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エメラルド・サウンズは黎明に輝く  作者: 文月 薫
第四章 夜明け ―― brillante
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第十七話  告白 Ⅱ

「――お前が、俺を?」

「はいそうです」

「刺した?」

「はいそうです」

 ずっと土下座したままの楓花は、機械みたいに延々と回答を続けた。

 そんな衝撃的な告白を聞いて、俺はどんなリアクションを取るべきか全くわからない。

「……いいから顔を上げなさい」

「いいえ無理です」

「無理じゃねえだろ。上げろって言ってんだよ」

「嫌です」

「じゃあもう帰る」

「え」

 俺が席を立った音が聞こえたのか慌てて楓花は上半身を起こしたが、直接顔を合わせたくないのか頭の上から毛布を被った。

「はい」

 ……仕方無い。このまま話を続けよう。

 その前に、俺はふと思い至ってサイドテーブルの引き出しを開ける。予想通りそこにはあの果物ナイフが入っていた。絵理子が戻しておいたのだろう。物騒なアイテムには違いないので、こっそりベッドの下へ忍ばせる。楓花の自供が本当だとして、改めて俺の命を狙うことはさすがに無いだろうが、万が一のこともある。実際絵理子は脅迫に使ったし。やっぱりあいつヤバいだろ。

「凶器は?」

「ポップスステージ用の小道具を作る時に使っていたカッターナイフです」

「計画的犯行なのか?」

「いいえ違います。たまたま外で後輩と電話をしていて、終わったタイミングであなたが通りがかったんです」

 こんな事務的な取り調べがあってたまるかと思ったが、まあここまでは良い。問題は次だ。

「動機は?」

「えっと……」

 やはり躓いた。

「むしゃくしゃしてやりました、か?」

「いいえ違います」

「じゃあなんだよ」

「己の心の弱さ故に……」

 また楓花はしくしくと泣き始める。泣きたいのはこちらだ。

 そういえば冒頭でちょっと挙動不審だったのは、このことをずっと胸に秘めていたからなのだろう。

「ちゃんと話しなさい」

「うう……」

 表情が見えないので彼女が何を考えているのか全然わからない。

「……あの当時、もう私は何をどうやっても事態が解決しないことに、相当焦ってた。経験が無かったの」

 日向も言っていたが、楓花は完璧超人だ。トラブルが起きても、たいていはなんとかなっていたのだろう。

「やっと念願叶って全国大会に行けるのに、どうして仲間割れなんてしなきゃいけないの? これまで普通に活動していた恭洋が、どうしてあそこまで晒し者にならなきゃいけなかったの?」

「指揮者はそういう運命なんじゃないか」

「は!? 指揮者に対して失礼過ぎるだろ!」

「ええ……」

 下手に口出ししない方が良いかもしれない。

「だんだん、恭洋を叩く後輩達が憎くなっちゃって。そんなの絶対ダメってわかってたのに。あなたを刺す直前の電話も、ほとんど喧嘩だったよ。でも、最後に言われちゃったんだ。『組織よりも個人を優先するなんて部長失格です』って」

「おい、それ言ったの誰だよ。見つけ出してぼこぼこに――」

「いいの。事実だから」

 言ったそばから口を出した俺に、楓花は冷たく答えた。

 俺としては納得いかない。組織を構成するのは個人だ。どっちが優先とか、そういう低レベルなことを言う奴に楓花を貶して欲しくなかった。

「みんな焦ってたんだから仕方が無いよ。その子も、まともな演奏をしたかっただけだろうし。ぼこぼこにされなきゃいけないのは私なんだよ……」

「しねえよ。やりづらいことこの上ないだろ」

 俺はため息を吐いた。

「……とにかく、もう限界だったの。同級生の中にも、私が恭洋にこだわり過ぎてるって声が上がり始めたから。正攻法であなたを守り続けるのは無理だと思った。だから……刺したの。恭洋本人も直接的な被害を受ければ体質の噂も紛れると思ったし、同情されるかなって。犯人は後輩の誰かだとみんな思うでしょ? さすがにやり過ぎたって、目を覚ましてくれないかなと思って。そんな身勝手なことを、恭洋の姿が見えた瞬間に考えてしまったんだ」

