第10話 獣人たちの街
「熊……?」
わたしは目の前にいる背の高い獣人を見上げ、ほわあ、と息を吐いた。
多分、熊だ。雰囲気はちょっと怖いというか威圧感が凄いけど、耳が可愛い。男らしい太い眉と、大きな口。ニヤリと笑った唇の形が、なかなか格好良い。
「おう、嬢ちゃんは猫族か」
「ええと、あはは」
わたしが曖昧に笑っていると、彼の目が僅かに胡乱そうに細められてリアムに向けられた。
「何で抱えてるんだ? 怪我でもしてんのか」
「するわけねえだろ。こんな健康そうなヤツ、殺したって死なねえよ」
リアムがやっぱり酷い。
何でこんなにアタリが強いの? わたし、何かした?
いや、むしろ何もしてないから怒ってるのか!
「ええと、自分で歩けるし、そろそろ下ろしてもらえたらなあ、なんて。ここまで運んでくれてありがとう」
わたしは素直にそう言ったのに、返ってきたのは舌打ち一つ。後でその綺麗な顔にゲジ眉を書いてやろう。ムカつく。
「あんたら、どこであの薬草……シュクロを採取してきた? もっと持ってたら売ってくれねえか」
リアムがわたしを乱暴に地面に下ろし、わたしがスカートをぱんぱんと叩いていると躊躇いがちに熊の獣人さんが話しかけてくる。
確かにあの薬草はアイテムボックスに腐るほど――腐らないけど――ある。でも。
「悪いが」
わたしより先に獣人族の街の門へ向かい始めたリアムは、軽く右手を上げて続けた。「俺たちはそれどころじゃねえんだ。特に、そっちの丸い生物は記憶喪失で、ここにくるまでのことを何も覚えてねえ。それに俺もここ最近の記憶がなくて……うん、まあ、子供の頃の記憶はあるみたいだがな? ……正直、薬草だけじゃなく他の物価も解らねえ」
「どういうことだ」
熊さんが彼の後に続いて歩きだし、わたしの方を振り返る。ついてこいという合図を手招きで伝えてきたので、きょろきょろと辺りを見回しながらそれに続く。
雑草がまばらに生えていて、石がごろごろと転がっているのが目立つ地面。乾いた空気は埃っぽく、吸い込んだら肺に悪そうって気がする。
「おそらく、人間に何かされたんだろ。人間どもは頭おかしいやつばっかりだからな」
吐き捨てるようなその言葉をわたしはぼんやり聞きながら、彼は悪知恵働くんだなあ、なんて素直に感心していた。
確かにわたしはまだこの世界のことを何も知らない。記憶喪失だっていうなら何を訊いても怪しまれないし、記憶をなくした原因が人間によるものだと知れば、獣人の皆からは同情もされるだろう。
リアムが一緒にいてくれてよかった、と思いつつも、僅かに不信感は残る。
「まあ、今度人間どもが何かしてきたら、俺がぶっ殺してやる」
思いつめたリアムの声に、わたしはそういうとこなんだよ、とため息をついた。
こういうのが魔王だっていうなら、人間だって攻撃してくるじゃない?
怖いもん。
「勇ましいな、姉ちゃん」
熊の獣人さんは苦笑して、それから思い出したように「俺はバイロン。あんたたちは?」と問いかける。
「……俺はリアム。そっちのは」
リアムが後をついて歩くわたしを振り返り、何か言いかけたけれど。
「わたしは『すみれ』っていいます。すーちゃんと呼んでください」
台詞を奪って微笑むと、リアムが鼻の上に皺を寄せて言った。
「何がすーちゃんだ。絶対呼ばねえからな?」
「じゃあ、代わりにリアムのことをリーちゃんって呼んでいい?」
「ふざけんな」
「何だか知らんが面白いな」
バイロンさんは苦笑しながら歩き、門の前に立つ。そこで、門の脇にあった街灯みたいな見た目の物体の前で、わたしたちにそれに触れるように促してくる。
「ここでお前たちの通行許可を出すから。もしかして、これも何だか解らんのか」
わたしが首を傾げつつオレンジ色の光が輝く街灯を見上げていると、バイロンさんは僅かに眉を顰めて見せた。でも、リアムはそれが何なのか知っていたらしい。
「結界の魔道具か」
「おう。かなり旧式だが、使えないことはない。この街には人間どもは入ってこられないから安心だ」
大きな口を開けて豪快に笑うバイロンさんは、ばんばんとリアムの背中を叩き、慌てて申し訳なさそうに眉尻を下げた。「すまん。女性に対する態度じゃなかったな」
「女性……」
リアムは背中を叩かれたことではなく、女性と言われたことに打撃を受けたようで肩を落としている。
「せっかく美人なんだから、そんな口調は似合わんだろ」
バイロンさんは明るく言うけれど、うん、これはアレだ。
リアムのライフはもうゼロよ!
