第十六話 因果の真相 Ⅲ
――結局、ただの嫉妬や執着じゃないか。逆恨みに巻き込まれたこちら側は、たまったものではない。
音楽をやっている人間がそうなってしまうということが、俺にはどうしても許せなかった。
いったい何と闘っているんだ。どこに目を向けているんだ。
「その点、智枝ちゃんは踏み留まれたようで良かったです」
儚げに瑠璃が言った。たしかに、あいつも同じような考え方に囚われていたのかもしれない。
「あなたに家を追い出された後、いろいろ考えたんです。さすがに不幸が起き過ぎだ、と。絶対に夫は何か知ってるんじゃないかと思いました。だから私は楓花にあなたを託して、失踪した夫を探すことにしたんです」
「え?」
「翡翠館高校に入学したら秋村という同級生を探して、彼を吹奏楽部に入れなさい、と」
「じゃあ、こいつは最初から俺のことをわかって……」
「ええ。ただ、なかなか夫の行方はわからず時間だけが過ぎていきました。結局、この子達とまともに触れ合うこともせず両親に甘えてしまい……。私は母親失格です」
「父親の方が最低だろ」
「……間違いありませんね。ようやく彼の手掛かりが見つかったのは、楓花の事故が起きた直後でした」
「そんなに時間がかかったのか」
「ええ。彼は遠い異国の地にいたので。私はこの子と日向を置いて、彼を見つけに行くことを決めました。最後にあなたへ手紙だけ送って、私はこの国を離れたんです」
楓花の事故を知らせた、あの差出人不明の手紙。どこかで見た覚えのあるあの文字の主は、瑠璃だったのだ。
その時の彼女の心境など俺には知る由も無い。だが、寝たきりの楓花とまだ中学生かそこらの日向を置いて一人で海外へ行くことに、尋常ならざる覚悟が必要だったことはわかる。
「そこまでして知りたかったの?」
俺が聞くと、瑠璃はにっこりと口角を上げる。
「知りたいに決まっているでしょう。いくらあなたの世話をしていたとはいえ、妻である私まで呪いの対象になるなんて、いい度胸をしていると思いませんか?」
目だけは全く笑っていない彼女の言葉に、冷や汗が背を伝う。
「それに、あなたまでくだらない呪いに付き合わせ続ける訳にはいきませんでしたからね」
今度はちゃんと暖かみのある笑顔と言葉だった。
「ありがとう……」
「いえいえ。まあ、海外へ飛んだはいいものの、実際に見つけるまでまた数年かかったんですけどね。もうさすがの私でも発狂するかと思いました」
不謹慎にもその姿を一度見たいと思ったが、おそらくこの世の終わりみたいな光景になるのですぐに掻き消す。
「ようやく会えたのが、今年のバレンタインの頃でしょうか。――海が見える教会の裏に、彼は眠っていました」
「……え?」
「とっくに亡くなっていたんです。案内されたらお墓があるんですもの。驚きですよね」
何も言葉が出てこない。
「その教会には、夫が預けたという手記が保管されていました。自分を訪ねてきた者に渡して欲しいと」
それはもう手記というか遺書なのでは……。
「そこには、あなたの父親がどうしても邪魔で、自分が調べた禁術で呪いをかけてしまったと書かれていました。生まれてくる子どもも不幸になればいいと。でも、いざ実際にあなたの父親がいなくなると、音楽のイメージがさっぱり湧かなくなってしまった。そこで初めて、自分が今まで向き合っていたのは『音楽』ではなく『ライバル』だったと気づいたようです」
「そりゃ、コンクールも二位になる訳だ」
吐き捨てるように言うと、瑠璃は申し訳無さそうに下を向いた。
「……お父さんだけじゃなく、お母さんまで死んでしまって。もともと音楽関係の家柄である秋村家の親戚もあなたを介してどんどん不幸に見舞われていくところを見て、夫は疲弊していきました」
「何が疲弊だよ。だったら呪いを解けばいいじゃないか」
