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エメラルド・サウンズは黎明に輝く  作者: 文月 薫
第四章 夜明け ―― brillante
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第十六話  因果の真相 Ⅱ

 室内には空調の作動音だけが微かに漂っている。

「――あなたのご両親は、私の世代の希望の星でした。どちらもコンクールで優秀な成績を残し、海外のオーケストラとも共演するような……」

 それは知っている。

「でも、当然ライバルも多くて。そのうちの一人が、後に私の夫となる男だったんです」

 初めて知った、というか瑠璃の素性についてはもともと全く情報が無い。楓花と日向の母親だということも知らなかったくらいだし。

「あなたの両親と私達夫婦は、同じ音大の出身なんですよ」

「え、あんた音大出てんの!?」

「はい。専攻はアルトサックスでした」

「そうだったんだ」

「ちなみに夫は指揮科でした」

「指揮ってことは、父さんと同じ……」

「ええ。私はプロを目指すつもりは無くて、もともと教員志望でした。翡翠館に通ってる時は吹奏楽部にいましたし、いつか役立つだろうと思って全ての楽器の奏法を勉強したんです」

 それで俺にも全部教えられたのか。

「問題は夫です。どうもあの人、あなたのお父さんのことになると周りが見えなくなることが多くて。それ以外は至って普通の好青年だったんですけど」

「そもそも瑠璃さんはどうやって知り合ったの?」

「たまたまです。ふふふ」

「そ、そうですか」

 妙に迫力のある微笑みが返ってきたのでそれ以上の追求はやめた。まあ、出会いっていうのは広い意味で言えば全部たまたまだしな。太平洋くらい広い意味だけど。

「大学卒業前の、最後の国内コンクール。それまで既にいくつかの賞を取っていたあなたの父親は、参加しないものだと思われていました。逆に、その時点でとくに受賞歴も無かった夫は最後のチャンスだと思っていたんです」

 正直、どんなコンクールか知らないが、学生がそう容易く何人も受賞できるようなものじゃないと思う。身内のことで恐縮だが、父が天才だっただけであって、瑠璃の旦那さんが神経質にならなくても良かったのではなかろうか。

「ただ、出ちゃったんですよねえ……」

「は?」

「あなたのお父さん。空気を読まずに出場しちゃったんですよ」

 そんな身内の恥みたいな話は聞きたくなかった。

「で、一位を取っちゃって。二位が夫」

「……なんかすいません」

「あなたが謝ることではありません。それに、二位でも充分立派だと思いますよ。そもそも夫はまだ学生だったのに焦り過ぎでした」

「それ、母さんは何も言わなかったの?」

「良い質問ですね。ずばり、あなたのお母さんは、お父さんをめちゃくちゃ応援してました」

 どこが良い質問だ。夫婦揃って頭の中がお花畑か。

「しかも! うちの夫はもともとあなたのお母さんに惚れていたんですよねえ」

 救いは無いんですか。

「つまり、私の夫はあなたのお父さんに、成績もプライドも女も持っていかれてしまったんです!」

「ねえ、なんでそんな興奮してんの? あんたの旦那だろ?」

「……すいません取り乱しました」

 サイドテーブルに置いてあったペットボトル入りのお茶を一口飲んで、瑠璃は再び冷静になった。

「問題はその後なんですよ。私は彼の支えになりたいと思って結婚しましたけど、最初のうちは客演指揮者として地方のオーケストラに呼ばれるのが年に何回か、といった感じで。それでも地道に活動を続けてようやく大きな舞台に上がるチャンスが巡ってきたのですが、タイミング悪くインフルエンザに罹ってしまったんです。その公演の代役の指揮者が、あなたのお父さんでした」

