第八話 浮上する確執 Ⅱ
「――ちょっと。お通夜の受付みたいな空気出すのやめてくれない?」
ビラ配りから戻った淑乃が呆れたように言った。ごもっともだと思った俺は、淑乃に後を託して音楽準備室へ入る。
「美月、かあ」
たまたま居合わせた日向に尋ねてみると、彼女も気まずそうな顔をした。
「え、お前も仲が悪かったのか?」
「いや、なんていうか……。逆、かな?」
「逆?」
「めちゃくちゃ慕われてた」
自分で言うのは気恥ずかしいらしく、日向は顔を逸らした。
「たぶん、あたしが死んじゃったのって、部員達が拗れた一番の要因だと思う」
「そういう大事なことはもっと早く言ってくれ……」
自宅から持参した電気ケトルでお湯を沸かし、インスタントコーヒーを作りながら俺はため息を吐いた。
「もともと水と油だからさ、今の三年生と二年生って。あたしが双方のガス抜きをしていたの。そうすると自然に、美月達にとっては唯一頼れる先輩みたいになっちゃってさ」
「それはわかるけど、三年生は日向の遺志を尊重して部活を続けている訳だろ? それなら二年生も同調しそうなもんだが」
「あたしが死んだのって、定期演奏会の練習をしている時期だったんだ」
再び定期演奏会というワードが出てきた。
「本番までに仕上がらないって淑乃達が焦っちゃってさ。その日は二年生も渋々付き合って、けっこう夜遅くまで残って練習してたんだけど……。あたし、その帰り道で事故に遭ったんだ」
「つまり、無理して遅くまで練習したせいでお前が死んだから、後輩達が反発した、と?」
「あたしの推測だけどね」
日向というあまりにも大きな存在が失われた事実は、思春期の高校生にしてみれば誰かを悪者にしないと消化できないほどショッキングな出来事だったのかもしれない。
俺はコーヒーを啜りながら考えを巡らしたが、プレストのコーヒーと全然違うな、というどうでもいいことばかりが頭に浮かび、なかなか良い案を思いつくには至らなかった。
♭
翌日の放課後。この一週間、校内を歩き回っていても一度も通報されなかったことに味を占めた俺は、放送室を訪れていた。もちろん絵理子に依頼して鍵を受け取った上で入室しているので違法ではない。無人の放送室はがらんとしていたが、俺が生徒だった頃とほとんど変わっていないように見える。当時も校内放送をしたことがあるので、機材の操作は把握済みだ。アナウンスを流すだけならたいして難しくない。
「二年三組、汐田美月さん。音楽準備室へお越し下さい。繰り返します――」
無い知恵を振り絞ったところで、俺には実力行使しか思い浮かばなかった。これでは三年生達のことを揶揄できないのだが、実際策を弄する時間も惜しいし、本人と直接話をするのが手っ取り早い。幸いにも、放送室の場所は音楽室とさほど離れていない。俺は機材の電源を切ると、扉を施錠してから小走りで音楽準備室へ向かう。
「――あなたが噂の不法滞在者ですか?」
開口一番、汐田美月はそう言い放った。
「あ? この学校は就労ビザでも発行してんのか?」
ムカついたので売り言葉に買い言葉で返すと、美月はわざとらしく舌打ちをした。腰まで掛かる黒髪と白いカチューシャが印象的な彼女は、足を組みながら俺がいつも座っている椅子にふんぞり返っている。お嬢様というか、王女様みたいだ。
「大人しく来てくれたと思ったら……」
俺が肩を竦めると、美月は俺を睨みつけた。
「ちょうど私も気になっていたんです。指名手配犯みたいな人相の怪しい男が、いつの間にか吹奏楽部を乗っ取ったんですから」
いきなり突っ込みどころ満載だ。
「部活紹介の玲香のスピーチを聞いてなかったのか? 俺は本物のOBだよ」
「ええ、存じておりますよ。『歴代最悪の部員』の秋村さん」
勝ち誇ったように美月が言った。弱みでも握っているつもりなのだろう。
「知っているなら話が早い。俺は当時の責任を果たすためにここへ来た。君の父親だって了承済みだ」
