第7話 リアム:生き残りがいるのであれば
「俺たちは後から追いかけるから、行っていいぞ」
俺がそう言うと、ニールと名乗った少年がほっとしたように微笑んだ。彼は脇に荷物という名の妹を抱えながら、地面を蹴って一瞬で目の前から消えた。
太った猫娘が口をぽかんと開けて俺の横で固まっていたが、正直、どうでもよかった。
情報を整理する必要がある。
俺の『最期』の記憶は、凄まじい光だ。
異質な魔力、異質な魔術。異世界から召喚されたらしい『勇者』を目の前にして、油断したつもりはなかった。ただ、俺が予想していたよりも相手の力が強かっただけだ。
「いいか、リアム。必ず魔人族の血は残さないといかん。どんな手段を使ってでも、仲間を逃がせ」
そう言ったのは、前魔王であるドルフだった。長い黒い髪、黒い瞳、青白い肌の男。
彼は人間との戦いで致命傷を受け、大急ぎで次の魔人族の王の選定を行うことになったのだが――次代に選ばれたのは予想外にも俺だった。
俺は魔人族の国、ミズール国で自由気ままな子供時代を過ごしていた。いわゆる悪ガキというやつで、一人で魔物狩りに行って魔物の血だらけになって帰ってきて、その血の匂いを辿ってやってきた魔物に国が襲われること数回、そのたびに魔王ドルフが全ての魔物を退治してくれた。ただ当然と言うか何と言うか、俺はそのたびにドルフに蹴り飛ばされていた。
でもまあ、魔物から採取できる魔石はミズール国で使われている魔道具には必須だし、獲物が向こうからやってきてくれるのはありがたいとも言える。いや、俺はそう言ってた。ドルフに殴られるけど。
結局のところ、俺は戦うのが好きなのだ。
自分が強いと感じることができるから、全力で相手を叩き潰す。怪我なんかしたってどうでもいい。痛みすら快感だ。その後の爽快感があると解っているから。
「いいか、お前はもう王なのだ。その命は自分だけのものではないと知れ。魔人族の未来を守るんだ。私の代わりに」
ドルフはその整った顔を苦痛に歪ませながら、俺の手を取って唸るように言った。
俺はドルフの額を見つめ、僅かに心臓に痛みを感じた。王の証であるはずの『ラシャ』印はそこにはない。継承の儀を終えた俺の額に浮かび上がっているはずだが、まだそれを受け入れたくなかった。
「魔人族の血を残せ」
ドルフは散々、俺のことを無鉄砲馬鹿だとか、アホだとか罵ってきたわりには、魔力の高さで――いや、それだけを評価してくれていたんだろう。俺みたいな問題児を魔王に指名し、最後の気力を振り絞ってそう言った後――その生涯を終えた。
人間族との戦の最中であったため、ドルフの葬儀は簡略化された。あまりにも呆気なかったから、それが悔しいと思うと同時に、初めて憎悪という感情を人間相手に抱いた。腸が煮えくり返るというのは、きっとああいうことを言うのだ。
俺にとっての父。
それがドルフだった。
喧嘩くらいしかしていなかったとはいえ、俺は彼を信頼していたし、他の魔人族も王を敬愛していただろう。
新しい王である俺を受け入れてもらえるかどうかはどうでもいい。
俺は魔人族を――俺たちの未来を守らなくてはならない。たとえ、どんな手段を使っても。
だから、俺たちを攻撃してくる人間を片っ端から殺していった。
それが戦争というものだ。
自分が生きるために他人の命を奪う。それは仕方のないことだった。
俺だけじゃなく、魔人族の人間に対する怒りと攻撃は凄まじいことになって、一時は魔人族の勝利が見えてきていた。魔人族の魔力は破壊を司るものであり、人間の王――メイスフィールド王も人間側の敗勢が見えてきて焦ったのだろう。
彼らは異世界から『勇者』を召喚した。
魔人族を殺すための力。それは、この世界には存在しない新しい魔力を持つ存在。
俺たち魔人族の魔力を封じるために呼ばれた存在は、『勇者』、『戦士』、『魔法使い』、『神官』という役目を持った四人。
あいつらは着実に俺たちの国――ミズール国に近づき、次々と魔人族を倒していった。
ドルフは俺たちの前に立って戦い、『神官』の女を殺した。
だがそれが、彼らを本気にさせたんだろう。
ドルフが死に、俺が新しい王となり、ドルフと同じように彼らと戦うことになった。ドルフと違うのは、俺が魔人族をミズール国から一時的に出るように命令したことだ。
解っていた。
魔人族の者たちを守りながら戦えば、俺が負ける。だから、俺だけ城に残って『勇者』たちを出迎えた。
「よくも、美波を! お前たちのせいで!」
そう叫んで大剣を振り回す『戦士』と戦いながら、俺は彼らのことを嘲笑ったのだ。
「お前たちのせいで? どの口がそう言うんだ。逆に言うがな、『お前たちのせいで』ドルフは死んだ! 俺たちの王だ! ドルフは俺たちの父親だった!」
俺はそう叫び返しながら、彼らを退けようとした。そう、全ての魔力を使い果たしてでも――。
だがその瞬間、彼らの魔力が弾けたのだ。
俺が知らない魔法が目の前に展開していた。見覚えのない文字列が並んだ魔法陣と、知らない言語。
俺の視力も、あらゆる神経も、全て焼き尽くすかのような白い光が最期の記憶。
魔力の爆発。そんな感じだった。
――あの獣人族の少年は言った。
今は帝国暦十三年だ、と。
俺が生きていた時は、聖神暦四千五十三年だった。ずっと続いてきた時代。だが、今は違う暦の年数を数えている。これはどういうことだ?
