第六話 クラリネッティストの憂鬱 Ⅱ
クラリネットは便利屋みたいなパートだ。同じ音域でも、トランペットのような華々しさは無いし、サックスのようにビブラートを利かせることも基本的に無い。そもそも楽器本体は真っ黒だし、最前列にいるフルートの方が目立つ。音域が広いせいで、旋律だろうが和音だろうが駆り出されるため演奏中の休みも少ないわりに、それが当たり前だと思われているので労われることも無い。俺の中で、クラリネットはいぶし銀の楽器である。
「だから、たまにソロが出てくると燃えるんだよなあ。お前はそうじゃないのか?」
「……そんな卑屈なことを考えながらこの楽器を吹いてません。全国のクラリネット奏者に謝ってください」
「お前さっき自分のこと根暗代表って言ってただろ」
「揚げ足を取らないでください!」
「面倒臭えな……」
璃奈はいつもソロの序盤で躓く。たしかにアーティキュレーション(音と音の繋がりに表情をつけること)は難しいが、合奏中の璃奈はソロの導入のドラムとティンパニの伴奏が始まった途端にいつも死にそうな顔をするので、細かい技術以前の問題だと思う。
「……秋村さん、去年のコンクールの自由曲は聞いたんですか」
「そういえば、課題曲しか聞いてないな。後で聞いてみ――」
「聞かなくていいです!!」
反射的に俺は日向の方を向いたが、彼女は露骨に視線を逸らした。まあ、課題曲の時点で散々な演奏だったので、自由曲の出来がどうであれ驚くことは無い。地区大会で終わったという結果も知っていることだし。
「私以外のクラリネットの二人。どう思いますか?」
「上手だと思うよ。たしか一人は去年から楽器を始めたんだよな?」
「そうです。正直、私みたいな凡才がパートリーダーをしていること自体がおかしいんです。なのに、去年のコンクールでは何故か私がソロを任されて……」
やっぱり卑屈じゃないか。
「案の定、本番で失敗しました。頭が真っ白になって、取り返しのつかないことをしたって思っているうちに演奏は終わってました」
「ちなみに、どの曲をやったんだ?」
「『くるみ割り人形ファンタジー』です」
「そうか……」
つまりトラウマがフラッシュバックするせいでソロが吹けないということか。
「『先輩を差し置いてソロを任されたくせに』とか、『同じ二年生ならもう二人のどちらかの方がよっぽど良かった』とか、色々言われました。なのに……!」
璃奈はクラリネットを持っていない方の手を固く握った。
「『今回のソロも璃奈ちゃんしかいないね』って、あの二人は言うんです。こんな大事な演奏の場なのに! また私がぶち壊すと思ったら……」
わなわなと震える璃奈が、さすがに可哀想に見えてきた。
「慰めになるかわからんが、全国大会前にバンドそのものをぶち壊した俺よりは全然マシだと思うぞ」
「それは、まあたしかにそうですけど……」
否定されないのも、それはそれで悲しい。
「まず去年のコンクールは、お前のソロ云々よりバンドそのものがダメだったんだろ。それに自由曲の選曲からしてセンスを感じないよ。選んだのは絵理子か?」
「……はい」
面と向かって絵理子を糾弾する意思も勇気も無いが、あのバラバラなバンドで『くるみ割り人形』など、纏まる要素がどこにあるだろう。たしかに玩具箱をひっくり返したような曲ではあるが、そもそもバンド自体が玩具でぐちゃぐちゃになった子供部屋みたいなのだから、聞くに堪えない演奏であったことは想像に難くない。
「それと、あの二人以上にお前は上手だと思うけど」
「気休めを言わないで下さい!」
「事実だ」
「口だけなら、どうとでも言えます……」
俺は心底うんざりした。このバンドが人間性に難のある集団であったことを改めて思い知る。こんな面倒なのがあと何人もいるかと思うと、先が思いやられる。
「じゃあ、俺が指揮台の横に楽器を用意して、ソロだけ吹いてやろうか?」
そう提案すると、璃奈の目がほんの少し輝いた。
「いいんですか!?」
「冗談に決まってるだろバカ」
「……」
とはいえトラウマが原因なら、無理矢理克服しろというのはパワハラかもしれない。それに、部内の合奏練習ですらまともに吹けないのに、聴衆がいる前で吹けるはずもない。
が、そんなことは当然わかった上で、前日までパート変更などをせずに練習を続けたのだ。
「お前は、他の二人とは決定的に違う」
「……え?」
「お前の音は、クラリネット特有の『艶』がはっきりわかる。そんなの、ソロを任せるに決まっているだろ」
「他の二人だって……」
「たしかに一定以上の水準ではある。音程も正確だし連符だって吹けている。でも、音色ばっかりは経験が物を言うんだよ」
俺の指摘に、璃奈は困惑している。
「いつから楽器をやってるんだ?」
「小学校ですけど……」
「立派じゃないか。それだけやってれば、一度ソロをミスするくらい誰だってあるんだよ。たまたまそれがコンクールだっただけで」
俺は畳み掛けるように言葉を重ねた。