 旦那さんのツキの無さも凄まじいと思う。

「そこからです。夫がおかしくなったのは。ちょうど楓花を身ごもった頃でした」

 ふと、今さらながらこの人ってもうわりといい年齢なんだよな、と思い至った。家政婦をしていた頃と比べると歳を重ねた感は否めないが、それでもまだまだ若々しく見える。

「人が真面目な話をしているのに、どうでもいいことを考えていますねえ。お仕置きされたいんですか」

「怖えよ」

 褒めたのになんでだ。

「……とにかく、あの頃の夫は精神的に相当参っていたんですが、私は楓花の出産でフォローもできなかったんです。そうこうするうちに、秋村家ではあなたが生まれ、木梨家では楓花が生まれた。そしてあなたを産んですぐ、お母さんは亡くなってしまった」

 そう繋がるのか。

「すると、お父さんも翌年には後を追うように事故に遭って……。本当に痛ましいことでした。この国の音楽界においても、もちろんあなたにとっても。ずっと気にしていたのですが、あなたの状況を知ったのはようやく楓花の育児が落ち着いた頃でした。親戚中をたらい回しにされていると。しかも行く先々で凶事が発生すると」

 そのあたりまで来ると俺も(おぼろ)ながら記憶があるので、説明されなくてもわかる。結局小学三年に上がる頃、最後の引き取り手にも家を追い出されたのだ。遠い親戚だったが、どんな関係だったかまでは覚えていない。

「あなたの行く宛が無くなる、ほんの少し前に私の夫もいなくなりました」

「……いなくなった?」

「ええ。失踪してしまったんです」

 突然の衝撃的な告白に理解が追いつかない。

「どうすれば良いか、私も混乱しましたが……。ひとりぼっちになったあなたの状況を知って、育てることを決めたんですよ」

「楓花は?」

「私の両親に面倒を見てもらいました。幸い、すぐに会える距離ですから頻繁に帰ってましたし」

「そうか……」

 俺はずっと瑠璃のことを本職の家政婦かと思っていたので、見かねた親戚の誰かが雇ってくれたのだろうというくらいにしか考えていなかった。まさか、俺の両親と関係があったなんて……。

「そういえばさ。日向って、本当にあんたの子なのか?」

「なんですかその失礼な質問は」

 瑠璃はすぐに窘めたが、いつもの微笑にほんの僅かな硬さがあることを、俺は見逃さなかった。

「年齢を考えると、あんたがうちにやってきて一、二年で日向が生まれたことになるよな? でも当時あんたが妊娠していた記憶も、長期間不在だった記憶も無いからさ」

「無駄に物覚えはいいんですね」

「うるさいな」

「……まあ、あなたの言う通りです。日向は私の夫の姉夫婦が授かった子ですよ」

「じゃあ、どうしてあんたのところに?」

「あなたの父親と一緒です」

「は?」

「生まれてすぐ、二人とも交通事故で亡くなりました」

「おい、嘘だろ?」

「今さら嘘を吐く意味があるんですか?」

「人が死に過ぎだろ!」

 頭痛がしてきた。サスペンスじゃないんだから。というか、俺の周囲の人間はなるべく外出を控えた方が良いのではないか。こう何人も事故に遭っているのは、そういう車両を引き寄せているとしか思えない。

「それも含めて『呪い』だったというのがわかったのは、つい半年くらい前の話です」

「呪いって……」

「あなたの体質云々だけではありません。私の夫は……」

 瑠璃は一度言葉を詰まらせた。そして俺の方を改めて眺めてから深く息を吐く。

「……私の夫は、あなたの父母を呪っていたんです。どこで知り得たかもわからぬ怪しい手段を使って」

「そんなオカルトがあってたまるかよ」

「あなたが言うんですか?」

「それは、たしかにそうだけど……。いったいどんな内容の『呪い』なんだよ」

「秋村に関する者が不幸になること。ただそれだけです」

「は? そんな漠然とした呪いに、俺達はずっと振り回されてきたって言うのか!?」

「恭洋さん、声」

「あ」

 つい立ち上がってしまった俺が目線を下げると、寝ている楓花が呻く。

「曖昧な内容のせいで、あなたの体質が形成されてしまったのかもしれません」

「そんな……」

 俺は力無く椅子に座り直した。

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