「でも、部員を獲得できなければ廃部なんですよね?」
「……ん?」
「え?」
「あ、ああ、なんでもない。その通りだ」
途轍もない違和感を覚えた俺は、かなり狼狽えてしまった。
「で、どうして私を呼び出したんですか」
「君や他の二年生達に復帰してもらおうと思って」
素直にそう告げると、美月は豪快に笑い始めた。やはり生徒会長の輝子と同族である。
「受け入れるとでも思っているんですか? おめでたい頭ですね」
もはや生半可な毒舌では何も感じない体になってしまったのが悲しい。
「でも、君らは退部届を出していないんだろう? ただのサボりじゃないか」
「違います! 先輩方が役目を終えてからが新たな吹奏楽部の始まりなんですから!」
「……ほう?」
「練習ならカラオケとかでしてますし。たまにですけど」
「なんでそこまでして先輩との接触を拒むんだよ」
呆れたように言うと、美月は俺を睨みつけた。
「あの人達は日向先輩に呪われているんです!」
「は?」
つい、部屋の隅で話を聞く日向へ視線を向けると、彼女もきょとんとしていた。亡者ではあるが悪霊でないことは俺も理解しているので、美月の言い分がめちゃくちゃであることはたしかである。
「そもそも先輩達が無理に練習のスケジュールを組んだせいで日向先輩は……。それに、日向先輩がいなくなってからの先輩方も、それはもう取り憑かれたように練習しかしなくなって……」
当時のことを思い出したのか、青ざめた顔をした美月の体が小刻みに震えている。
「挙げ句の果てにいろんな問題事ばかり起こすようになってしまうなんて」
「つまり、付き合いきれなくなった訳か」
以前に絵理子が挙げた悪行の数々は、三年生達が勝手にやったことのようだ。まあ、そんな異常者が先輩だったら逃げ出したくなる気持ちもわかる。
「簡単に纏め過ぎです!」
彼女がつい大声を上げた、その時。
「――美月ちゃん?」
怯えたような声が入口から聞こえた。
「……萌波先輩」
きまりが悪そうに目を逸らしたのは美月である。
「久しぶりだね……。あの、美月ちゃ――」
「もう話すことはありません! ごきげんよう!」
いきなり立ち上がった美月は、萌波の言葉を遮って走り去ってしまった。
「お前、どれだけ嫌われてるんだよ」
泣きそうな顔で立ち尽くす萌波は、何も返事をしない。同じパートだったようだし、因縁も深そうである。
「どうしたんだ?」
ここを訪れた用件を尋ねると、ようやく萌波は顔を上げた。
「……いえ、メトロノームを取りに来ただけです。失礼しました」
居心地が悪かったのか、彼女はそそくさと退室した。
「ちょっといい?」
今度は淑乃がやって来る。息を吐く間も無い。
「なんだ?」
「入部届って、どこに保管しておけばいいの?」
さらっと、淑乃は重要な事実を告げた。
「入ったのか!? 何人だ!?」
「三人だけど」
「もっと嬉しそうな顔しろよ」
「だって、まだ全然足りないじゃん」
「そりゃそうだが……」
なんにせよ、朗報ではある。俺は適当なファイルを渡した。
「ねえ。さっき美月を呼び出したのって、あんた?」
「そうだけど、もう帰ったよ」
「……ふうん」
何やら香ばしい気配が漂ってきたので、俺は釘を刺すことにする。
「頼むから揉め事だけは起こさないでくれよ。今トラブルが起きたら全部水の泡だ」
「そんなことわかってる」
全然わかっていないような戦闘的な目をしているので全く信用ならないが、淑乃もそのまま第二音楽室へと戻っていった。
「なあ」
「何?」
「二年生も、けっこう頭が弱い連中なのか?」
日向に問い掛けると、虚を衝かれたような顔をされた。
「どういう意味?」
「いや、さっきの美月の話さ。いろいろおかしいだろ」
「……二年生は割とまともだよ。まあでも、美月はちょっと特殊かも。なんと言っても校長の娘だし」
「そういうもんか」
鳴り響くことのない内線電話を見つめながら、俺は今後の作戦を練るのだった。




