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エメラルド・サウンズは黎明に輝く  作者: 文月 薫
第四章 夜明け ―― brillante
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第十五話  未来への約束 Ⅱ

 リハーサルでも一通り確認したので全く心配していなかったが、玲香と美月のコンビはかなり相性が良かった。たいてい美月が話を振るのだが、玲香の返しがめちゃくちゃなのだ。会話が成立するギリギリですらあったが、聴衆にはけっこうウケているようである。

 部員に関しては第一部でも「ヤバい人達」だということが仄めかされていたし、実際にそれを知る者が客席にもいるので、おそらく玲香の司会から滲み出る独特な雰囲気を素直に感じ取っているのだろう。

 今回のステージは、寸劇も歌唱もダンスも無い。吹奏楽部のポップスステージと言えば、わりとなんでもありのイメージだが、今日はエンターテインメントのほとんど全てを演奏に注ぎ込んでいる。音楽しかないと豪語する三年生達を尊重したからであるが、二人の司会は堅苦しさを和らげてくれている。

 肝心の演奏も、非の打ち所が無かった。とくにソロを担当する奏者のレベルが高過ぎて、一周回って笑えてくる。

 目論見通り、さまざまな情感の楽曲が散りばめられているおかげで観客も楽しめている様子だ。

 今さらながら、定期演奏会の前からこれと言ったトラブルが起きていないことに思い至る。

 本当に俺は解放されるのだろうか。

 解放されたとして、俺はこの先どうしたら良いのだろう。

 まずは、目を覚ました楓花のところへ行くべきだろうが……。

「――ちょっと、本番中に何をぼうっとしている訳?」

 絵理子の声で現実に戻される。

 今は淑乃が指揮を振っており、俺は舞台袖で待機している。

「……絵理子。今までありがとうな」

 自然と口から感謝の言葉が漏れると、彼女は少し驚いてから苦笑した。

「もっと早く言いなさいよ」

「はいはい、すいませんね」

 どこまでも可愛げの無い絵理子だが、最後まで不協和音なのが俺達には合っているのだろう。

 楽曲が終わり、拍手が起こる。

 遂に、ラスト一曲とアンコールを残すのみとなった。

『――楽しい時間は本当にあっという間ですね! この第二部も、そろそろ終わりが近づいてきました!』

 美月が元気良くアナウンスすると、場内から「えー!」と不満の声が上がる。奏者冥利に尽きるというものだ。

『ありがとうございます。私達はまだまだこれからも皆さんの前で素敵なエンターテインメントを披露できるように頑張っていきます! ね、先輩!』

『いや、私は今日で引退なんだけど』

『そこは私達を応援してくださいよ!』

 終わりを感じさせない軽妙なトークが続く。

『改めまして、今年一年部長を務めさせていただいた私から、ご挨拶を申し上げます』

 ――ん?

 俺はつい絵理子と顔を見合せた。玲香の言葉が、もともとの台本には無いセリフだからだ。

『ここにお集まりの皆さん、そして配信でご覧の皆さん。今日はたくさんの方に私達の演奏会をお届けすることができて本当に幸せです。ありがとうございました。また、今日を迎えるにあたりご尽力いただいた皆様にも感謝を申し上げます』

 玲香が話す後ろでは、何やら舞台配置を変えているような音が聞こえる。いったいどうしたと言うのだ。まさかここまで来てトラブルでも――。

「恭洋。とりあえず玲香の話を聞きましょう」

 冷静な絵理子の声が少しだけ俺の心を落ち着かせた。

『十年前、まだ小学生だった私が初めて聞いたブラスバンドの音色は、黄金期を迎えていた翡翠館高校の演奏でした。あの「エメラルド」のサウンドに憧れた私達を導いてくれた人物こそ、指揮者の秋村さんと、顧問の狭川先生――まさに当時の奏者だったんです』

