別れ
夜――梓からの知らせ
夜ごはんを食べ終えて、リビングでほんの少しだけくつろいでいた時のこと。
私は伊織くんの隣で、なんとなく眠たげにうとうとしていて、
晃矢くんも大雅くんもソファに身体を預けて、静かにテレビを見ていた。
そこへ――梓さんが、ゆっくりとリビングに入ってきた。
その顔を見て、何かがいつもと違うって、すぐにわかった。
「乃亜ちゃん……ちょっと、こっち来てくれる?」
いつもの優しい声。だけど、どこか硬くて、震えているような気がした。
私は不安を押し込めながら、はい、と頷いて立ち上がる。
そのまま、静かなキッチンの奥、ダイニングの一角に連れていかれて――
梓さんが、少し迷うように口を開いた。
「……落ち着いて、聞いてね」
その前置きで、胸がギュッと縮まった。
「今夜、お父さんとお母さんが乗ってた飛行機が……
海外へ向かう途中、トラブルで……海上に墜落したって、連絡があったの……」
一瞬、意味が分からなかった。
「え……?」
「救助は、全力で行われたんだけど……
……さっき、正式に連絡が来て……2人とも、亡くなったって……」
「……え」
声が、出なかった。
耳がジンと鳴って、世界が歪んで見えた。
「うそ……そんなの……うそだよ……」
何かの間違いだと、思いたかった。
あの温かい笑顔で送り出してくれたお母さん。
ちょっと不器用だけど、優しくて頼れるお父さん。
さっきまで、1週間後に帰ってくるって、思ってたのに。
「うそだよ……だって、昨日も……電話、したばっかりで……」
息が詰まって、喉が痛くて、声が震えて――
気づけば私は、崩れ落ちるように膝をついていた。
「乃亜ちゃんっ……!」
梓さんが私をしっかり抱きしめてくれた。
その腕の中で、私はただ、声もなく泣いた。
「うそ……いやだ……帰ってきてよ……お母さん……お父さん……」
どこかで夢だと思いたかった。
でも、梓さんの震える腕が、現実だと教えてくれた。
静かな夜。
さっきまで笑っていたリビングが、別の世界のように思えた――。
三兄弟が寄り添う夜(伊織視点)
ダイニングから、静かに泣く声が聞こえてきた。
最初に立ち上がったのは、晃矢にいだった。
その背に続くように、大雅にいと、俺も無言で立ち上がる。
母さんが小さく頷いて、ソファにいた俺たちに目で合図した。
「乃亜ちゃん……」
そうつぶやくその声に、滲んだ涙と、どうしようもない悲しみがにじんでいた。
乃亜は、床に膝をついて、小さな身体を折りたたむようにして泣いていた。
肩が震えて、呼吸も上手くできていないみたいで……
俺の胸の中が、ギュウッと握られるように痛んだ。
その姿を見て、俺は思わず駆け寄って、彼女の肩をそっと抱いた。
「乃亜……」
震えてる身体を、ぎゅっと、強く抱きしめる。
もう二度と、こんなふうに泣かせたくないって思ってた。
だけど今は――ただ、泣かせてあげることしかできなかった。
「……乃亜。俺たちが、ついてるから」
耳元で、そう囁いた。
声がかすれて、自分でも情けなくなるほどだった。
そのすぐ後ろから、大雅にいも膝をついて、乃亜の背中を優しく撫でる。
「泣いていいよ、乃亜……今は我慢しなくていい。全部、俺たちが受け止めるから」
いつもは茶化すように明るい大雅にいが、今は真剣な目をしていて、
乃亜の髪を、何度も、優しく撫でていた。
晃矢にいは、静かに近づいてきて、乃亜の横に座り込む。
「俺たちを、家族だと思ってくれ。乃亜ちゃんがひとりになるなんて、させないから」
乃亜は、俺の胸に顔を埋めたまま、しばらく声をあげて泣いた。
涙も嗚咽も全部、俺の胸に受け止めながら――
晃矢にいが、そっと彼女の頭を撫でる。
大雅にいが、ずっと背中に手を添えたまま、優しく話しかけ続ける。
そして俺は、乃亜の手を握った。
彼女の指がかすかに震えていたけど、俺の指を握り返してくれたとき、
ほんの少しだけ、彼女のぬくもりが戻ってきた気がした。
「乃亜、これからは、俺たちが守る。だから、何があっても大丈夫だよ」
まだ赤い目のまま、乃亜がこくんと、小さく頷いた。