魔人族の城はどうなってる? 俺は――リアムの肉体は封印されているのか? そして魂だけが『ここ』にいる?
俺は自分の手のひらを見下ろし、そっと唇を噛んだ。
どこからどう見ても、女の身体だ。獣人族の身体にも見えるが、魔物のようにも思える。不思議な魔力が僅かに感じられるが、それほど大きいわけじゃない。
リアムの肉体とは比べ物にはならないくらい、脆弱な力が全身を巡っているが――心臓の鼓動を感じない。
白くて細い指を自分の胸に当て、この肉体は何なのか、探ろうとした。
少なくとも、『生きて』はいない。
つまり、偽物の肉体だ。
猫娘――中身は人間らしい――が説明してくれた内容は、ほとんど理解できなかった。ただ、異世界から来たらしいと知って嫌悪感が生まれている。つまり、あの『勇者』たちの仲間である可能性がある。
何しろ、自分で猫獣人の姿は偽物で、本当は人間だと言った。
信用はできないが、今の自分にはどうにもできない。
この猫娘がこれからどうするのか解らないが、上手く誘導してミズール国へ足を向けるようにしてみよう。そしてもしも俺の肉体がまだ生きていて、元の身体に戻れるのであれば……。
そして、魔人族の生き残りがいるのであれば、何とかして合流したい。
生き残り――。
俺が拾った――弟。
「あいつは無事か?」
つい、そう呟くと猫娘が「ん?」と反応した。首を傾げ、俺を見上げてきた彼女は、手に四角い板を持ってへらりと笑った。
「なんか、位置登録しろってお知らせ出てるからやるね?」
「は?」
何だか訳の解らないことを言い出した猫娘は、左手首についた魔道具らしきものと、板を交互に指先で叩いた。
そして。
色とりどりの小さな光が目の前に舞い散り、唐突に彼女の右手の中に出現したものがあった。現れたのは一個だけじゃなく、複数出てきたから持ち切れなかったものが彼女の足元にごろごろと転がった。
「んー? 何だろ、林檎?」
猫娘がそう言って、その場にしゃがみ込んで拳大の赤い果実を取り上げた。
「マナの実だ。どうやって出した? 近くにマナの木はないだろう?」
マナの実。
それは強力な魔力を含む果物だ。魔力を消費した後にその果実を食べると、瞬時に回復できるから結構な高値で取引されていた。
マナの木は俺が住んでいたミズール国では育たなかったし、人間族や獣人族の国でもそうだと聞いている。
精霊族や神人族の土地でよく収穫されるはずだが――。
「ホントだ。マナの実って書いてあるぅ」
猫娘が何だか奇妙なことを言い出し、次々に拾い上げたマナの実を抱え込んだと思ったら――果実が瞬時にして消えた。
「はあ?」
俺がびっくりしてそう声を上げると、猫娘が「ふふん」と自慢げに鼻を鳴らした。
「ゲームのアイテムボックスが使えました。じゃ、とりあえず移動する? さっきのドロシーちゃんたちのところ、行こうか? あの子のお母さんがどうなったのか心配だし、それに、何か情報があるかもしれないし」
「おい、お前、もしかして『魔法使い』か? その変な力、一体何なんだよ」
俺が後ずさりながらそう訊くと、猫娘がまた首を傾げる。
「わたし、魔法なんて使えないよ? いや、使い方を知らないだけで本当は使えるのかな? 後で謎猫に確認しとくね。本当、あの謎生物、無責任すぎるよ。ほとんど説明してくれないまま消えちゃってさ」
ぶつぶつと呟き続ける猫娘を、俺はただ目を細めて見つめることしかできない。
もしもこいつが『魔法使い』なら、あの『勇者』の仲間なのかもしれない。
つまり、敵だ。
俺が、魔人族が殺さなくてはいけない敵だ。
「でも、ドロシーちゃんたちのところって獣人族の村? 国? そこに行ったとして、何かあったらわたしのこと、守ってくれるんでしょ? リアムってそういう役目なんだよね?」
猫娘がのんびりとした口調でそう言ったものだから、俺は自分の立場を思い返してため息をこぼした。
「そーゆーことだな。くそつまんねえ」
「つまるもつまらないもないよ。だって、わたしたちのこの格好だと、獣人族と一緒にいた方が安全ってことだよね? この世界の人間と接触したら、奴隷とやらにされちゃうわけ?」
「かもな」
「じゃあとりあえず、このまま獣人のふりしておこうよ。それで、今後のことを考えよう」
「ああ」
俺はそう頷きながら、逸る気持ちを落ち着かせる。
とにかく、目の前の女をどう利用するか、じっくりと見極める必要があった。