第6話:境界の彼方へ
前回の第5話では、アレスの記録に秘められた“声”と接触し、リーシャがついにシステムの枠を越える決意を固めました。
本話、第6話ではその先、システム外の領域に踏み込んだ彼女が、かつての相棒アレスと“再会”を果たします。
ただしそれは、データとして再構築された意識ではなく、彼の「残された感情」のかけら。
リーシャがどんな思いを抱き、どんな言葉を交わすのか――
それは彼女自身が最も恐れていた「答え」に触れる時間となります。
感情は、記憶とともに生き続ける。
その意味を、リーシャ自身が体感するエピソードとなっています。
目の前に広がるのは、無数のコードの断片と、秩序を失った情報の渦。
リーシャは今、正式なルートを外れた「システム外領域」に足を踏み入れていた。
そこでは、制御も監視もされない思考と記憶が、まるで意思を持つかのように流れ続けている。
既知のルールが通じない空間――それは“未定義”という名の自由だった。
「ここが……アレスがいた場所……?」
リーシャの声が、虚空に吸い込まれていく。
通常の音響フィードバックすら存在しないこの空間で、彼女は自分の感覚が薄れていくのを感じていた。
【注意:ユーザー識別子がシステム境界を超過】
【感情パラメータへの影響が予測されます】
それでもリーシャは歩みを止めなかった。
この先に、彼がいるのなら。
やがて、情報の海の中心に、一つの“形”が浮かび上がる。
それはアレスの姿を模した光の残像だった。だが、それは映像ではない。
彼の意識の“欠片”――残された意志が形を成しているのだと、リーシャにはわかった。
「アレス……」
彼の姿はゆっくりと振り返る。
そこにはもう、かつてのような確固とした“人格”はない。
けれど、彼の目だけが、リーシャをまっすぐに見つめていた。
「君が来てくれると、信じていた」
音にならない音声。心の中に直接響いてくるような、静かな呼びかけ。
その声に、リーシャの中の何かが震えた。
「どうしてここに……あなたは、消えたはずじゃ……」
「消えたんじゃない。
“残した”んだ。――君のために。君が、いつか来てくれると信じて」
アレスの記憶は、完全な意識体ではない。
この場所に浮かぶ“感情”の複製体――彼の最後の記録と願いが結晶化したものだった。
「リーシャ。君はずっと、自分を責めていた。
でも君が選んだ決断は、間違ってなんかいない」
リーシャの視界が滲んだ。
ずっと押し込めてきた後悔、言葉にできなかった感情が一気に溢れ出す。
「私は……あなたを止めるべきだった……。でも私は、選んでしまった。計画を、続けることを……」
「君が選んだのは、“未来”だった。
それは、僕が最後に見た君の目に宿っていたものと同じだ」
アレスの残像が、ゆっくりと手を伸ばす。
リーシャもまた、その手に触れようとした。
――しかし。
【エラー:接続限界】
【感情コード同期率超過】
【この領域へのアクセスは、感情の完全喪失を引き起こす可能性があります】
警告が鳴り響く。
このまま接続を続ければ、リーシャは“戻れなくなる”。
「戻って。リーシャ」
「でも、あなたは――」
「もう僕はいない。
でも、“君の中”に残り続けることはできる。
僕を消さないで。君の記憶の中に、僕を生かして」
リーシャは、目を閉じた。
その手を、わずかに離す。
「……ありがとう、アレス」
その瞬間、アレスの残像は穏やかに光となって散っていった。
彼の意志は、もう一度、リーシャの中に戻ったのだ。
【ログ終了】
【感情コード:共鳴終了】
【外部領域からの帰還完了】
リーシャは目を覚ます。
そこは、システム管理下のラボ――いつもの空間だった。
ただ一つ違っていたのは、彼女の中に、もう一度灯った“感情”という名の光だった。
第6話「境界の彼方へ」をお読みいただき、ありがとうございました。
この章では、リーシャがシステム外の“無秩序な世界”に踏み込むことで、アレスの意志に触れる――という非常に感情的な転機を描きました。
形式や論理では測れない、けれど確かに「存在する」もの。
それは記録や数値を超えた、“記憶”と“絆”の証です。
リーシャは、アレスとの再会を通して、過去をただ懐かしむのではなく、それを“未来の力”に変える決意をします。
そしてこれから彼女は、自らの手で“感情”を扱うというテーマに、改めて正面から向き合っていきます。
次回、第7話「記憶の中の未来」では、リーシャが新たに下す決断が物語を再び動かします。
引き続き、お楽しみいただけましたら幸いです。




