってんだ。
笑顔を絶やさずにいようとしてるのも、涙を見せないようにしてるのも…
強くあろうとしてるからだろ。俺たちの前で泣きすぎたって、誰にも見せてない涙があるのに。
ちらりと乃亜の横顔を見る。
いつもより背中が小さく見えた。
こんな視線から、言葉から、全部俺が守りたいって思った。
「…気にすんな。言いたいやつには言わせとけ。俺がついてる」
そう言って頭をぽんと撫でると、乃亜は少し照れくさそうに笑った。
その笑顔だけは、何があっても守ってやる。あいつは、俺たちの…大切な女の子なんだから。
◆ 晃矢視点:
弟たちと乃亜の姿を、少し後ろから静かに見守っていた。
伊織はようやく乃亜の手を握ったようだ。ぎこちないけど、あいつにしては大きな一歩だな。
大雅は相変わらず口は悪いけど、乃亜のことになるとまっすぐで。
俺はというと、何も言えずにいた。言葉じゃなく、行動でもなく、ただ黙って見守るしかなかった。
“本当の家族じゃない”──その事実がどこか心に引っかかっていた。
けど、乃亜の涙を見たあの夜、俺は決めたんだ。血が繋がっていなくても、乃亜は…俺たちの“妹”だって。
俺たちの前では強がってる乃亜。でも、まだまだ傷は深い。
だからこそ、俺たちが守らなきゃいけない。どんな形でも、あいつの帰る場所になるために。
──そして、たぶん、誰よりもその覚悟が必要なのは…長男の俺なんだろうな。
乃亜が振り返って、俺と目が合う。
「晃矢くん、歩くの遅いよ?」
そう笑うその顔に、俺は心の中でそっと誓った。
もう二度と、あいつが一人で泣くことのないようにって。
◆ 乃亜視点:
朝の光がまぶしいのに、少しだけ憂鬱だった。
歩く道も、見える景色も変わらないのに――もう、私はひとりぼっちなんだって、ふとした瞬間に思ってしまう。
でも、私の隣には伊織くんがいて、少し前には大雅くんがいて、少し後ろには晃矢くんがいる。
それだけで、心の奥の冷たい部分がすこしだけ、溶けていくような気がする。
「……乃亜」
小さく呼ばれて、顔をあげると、伊織くんがこっちを見ていた。
その目がすごくまっすぐで、いつもよりも少しだけ迷っているみたいだった。
「……手、握ってもいい?」
ぽつん、と落ちてきたその言葉に、思考が止まった。
びっくりして、でも――あたたかくて、じんと胸の奥が熱くなった。
うなずくと、伊織くんの手がそっと、私の手を包んでくれる。
それだけのことなのに、どうしようもなく安心して、ほっとして、泣きそうになる。
大丈夫。
きっと私は、独りじゃない。
そんなふうに思えた。
でも、ふと耳に入ってくる声があった。
「乃亜様、両親亡くなったって……」「なんか、あの兄弟の家に住んでるんでしょ?」
――ぐさり、と胸が刺さる。
私は何も悪くないのに。誰も悪くないのに。どうして、こんなふうに見られなきゃいけないの?
ふと、大雅くんが振り返って私を見た。
「気にすんな。言いたいやつには言わせとけ。俺がついてる」
そう言って、私の頭をぽん、と優しく撫でてくれた。
……うん、そうだよね。私は一人じゃないんだ。
そのあと、少し後ろから歩いてきた晃矢くんと目が合った。
何も言わないけれど、あの静かな眼差しが、すべてをわかってくれている気がした。
まるで、お兄ちゃんみたいな優しさで。
――私、今は“本当の家族”じゃないのかもしれない。
でも、こんなふうに一緒に歩いて、手をつないで、言葉をかけてもらえるだけで、もうそれだけで…
私は、守られてる。
大切にされてる。
そう思えた。
きっと…この道は、まちがってなかったんだ。