「そんなことより、任せたくせに責任をお前に擦りつけた人間の方が終わってんだよ。先月卒業した先輩達が言ったのか? そもそもバンドが低レベルなのに、どの口で言うんだか。お前のミスは、演奏が止まるほどのものだったのか? せいぜいリードミスをしたとか、その程度じゃないのか?」
図星だったようで、璃奈は何も言わず俯いた。
リード楽器は、意図せずに音がひっくり返ってしまうことがある。とくにクラリネットは発生しやすいが、必要以上に緊張状態であればなおさらだ。
「リードミスなんて、それこそ誰にだって起こるだろ。そんなことで自信を無くすな。お前は、いや、お前達は、当時の俺らよりもレベルが高いんだから」
「そんな! あんな演奏私達にはできません!」
条件反射的に否定した璃奈が必死なので、つい噴き出してしまう。
「そうか? 昨日、今日の演奏はだいぶ良かったぞ? 今までの経緯や現状を考えると仕方無いが、お前らは自己評価が低過ぎだ」
認めてもらおうとした結果として忌み嫌われている彼らの不器用さが、余計に自己否定を招いているこの現状を皮肉以外になんと表現すれば良いのだろう。
「それからな。奏者がどんなミスをしようと、演奏の責任を取るのは指揮者なんだよ。だから、明日の演奏が失敗したら全部俺のせいだ。お前らが気に病む必要は無い。もし部員が集まらなかったら――」
そこで俺のセリフはぶつ切りになった。俺自身、その先について考えていないことに思い至ったからだ。
「集まらなかったら……?」
不安そうに璃奈が続きを促してくる。
「……どうしようかな」
苦し紛れに笑って誤魔化すしか、俺に選択肢は残っていなかった。吹奏楽部が廃部になる責任など、俺一人では抱えようもない。
「泣きそうな顔をするな。さっきも言ったが、ソロの一つや二つで大勢に影響は無いんだよ。あれだけ自信満々な淑乃が、いきなりミスするかもしれないしな」
ははは、と俺が笑っても、璃奈は相変わらず暗い顔だ。
「わかったわかった。じゃあ、明日のソロは立って吹かなくてもいい。俺だけに聞かせるつもりで吹け」
ポップスのソロは奏者が輝く場所だ。立ち上がったり、楽器によってはステージの前まで来て演奏したりすることも多い。だが、そうしなければいけない決まりも無い。
「それから、リードって何番を使ってるんだ?」
「四番ですけど」
「四番!?」
端から見ればただの木の板みたいなリードも、厚みには数種類ある。番号が若ければ、音は鳴らし易いが濁った音色になる。逆に、厚くなると抵抗が増えて吹きづらいけれど澄んだ音色になる。初心者は薄いリードを使うが、厚ければ良いというものでもない。四番のリードは普通の楽器店に並んでいる物の中では最も厚く、使う者は稀だ。ブランドや商品にもよるし、五番というリードも存在は知っているが、実物を目にしたことは無い。
「ただでさえ緊張するのに、抵抗のあるリードを使ったら音が鳴らないに決まってるだろ。明日は三番を使え。未使用品を持ってきてやるから」
「でも薄くしたら音が開いちゃいますよ」
「それなら大丈夫だよ」
「どうしてですか」
「いいから三番にしとけ」
「でも……」
「俺はなんのために第二音楽室を『響かない部屋』にしたんだ? 楽器全体を鳴らして、芯の音でもしっかりアンサンブルできるように、わざわざあんな部屋を作ったんじゃないか。体育館で演奏すればかなり負荷は減るはずだ。いつもより薄いリードなら、もっと負荷がかからないし、コントロールだってしやすいだろ」
そこまで説明すると、璃奈ははっとして俺を見つめた。気づくのが遅い。
「せっかくのソロだ。気持ち良く吹けばいい。もし失敗したら好きなだけ俺を罵倒しろ」
「……わかりました」
そう答えた璃奈は、結局一度も楽器を吹かずに音楽室へ戻って行った。
「みんないろいろコンプレックスを持ってるんだな」
「そりゃ、これだけひねくれた集団だもん」
一部始終を眺めていた日向が開き直りながら言う。
「そういえば、お前はどのパートだったんだ?」
「あたし? お姉ちゃんと一緒だよ」
「トランペットか……」
楽器に性格が出るというのはこじつけだろうが、日向の楽観的な気性はたしかにトランペット向きだと思う。
「で、明日大丈夫なの? 失敗したら部活が無くなるんだよね」
「部員が獲得できなかったら、だが。まあ明日失敗したら事実上は終わりだろうな」
「終わったらどうするの?」
先ほど俺が言葉に詰まった問いを、日向は容赦無く浴びせてきた。
「……楓花に土下座して謝るさ」
「あたしはどうなるの?」
「成仏してくれ」
「する訳無いでしょ――」
「俺の策が嵌まれば」
日向の言葉を遮って、俺は自分に言い聞かせるように呟いた。
「きっと大丈夫だ」
猜疑心いっぱいの目で、日向が俺を見つめる。
「というか、自分の学校すら魅了できないバンドに、そもそも未来なんて無いだろ」
クラリネットを分解しケースにしまいながら言った俺に、日向はそれ以上何も聞かなかった。




