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エメラルド・サウンズは黎明に輝く  作者: 文月 薫
第二章 極星 ―― spiritoso
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第三話   埃を被ったエメラルド Ⅰ

 部活紹介で吹奏楽部の魅力を伝えるとしたら、趣向の違う曲を一曲ずつ演奏するのが効果的に思える。具体的に言えば、お堅いけれど格好良い演奏会向けの楽曲と、親しみやすくノリの良いポップスといった具合だ。ただ、おそらく確保できるであろう出番は十分程度が限界なので、二曲披露するとなると演奏可能な楽曲が限られる。

 俺は自分で選んだ楽曲候補のうち、まずは皆にポップス曲を提案した。

「『ディスコ・キッド』ですか……」

 クラリネットを抱えながら、璃奈が神妙な顔で呟く。

「なんでその曲なの? 『オーメンズ』でいいじゃん」

 けろっとした口調で淑乃が言ってのけるが、こいつは俺が昨日ボロクソにこき下ろしたことを記憶から抹消しているのだろうか。

「それも考えたが、各楽器をアピールする上ではこっちの方が良いと思ったんだよ」

 俺は『ディスコ・キッド』のスコアを顔の横に掲げながら答えた。

 この楽曲は数十年前のコンクール課題曲なのだが、これまでの数ある課題曲の中でも異色というか、かなりポップな曲だ。クラリネットのソロがあったりドラムセットを使用したりするなど珍しい構成であり、難度も高い。実際、全国大会でこの課題曲を演奏した中学校と高校は、一校も金賞を受賞していない。一方、耳馴染みの良いメロディーやドラムに乗せたアップテンポの曲調には多くのファンがおり、かつての課題曲でありながら様々な演奏会で披露されるほど人気が高い名曲なのだ。

 つまり、上手いバンドが演奏するととても映える。

「大前提として、お前らはめちゃくちゃ技術が高い。素人の俺が言ったところで嬉しくないかもしれんが、正直高校生のレベルじゃない。だからこの曲を選んだ」

 あまり褒められ慣れていないのか、部員達は気恥ずかしそうに俯いて黙ってしまった。扱いづらい奴らだ。

「玲香、ピッコロも吹けるか?」

「もちろん」

「紅葉はドラム叩けるか?」

「当たり前」

 頼もし過ぎる。

「俺もドラムやりてえんだけど」

 口を挟んだのは、パーカッションの男子部員である矢野誠一郎(やのせいいちろう)だ。かなり制服を着崩しており、吹奏楽部というより軽音部にいそうな見た目である。

「まあ、パート分けは任せるよ。そもそもお前らが挙げた曲の中にはほとんどポップスが入ってないからな。異論が無ければこの曲で決めたいが、どうだ?」

 学習したのか、意見の無い部員は小さく返事をした。

「……あの、この曲っていろんなアレンジがあると思うんですけど」

 蚊の鳴くような声で質問を飛ばしたのは、先ほど微妙な反応をした璃奈である。

「よく知ってるな。まあ今回は原典版を使うつもりだが」

「やっぱり……」

 璃奈は、同じクラリネットパートの部員二人と顔を見合わせた。

「何か問題か?」

「……い、いえ」

 おそらくソロを誰が吹くかということであろうが、璃奈はそれきり口を噤んでしまったので、俺は議事を進める。

「じゃあ、午前中は譜読みと個人練習をやってくれ」

 ぽつぽつと返事をしてから、部員達は散っていった。

 彼らが練習をしている間も、俺にはやることがある。


 ♭

 

「――またあなたですか」

 校長の汐田は心底うんざりした様子でため息を吐いた。

 いくら部員が楽譜を読み込んでも、披露する場が無いなら徒労だ。誰も食べない料理を作るようなものである。

 俺は昨日に続き校長室まで押し掛けて、汐田と面会していた。特別アポイントを入れてないのに再び会えた俺が幸運なのか、俺というゾンビみたいなOBに掴まってしまう汐田が不幸なのかわからないが、俺としては話ができればなんでもいい。

「今日はすぐにでもお暇します。邪魔はしません」

「既に邪魔なんですが」

 デスク上のパソコンに向かいながら汐田はばっさりと言い切った。日向の口の悪さが絵理子の教育のせいだとしたら、絵理子がそうなった元凶は汐田なのかと邪推するくらい容赦が無い。

「一つだけお願いしたいんです」

「ダメです」

「まだ何も言ってません!」

「あなた、お願いなんてできる立場なんですか?」

 うっかり税金を支払い忘れていたことを問い合わせた時の役所の人みたいな対応だ。

「それは重々承知です。理事長のありがたいご判断があっただけでも感謝しています」

「じゃあそれでいいじゃないですか」

「良くないから来ているんです!」

 俺が惨めにも食い下がると、汐田は「うざいなあ」と呟いた。それなりに風格がある初老の男のセリフとしては品位の欠片も無い。

「……用件は?」

 大袈裟に肩を竦めながら、汐田は妥協したように質問する。

「今度の入学式の後に行われる部活紹介で、吹奏楽部にも出番をいただきたいんです」

 依頼というよりもはや嘆願のような俺の要望に、汐田は初めて俺と目を合わせて少し思案した。どんな言葉が出てくるかと思うと気が気でない。

「なんだ、そんなことですか」

 汐田の言葉に拍子抜けする。

「え、いいんですか?」

「いや、部活紹介の幹事は生徒会なので。あれはあくまで生徒が自主的に行う行事ですから、私の裁量の範疇ではありません」

 つまり何が言いたいのだろうか。俺がぐるぐる思考を巡らせている間に、汐田は優雅にコーヒーを啜った。いい身分だな。

「生徒会が認めれば私に拒否権は無いということです。もっとも、生徒会を説得できるか怪しいものですがね」

 こいつも逆接から始まるセリフが全部憎たらしい。やはり絵理子の師みたいな奴だ。

「ああ、ついでに校長の立場からも一言いいですか」

「はい?」

「理事長はあのように仰っていましたが、もしも奇跡的に吹奏楽部の通常活動が認められたとしても、その後また問題行動を起こしたら、部は即刻廃部とします」

「はあ……え!?」

 平時のテンションでとんでもないことを言い出しやがった。

「当たり前でしょう。今回の件は仮釈放みたいなものなんですから。再犯をしたらまた収容されるのは当然です」

「収容どころか、いきなり極刑じゃないですか!」

「凶悪犯なので」

 いくら問題児とはいえ、自分の学校の生徒に向かってなんという言い草だろう。

「とにかく、部活紹介の件は生徒会へどうぞ」

 役所の市民生活課に行ったら「それは納税課ですね」と言われた体験を思い出した。どこもかしこもたらい回しが得意なようだ。そもそも納税課に用のある俺が悪いんだろうけど。

「……承知しました。すいませんでした」

 結局ボロクソに言われただけだったので、メンタルにかなりのダメージを負った。肩を落として扉に向かうと「次回からはちゃんとアポを取るように。社会人として常識ですよ」という死体蹴りみたいな言葉が背後から飛んで来たので、思わず「無職だよ!」と反撃しそうになる。しかし、その行為が反撃ではなくただの自害であるということに気づいた俺は、無言で一礼し部屋を去った。

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