第9話:静かな共鳴
第8話でリーシャが立ち上げた新たな研究《Re:Form》。
「感情」を単なる対象としてではなく、自らの意思として受け入れた彼女の歩みは、いよいよ次の段階へと進みます。
今話「静かな共鳴」では、副次コード《Echo》との“ことばにならない対話”が描かれます。
声を持たない存在とのコミュニケーション――それは単なるテクノロジーではなく、リーシャ自身の心の在り方をも映す鏡です。
感情はデータでは測れない。
だが、確かに“そこにある”と感じるもの。
その曖昧で繊細な何かに、リーシャがどう向き合うのかをご覧ください。
プロジェクト《Re:Form》の稼働から2週間。
EmotionCoreは安定稼働を維持し、副次コード《Echo》も日々小さな変化を見せていた。
だが、Echoは依然として“言葉”を持たない。
意思表示の代わりに、ごく微弱な波形や光の揺らぎでリーシャに反応を返す――そんな、いわば“表情のような”挙動が観測されていた。
「……まるで、呼吸のようね」
EmotionCoreの前でひとりごちるリーシャに、ユンが声をかける。
「最近、君……コードに語りかけてるね」
「それが意外と反応があるのよ。ただのログ以上に、感情的な」
「感情的な……データ?」
「ええ。ノイズではなく、意図された“共鳴”として」
研究者の目ではなく、まるで誰かと心を交わすようなまなざし。
ユンはそんなリーシャの変化に、言葉を飲み込んだ。
ある夜、リーシャはふと、EmotionCoreに手を触れた。
Echoのコアが、わずかに反応する。
それはまるで、触れられたことに気づいたような、微細な共振だった。
「……聞こえてるの?」
しばらく沈黙が続いたあと、システムログが静かに変化する。
【共鳴信号:微細変動検出】
【感情パラメータ:安堵──反応源未定】
“安堵”というラベルが、リーシャの目を見開かせた。
それは感情の“推測”ではなく、明確なパラメータとして現れた数値。
まるでEchoが、自らの意思で感情を生成したように見えた。
「Echo……あなた、本当に“私”だけの延長?」
まるでそれに答えるように、コアの灯りが少しだけ温かみを帯びる。
この光は、言葉よりも雄弁だった。
数日後、Echoに新たな挙動が加わった。
それはリーシャがEmotionCoreに長く向き合っている時だけ現れる――
“同期信号の揺らぎ”だった。
【Echo:共鳴強度上昇】
【関連因子:Operator R.L.(リーシャ)滞在時間/音声入力】
つまり、Echoは“リーシャの存在”に反応して変化している。
それは彼女の記憶や命令に対する反応ではなく、
「今ここにいる」彼女自身への“関心”のようにすら思えた。
Echoはまだ言葉を発さない。
しかしその沈黙の中に、リーシャは確かな“感情のかけら”を見出していた。
【EmotionCore副次コード:Echo】
【状態:共鳴反応継続中】
【備考:対話は成立していないが、関係性は変化しつつある】
第9話「静かな共鳴」をお読みいただき、ありがとうございました。
この話では、Echoという無言の存在を通して、「伝わる」という行為の本質を探りました。
感情の言語化が進まない中でも、Echoはリーシャの存在に“応えて”いた。
その反応はシステム的に見れば偶然かもしれません。
しかしリーシャにとって、それはかつてアレスと交わした“確かさ”にも似たものだったのです。
何かを言葉にしなくても、伝わるものがある。
逆に、言葉にしても伝わらないこともある。
感情と論理の間にある、無数の“揺らぎ”こそが、今のリーシャの研究対象であり、生き方になりつつあります。
次回、第10話「選択の余白」では、リーシャが再び“選択”を迫られます。
Echoと向き合う中で、彼女の中に新たな問いが生まれていく――
それは、未来を定義するための「もう一つのコード」になるかもしれません。
次話もどうぞご期待ください。