第1話 石段の上の巫女
「うおりゃああああ」
わたしは奇声を発しながら、急な坂道を自転車で走らせる。
ジャージ姿で爆速でぶっ飛ばしているわたしの姿は、あまり他人に見せられたもんじゃないと思う。イメージ的にはアレだ、スーパーマ〇オに出てくる弾丸みたいな黒いヤツ。そんなのが凄いスピードで自転車をこいでいたら怖いだろう。わたしは怖いぞ、うん。
でもこれはわたしの日課で、毎朝、それも早朝五時に起きて自転車に乗り、近所の神社にお参りにいく。まあ、ダイエットの一環である。
小高い山の頂上近くに、猫がいっぱいいるところとして観光名所となっている神社があり、猫好きなわたしとしては可愛らしい猫を鑑賞しつつ、境内へと続く石段を駆け上がる運動を続けている。
まあ、痩せないけどね。
そうなんだ、痩せないんだ。こんなに頑張ってるのに。
でもおかしい。いくらなんでも痩せなさすぎる。
アレかな、家に帰るとお腹が空いてるから朝ごはんをそれなりに食べてしまうのが問題なのか。だってご飯美味しいんだもん、しょうがないよね。日本の米は世界一だよ。白米美味い。ウィンナーに卵焼き、味噌汁にサラダ、そういうのが理想的な朝食ってやつだ。うん、わたしの中ではそうだ。
そんなことを考えつつ、山の中腹にある大きめの駐車場の片隅に自転車を停め、わたしは軽くストレッチをした。
薄暗い空。でも家々が立ち並ぶその向こうで、オレンジ色の光が広がっていく。
「これが日本の夜明けってヤツかな」
と、過去の偉人の台詞を頭の片隅に思い浮かべながら、わたしは神社の境内を目指して歩きだした。
朝早いから当然、辺りに人はいない。
猫神社として有名なせいか観光客も多いみたいで駐車場も広いし、ちょっと大きめな売店もあるけどもちろん営業していない。
鳥居の前で頭を下げてから足を踏み入れ、心地いい空気を肺に吸い込んで深呼吸。
それだけで何だか痩せた気がした。もちろん痩せてはいない。
木々が生い茂る道を歩きながら、わたしは一人で苦笑する。そして、ふと左手首に付けているスマートウォッチに目をやりつつ、ズボンのポケットからスマホを取り出してアプリを起動させた。
『異世界フィット・トラベラーズ』というタイトルのそのゲームは、いわゆる位置登録ゲームの一つだ。
少し前にこのアプリに連動したスマートウォッチが安売りしていたので衝動買いしたわけだ。
安売りしていた原因はなんとなく解る。
多分――スマートウォッチと連動しなくちゃいけないアプリなんて、どうなん? ってこと。スマホ一つで遊べるゲームだってダイエットアプリだってたくさんあるのに、わざわざ買う必要なくない?
だから、人気がなくて売れ残ってたんだろう。おかげでわたしは格安でそれをゲットして、ゲームしながらダイエットを開始したのだけど。
スマートウォッチには、歩数や消費カロリー、血圧や血中酸素レベルを計測したりする機能がついている。
そしてスマホのアプリを開くと、普通にゲームが遊べる。
ゲームのの内容は魔法と剣の異世界ファンタジーというか、地球ではない架空の地図を歩き回って遊ぶ感じ。
スマホを使って位置登録するとそのファンタジー世界の地図の中、その地域特定のアイテムをゲットしたり、他のユーザーたちと一緒にモンスターと戦ったり、ガチャでゲームキャラクターのカードを引いたり、その他さまざまなイベントを楽しんだりできる。
ダイエットアプリであるから、健康的な食事レシピやらトレーニングの仕方など、色々知ることもできる。自分の性別、身長、体重を登録すると実際の体型に似たアバターが出現。毎日体重や食べた食事を記録して、痩せたらどんどんカッコよくなっていって、
色々なクエストを達成するとゲームアイテムだけじゃなくて、たまに抽選でプレゼントが当たるらしい。
何だか和牛焼肉セットやメロンが当たった人もいるらしいけど……ダイエットアプリだよね? いわゆるチートデイにどうぞ、ってヤツ?
まあ、それはさておき、最初にスマートウォッチを買った以外では課金しなくても面白いと思えるゲームだからこうやって続けていられるわけだ。
「位置登録……っと」
わたしは歩く足を止めて、とりあえずアイテムゲットの作業をする。
アイテムをもらうには、前回位置登録した場所から一キロ以上離れた場所でやらないといけない。だから、ここでやったら帰宅してもう一度やればいい。そして、学校に行ったらそこでもまた――。
「やった! 今回はレアじゃない?」
わたしは左手の中で光り輝く画面を見ながら、右の拳を握りしめた。今回ゲットしたアイテムは、アバターの着替え。
「アバターの猫耳と猫尻尾って……かわいいいいい」
わたしがほにゃりと口元を緩めていると、近くでにゃあと鳴く声が響いてハッと我に返った。
ちょっと離れたところで、ふくふくに太った茶トラ猫が胡乱そうにわたしを見ている。
「ごめんね、不審者そのもので」
ついそう猫に語りかけてから、わたしは改めて歩きだした。あまりのんびりしてたら朝ごはんを食べずに学校に行くことになってしまう。それだけは避けねば!