 犯罪や不正が起こるとき、動機と機会と正当化の三要素が存在するということはよく知られている。夜の人気(ひとけ)が無い学校でたまたまカッターナイフを所持していた楓花と、偶然通りがかった俺。精神的に疲弊した彼女が直前までしていた電話の内容。そしてこのままだと俺と吹奏楽部の両方を救えないという焦燥感。分析するまでもなく、起こるべくして起きた事件だと判断できるだろう。

「わかった。もういいよ。俺も無事だったし、そもそもお前がずっと引っ張ってくれたんだ。完璧超人でも魔が差すことはあるよ。話してくれてありがとう」

「違う! 慰めないで!」

 なんでこんな毛布お化けみたいな奴を慰めなきゃいけないんだ。

「そういうことじゃなくてさ。もともと俺は犯人捜しをしなかっただろ? この話はもうとっくに終わってるんだよ」

「違うの。そんな綺麗事で片付ける事件じゃない。だって私はあなたを刺すときに、憎しみを込めてしまったから。どうして私が頑張っているのに、こいつは澄ました顔で全ての悪を背負ったように振る舞ってるんだって。お前がちゃんと全部否定すれば丸く収まったかもしれないだろって」

「……」

「私は、あなたを守るどころか、憎んで傷つけた。お母さんとの約束も破った。何が完璧超人だよ。歴代最悪の部員は、恭洋じゃなくてこの私なんだよ!」

 毛布の中で叫んだ楓花は、そのまま言葉を続ける。

「恭洋は吹奏楽部どころか学校にも来られなくなって、全国大会もぼろぼろで……。結局、私は両方とも救えなかった。しかも恭洋はずっとひとりぼっちで……」

 似たような懺悔を以前にも聞いた気がする。

「ごめんなさい」

「……もういいってば」

 俺の声が投げやりに聞こえたのか、毛布がぴくりと震えた。

「いつまでその中にいるんだよ。具合悪くなるぞ」

「……」

 実際にしんどかったらしく、案外素直に楓花が顔を出した。真っ赤に充血した目には依然として涙が溜まっている。せっかくの整った顔が台無しだ。

「お前が言った通りだ。あの騒動は俺が不甲斐無いばかりに悪化していった。智枝にも言われたんだ。どうして指揮台を下りたらダメになるんですかって」

「でも……」

「それに、日向から聞いたよ。お前、全国大会の後に二週間も引きこもったんだって? 定期演奏会も控えているっていうのに部長のお前らしくないなって、ずっと思ってたんだ」

「……」

「後悔してたんだろ? だから先生になることが決まった後に、俺を誘おうとしたんじゃないのか?」

 図星だったらしく、楓花は何も言葉を返さない。

「むしろそんなことをしてくれたおかげで、お前だって六年も無駄にしてしまったんだ。でも意識を取り戻してくれた。俺はそれだけで充分なんだ」

「天罰だよ」

「……そんな身も蓋も無いこと言うな」

 俺自身、まさか楓花が犯人だなんて全く思わなかったけれど、どこか腑に落ちた感覚もあるのだ。ずっと味方だった楓花ですら追い込まれてしまった原因は、間違いなく俺自身にある。彼女だけが罪悪感を抱えなくてもいい。

「お前、退院したらどうするんだ?」

「え?」

 唐突な質問に、楓花は目を丸くした。

「やっぱり先生になるのか?」

「いや、まだそこまでは全然考えられてなくて――」

「なれよ。翡翠館に戻って来い。俺も絵理子も待ってるからさ」

「……」

 すっと一筋の涙が楓花の頰を伝う。

 目を閉じた彼女は何度も頷いた。

「……その二人がいるなら、戻らなくちゃね。あの学校に」

「ああ」

 それきり、病室には静寂が流れた。

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