そうして、俺たちは乃亜の“家族”になろうと、心の中で誓った。
その日の夜◆乃亜視点
静かな夜。部屋の灯りを消して、布団にくるまりながら目を閉じても、眠れなかった。
お父さんのとお母さんの笑顔が浮かんでは消えて、胸の奥がじんじん痛くなる。
「なんで…どうして……」
小さくつぶやいた声は、誰にも届かない。けれど、言わずにはいられなかった。
私を置いていかないでよ……。
まだ、ありがとうも、ごめんねも、ぜんぶ言えてないのに……。
涙があとからあとから溢れて、声を殺して泣いたつもりだったのに、ふいに扉がそっと開いて、伊織くんが入ってきた。
「乃亜……起きてたの?」
私は何も言えず、ただ小さく頷いた。次の瞬間、伊織くんが私の隣に座って、やわらかく抱きしめてくれた。
「泣いていいよ。無理しなくていい」
その声に、我慢していた想いがあふれてしまって、私は伊織くんの胸に顔をうずめてわんわん泣いた。
少し遅れて、大雅くんと晃矢くんも部屋に来て、私の横にそっと寄り添ってくれた。
大雅くんは私の背中をゆっくり撫でながら、「つらいよな、無理するなよ」って、あたたかい声で囁いた。
晃矢くんは何も言わずに私の頭を優しく撫でてくれて、そのぬくもりだけで心が少しずつ落ち着いていった。
みんながそばにいてくれて、私はようやく呼吸ができた気がした。
「ありがとう……大好き、みんな……」
ぼそっとこぼれた私の声に、伊織くんがぎゅっと抱きしめてくれた。
◆伊織視点
寝ようとしても、乃亜のことが気になって眠れなかった。
両親を亡くして、笑っていた乃亜の瞳の奥がずっと泣いてたの、気づいてたから。
様子を見に行こうと思って部屋の前に立ったら、嗚咽が聞こえた。
「……乃亜」
すぐに扉を開けて中に入ると、布団にくるまった小さな肩が震えていた。
そっと隣に腰を下ろして、乃亜をやさしく抱きしめる。
こんなに細くて、壊れそうで、でも今まですごく頑張ってて——俺、守りたくてたまらなくなった。
「乃亜、俺たちがいるよ。絶対に、一人にしないから」
しばらくして、大雅にいと晃矢にいも来て、自然と俺たちは乃亜のまわりを囲むようにして寄り添った。
乃亜の泣き顔を見て、胸が締めつけられた。なのに、そんな中で「大好き」って言ってくれるこの子が、もうたまらなく愛しくて。
絶対に、乃亜を一人にしない。
これから先、どんなにつらくても、俺たちがずっとそばにいるから。
◆大雅視点
夜中に聞こえた小さなすすり泣きの声。あれは、乃亜の声だった。
気づいたときにはもう体が動いていて、兄貴と顔を見合わせて部屋に向かった。
そしたら、伊織がすでに乃亜を抱きしめてて——やっぱりな、って思った。
でも、それだけじゃ足りないくらい、乃亜は泣いてた。
そっと布団の脇に座って、背中を撫でてやる。
「つらい時は、ちゃんとつらいって言えよ。俺たち、ちゃんと聞くからさ」
乃亜は俺たちに気を遣って、ずっと我慢してた。
でも今だけは、全部吐き出してほしかった。強がらなくていい。泣いて、泣いて、俺たちに頼ってくれたら、それでいい。
「……大好き」って小さく言ったその声に、ぐっとこみ上げるものがあった。
俺たちのこと、信じてくれてありがとう。
その気持ち、絶対裏切らないって、心から思った。
◆晃矢視点
伊織が乃亜ちゃんの部屋に行ったのを見て、何となくわかってた。
今夜は、きっと泣く夜になるって。
何も言わず、俺も部屋に向かった。
扉の隙間から漏れるすすり泣きの声。その中心にいる乃亜ちゃんが、どれほどの孤独と戦っていたかを思うと、胸が締めつけられた。
俺は言葉が多いほうじゃないけど、こういうとき、言葉じゃなくてもできることがある。
乃亜ちゃんの頭に手を置いて、ゆっくり撫でてやる。
あたたかくて、優しくて、少しでも安心できるように。
「……泣け。泣きたいときは、泣け」
その言葉だけをそっと呟いて、あとはただ、包み込むように彼女のそばにいた。
家族を失っても、乃亜はもう一人じゃない。そう思ってくれたら、俺たちの存在にも、少し意味があるのかもしれない。