境内までの道のりはそれなりにある。早足で歩いていると、地面に寝転がってる猫や自由気ままに歩き回る猫たちを見かける。
やっぱり心が癒されるわー、とふわふわした気持ちで目の前に現われた長い石段を上がっていく。
毎日この生活をしているせいか、息を切らすこともない。太腿に筋肉がついた……はずだけど。
わたしの両腕、お腹、両足、何もかもぽんぽこりんである。
食事だって食べ過ぎないようにしてる。アプリを活用して、肉も野菜もバランスよく、ヨーグルトも牛乳もしっかり取って、お菓子は控えめ。
ドラ〇もんみたいにスリーサイズが寸胴ってわけじゃないけど、身長百六十二センチのわたしの標準体重は……なんて考えたくないくらい、太っている。
「まるで豚だよね」
そう言ったのは妹だ。
お母さんは「そんなこと言わないの。言葉は武器なのよ」と窘めてくれる。お父さんも最初は「まだ子供なんだし、大人になれば痩せるって言うし」と言っていたけど、高校生になったわたしが丸々と太った肉体であることに不快感を覚えるようになったみたいで、妹と同じように「本当に豚みたいだな」と言うようになった。
解ってる。
痩せていることがこの世界での正義。
だったら、わたしも正義に向かって走り続けなくてはいけない。
「……働くようになったら、ジムに行きたいなあ。憧れのジム、お洒落な空間、マッチョな人たちの楽園」
そんなことを一人で呟きながら石段を上がったところで、小さな人影を目の前に見つけた。わたしはいつものように微笑みながら、右手を上げて声をかける。
「カナエちゃん、おはよう!」
「おはよう」
わたしが声をかけた相手は、小学生低学年くらいの可愛らしい女の子だ。
多分、この神社の神主さんの娘さんとか、お孫さんとかなんだろう。艶々の長い黒髪と、大きな黒い瞳。真っ白な肌に白と赤の組み合わせの巫女服が凄くよく似合っている、将来は間違いなく美少女になると想像ができる子だ。
わたしがこの神社に通うようになってからしばらくたって、この子が石段の上で立っているのを見かけるようになった。これから小学校に行くのかな?
小学生でも神社のお勤めみたいなものがあるんだろうか。掃除をしたり色々。
それにしても――将来は霊能力者にでもなりそうな雰囲気というか、普通の女の子らしくない表情をするというか、謎多き幼女。
わたしが朝の挨拶をするようになって、彼女も少しずつわたしに話しかけるようになった。最初、この子は何だか警戒している猫みたいだと感じた。だから、ちょっとずつ懐いてくれるのが解るとテンションが上がるってもんだ。
「今日も早いねぇ。朝ごはんは何を食べるの?」
わたしが彼女のすぐ横に立って見下ろすと、呆れたような目つきがこちらを見上げる。
「お気楽なものね」
大人びた口調と冷えた瞳。
あああ、これが萌えだろうか。
よく漫画とかアニメに出てくるような不思議な能力を持つ巫女そのものだ。
いつかスマホで写真を撮らせてくれないかなあ、なんて考えているけれどまだお願いしたことはない。もうちょっと仲良くなってからね!
「お気楽、最高。健康は心から! 何事も前向きに! 楽しいことだけ考えて生きていきたい、勅使河原すみれ、十五歳!」
「はいはい」
少女はさらりとわたしの台詞を聞き流し、石段の上から見える光景に視線を投げた。つい、わたしもそちらに目をやると――。
「わお」
わたしは思わず息を呑んだ。
太陽が昇り始めた空に、虹色みたいな不思議な雲が広がっている。まるで空が燃えているみたい。炎が揺れているかのような、虹が溶けて流れ出たような、綺麗だけどちょっと怖い感じの――。
これ、ネットで見たことがある。確か、彩雲ってやつじゃないだろうか。吉兆の証だっけ? これを見たわたし、宝くじでも買ったら当たるかなあ?
「……それはないわね」
巫女――カナエちゃんが静かに言って、わたしは「何故解った!」とびっくりして目を瞬かせる。すると、彼女はいつも以上に憂いを纏わせた表情でわたしを見つめた。
「……早く帰った方がいいわ。道に迷わないうちに」
「え?」
わたしは思わず、首を傾げて固まった。でも、彼女は僅かに首を横に振って怖いことを言うのだ。
「もう間に合わないかもね」