「ダメだったんです」
「は?」
「解けなかったんですって。だから、何も言わずに日本を飛び出たと。自分がいなくなれば効果も無くなるんじゃないかって」
「無責任にもほどがあるだろ!」
「声」
「あ、すいません」
「ただ、その後日向の両親が死んだことを知った夫は絶望しました。だって、彼らは秋村家とは無関係なのだから。そこで夫は、呪いの矛先が自らの周辺にも及び始めたんじゃないかと考えたそうです。まさに『人を呪わば穴二つ』……。だから夫は最終的に自ら命を絶ちました」
「なんだよ、それ……」
絶望するのはこちらの方だ。それじゃあ、誰も救われないじゃないか。
「夫の手記を持ち帰った私は、そういった『呪い』の類に詳しい専門家のところへ行って、一切を話しました」
「それ、ちゃんとした人なの? 詐欺とかじゃなくて?」
「私が会った感じでは、信頼できそうな人でしたよ。その方が言うには、術者が亡くなったなら『呪い』も消えているだろうって。まあ、素人の私にその真偽を確かめることなんてできないんですけどね」
「それであんたは『もう呪いなんてありません』って言ったのか」
県大会直前にプレストで瑠璃と再会した時のことだ。
「ええ。でも恭洋さん。そうなると一番気になるのは『夫がいつ死んだか』ということですよね?」
「あ、たしかに」
旦那さんが亡くなって呪いが解けたなら、それ以降に起きた災難は呪いとは無関係ということを意味する。
「十三年前の春です」
「へえ……」
年数で言われてもいまいちピンと来ない。
「あなたが高校に入学する直前です」
「……は!?」
素っ頓狂な声を上げてしまった瞬間、今度こそ楓花が目を覚ました。
「んむ……ん?」
寝ぼけ眼と目が合う。
「んん? もしかして、恭洋?」
「……ああ。そうだよ」
「ずいぶん久しぶりだねえ」
こっちまで眠くなるようなのんびりした口調だが、間違いなく十年ぶりに聞く楓花の声であった。
「楓花。すぐ戻るからちょっと待っていてくれ」
「え?」
「瑠璃さん、ちょっと」
俺は瑠璃を連れて一度病室を出た。まだ話が途中だったからだ。
「さっきの、本当か?」
「何が?」
「だから! 俺が高校に上がる頃にはあんたの旦那さんが亡くなってたって」
「そうですよ」
「じゃあ、楓花と日向はたまたま事故に遭ったっていうのか? そんなことがあるかよ!」
「恭洋さん」
「それが本当なら、この十年はいったいなんだったんだよ! 高校の最後だって――」
パン、と乾いた音が鳴った。
「恭洋さん。病院で大声を出すような無礼をあなたに教えたつもりはありません」
俺の頬を打った右手を下ろしながら、静かに瑠璃が言った。
「でも、こんなのって、あまりに……」
「ごめんなさい。全て私と夫のせいです。でも……」
瑠璃は病室の扉をちらりと見てから俺の方へ向き直る。
「楓花は目を覚ましてくれた。日向もあなたと絵理子ちゃんのところに現れてくれた。そしてあなたは自分の力で呪いを克服しようとして、仲間ができた。自分勝手ですけど、本当に良かった」
「……そもそも、あんたは何も悪くないだろ」
「いえ。夫を一人にさせてしまいましたから。――さて、後は若いお二人で楽しくやってください」
「なんでいきなりお見合いみたいなこと言うんだよ」
「いいからいいから」
「え、おい、ちょっと!」
強引に病室へ戻された俺は、ぽかんとする楓花に対して愛想笑いを浮かべることしかできない。
「では、ごゆっくり」
にやにやしながら瑠璃はドアを閉めて、どこかへ行ってしまった。
「……とりあえず座れば?」
楓花に促されて、先ほどまで自分が座っていた椅子に再び腰掛ける。
「……廊下、寒くなかった?」
「いや、大丈夫」
「そう……」
「……」
やりづらいわ!