どこか虚脱したような表情のままリアムはその魔道具に右手を差し出した。すると、その右手首に銀色の輪っかがくるりと巻き付き、すぐに消えた。
わたしも彼の真似をして魔道具に触れ、光が消えるのを見守ってからバイロンさんを見た。
「ようこそ、獣人たちの街、ウルドリッチへ」
そうして門をくぐって抜けた先には、凄く長閑な街並みが広がっていた。
あまり背の高い建物はなくて、ほとんどが平屋。木造の建物の間に石畳の道があって、獣人たちがのんびりと歩いているのが見えた。
やっぱり皆、動物の耳と尻尾がふさふさしていて、他はほとんど人間と見た目は変わらない。でも、肉体的に立派な人たちが多いな、という印象だった。
大通りにはいくつかのお店があって、野菜や果物、武器や洋服のお店なんかも見える。ただ、ぽつぽつと空き家みたいな建物もあった。
「行く当てがないからここに住んでも問題ないぜ? 見ての通り、空き家はたくさんある」
バイロンさんのその声は、少し寂しそうに聞こえた。
改めて辺りを見回すと、さっきまで長閑に思えていた光景が、どこか閑散として見えるから不思議だ。
そしてその侘しさをかき消すような、歌声がどこからか聞こえてきた。
「君だけに届いて欲しい~恋の歌~」
それは男性の声だけど、凄く高い声だったから女性のもののようにも思えた。
声のする方に目をやると、バイロンさんが手ぶりでこっちに行こう、と合図する。
そして、石畳の道を歩いて進んだ先に、大きな井戸のある広場があった。近くには凄く高い木が生えていて、その太い幹にもたれかかるようにして立っている男性が見えた。
「月を見上げて僕は歌う~」
とか何とか歌い続けている男性は、凄く派手な格好をしていた。長い髪の毛は白に近い銀髪で、ぱっと見、映画などに出てくるエルフみたいな線の細い美形だった。二十歳前後だと思われるその人は、色とりどりの羽根飾りを髪の毛にも首元にも付けていて、耳には赤い宝石のついたイヤリング、手首にもブレスレットをじゃらじゃらつけ、ギターに似た楽器をかき鳴らしている。
何だろう、舞台衣装を着た派手なスナフ〇ンだろうか。
わたしがそんなことを考えていると。
「鳥人族のクリスティアンだ。よく恋の歌をここで披露しているが、気にせず通り過ぎてくれ」
バイロンさんがそうわたしたちに言って、クリスティアンという名の美形の視線がこちらに向いた。
「ああ、そこの綺麗な人。僕の恋の歌を聞いてくれないか」
そう言った鳥人さんの視線は、まっすぐにリアムに向けられている。
そしてリアムの返事は短かった。
「うるせえ」
「恋に落ちてから失恋までが早すぎる……」
クリスティアンさんはずるずるとその場にしゃがみ込み、四角いボディーのギター(?)を抱えて小さく呻いた。「やっぱり仲間を求めて北に向かうしかないのか……。僕の恋人はここにはいない。故郷ウルドリッチよ、別れの言葉をここに残そう……」
クリスティアンさんは長い爪で地面にガリガリと何か書き込んでいる。
「変人だけど悪い奴じゃない」
バイロンさんはくくく、と笑いながら続けた。「作詞のセンスはないからモテないんだが」
「泣くぞ」
クリスティアンさんは蹲ったまま小さく泣き言をこぼしている。
「……まあ、ここも危険になったから翼のある鳥人族はウルドリッチを離れるのが多いんだよ」
バイロンさんはそう言いながら歩きだし、時折見える窓がしっかりと閉ざされたままの建物に視線を向ける。すると、リアムが顔を顰めながら口を開く。
「それは、最果てが理由か?」
最果て。
そう言えば、最初に見かけた甲冑姿の男性が言ってたっけ。
最果てって何なんだろう。リアムは知っているような口ぶりだから、わたしは黙って彼らの会話に耳を傾けることにした。
「そうだ。あんたたちは知っているかどうか解らんが、ウルドリッチは海に近い街でな。海の向こう側に最果てがある。それがどんどん近づいてきているから、ここから逃げ出す奴も増えてるんだ。ただ、ここを離れると人間の街に近づくことになる。そうなったら」
「人間に捕まって奴隷にされるのか?」
「そういうこった」
バイロンさんは肩を竦めて、明るく笑う。
何だか、会話の内容の重さとは似つかわしくない、明るい笑顔だった。
「ああ、いたいた!」
そこへ、聞き覚えのある声が響いた。
凄い勢いで走ってきたのは、満面の笑みを浮かべたニールだった。彼はわたしたちの目の前で急停止すると、わたしの手を掴んでぶんぶんと上下に振った。
「ありがとう! あんたたちのお蔭だ!」
そう叫んだ少年の後頭部を、今度は見知らぬ男性が叩いた。
「恩人になんて口の利き方だ! もうちょっとちゃんとお礼を言え!」
ニールの後を走ってきた男性――ニールの顔立ちによく似た、十代後半の少年。多分、ニールのお兄さんなのかな、と思う。
狼の耳と尻尾を持ったその少年は、わたしたちに深々と頭を下げて続けた。
「あなたたちのお蔭で母の命が助かりました。本当にありがとうございました。ぜひ、お礼をさせていただこうと思っていますので、我が家に招待させてください」