 なんだか(くすぐ)ったい。

『正直、どちらもまともな大人かと言われると、大きなクエスチョンマークがついてしまうのですが……』

 上げてから落とすのやめろ。

『二人とも、十年間ずっと責任を感じていたからこそ「エメラルド」を復活させたいという私達の気持ちに応えてくれたんじゃないかって思うんです』

 挨拶の途中で、舞台袖が少しざわざわし始めた。どうやら誰か訪れたようだ。

「こんなタイミングでいったいなん、だ……」

「こんにちは」

 目の前に突如として現れたのは、メガネを掛けた少女。そしてその後ろには十名程度の男女がいる。

「お前……」

「覚えていてくれましたか? あの時はありがとうございました」

 軽くお辞儀をしたその少女は、記憶が正しければ合唱部の部長だ。たしか名前は……。

「八神です」

 そう、八神菜々花だ。ちょっとリアクションに癖がある気弱そうな女子生徒。「あの時」というのは俺が伴奏を手伝った際のことだろうか。

「どうしてこんなところに?」

「皆さんからお願いされたので。できることがあれば言ってくださいと、あなたにも伝えたじゃないですか」

「たしかにそんな話もしたような……。あっ、ちょっと!」

 記憶を辿る俺を無視して、集団はそのままステージへ上がってしまった。彼女が先頭ということは、おそらく合唱部のメンバーなのだろうが……。

『――さて、今日はあいにくゲストを招くことができなかったのですが、そんな私達のために駆けつけてくれた方々がいます。翡翠館高校合唱部の皆さんです!』

 スポットライトに照らされた合唱部が一礼すると拍手が起こった。

 これはいったいどういうことだ。全く聞いてない。

 絵理子も呆然としたままステージを見つめている。

『これまで吹奏楽部を守り続けてくれた狭川先生。そして、廃部寸前の私達を救ってくれた秋村さん。今まで言えなかったけど、みんな二人のことが大好きです。そんな二人へ、私達から最初で最後のプレゼントを贈ります。そして、今日このステージをご覧いただいている皆さんと、天国にいる私達の大切な仲間への感謝を込めて、一曲披露したいと思います。聞いてください。――「心の瞳」』

 優しく滑らかなグランドピアノの伴奏が始まったのを聞いて、俺は瞬時に全てを理解した。

 第二部の舞台上にピアノを配置したのは、このためだったのだ。それから、平日の夕方に俺と絵理子を遠ざけたのも、合唱部と練習をしていたからに違いない。吹奏楽部の練習後では夜遅くになってしまうから、夕方だったのだ。

 ――コーラスが始まる。

 若々しく澄んだ声が。そしてその歌詞が。

 じんわりと俺の心に染み込んでくる。

 中学校の合唱コンクールでおなじみのこの曲だが、当時の俺は聞く度につらく苦しい気持ちを抱えた。

 俺は「愛」なんて知らずに育ったから。

 愛される資格など無いと決めつけていたから。

 でもそれは、とんでもない大間違いだった。

 ずっと俺を育ててくれた瑠璃も。

 高校卒業まで気にかけてくれた渋川も。

 指揮者として認めてくれた芳川も。

 俺にはずっと、大切な物が見えていなかったのだ。

 ――そして巡ってきた、この半年間。

 こんなどうしようもない男を、周囲はいつも助けてくれた。

 こんなどうしようもない大人を、奏者は受け入れてくれた。円陣に加えてくれた。

 今なら俺にもわかる。

 愛するということも、絆の意味も。

 ずっと遠回りをしていたけれど。

 みんなのおかげで、ようやく気づくことができたんだよ。

「こんなの……ずるい……」

 思わず床に膝をついて涙を拭っていた俺が隣を見ると、絵理子も嗚咽を漏らしながら号泣していた。

 それを見たら俺も限界を超えた。

 大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちて、舞台袖の床に大きな染みを作る。

 というか、歌詞がヤバすぎる。語彙が消失するのも仕方が無いくらいに俺達を包み込んでくるのだ。合唱そのものも表情豊かに優しく語り掛けてくるし、少ない人数の男子達が一生懸命歌っているところを見ると、こっちの感情がぐちゃぐちゃになる。

『音楽を演奏するなら、相手の「心」に届けないとね』

 俺の頭の中で、もう何年も前に楓花が言ったセリフが蘇る。

 ……ああ、もう充分に届いた。

 俺も、こんなバカみたいに最高なサプライズを用意してくれたみんなのことが大好きだよ。

 ありがとう。

 ――ピアノの音が静かに消えると、場内は暖かい拍手に包まれた。

『では、このまま最後の曲に行っちゃいましょう!』

 寒暖差の激し過ぎる美月の司会が始まっても、俺はその場を動けない。絵理子も同じだ。

『少しお待ちいただけますか? 指揮者の方が泣き崩れてしまって……』

 スタッフの女性がアナウンスで横槍を入れる。反射的にマイクの方を見ると、悪戯っぽい微笑みを返された。心無しか目元が赤く見えるのは気のせいだろうか。

 というか恥ずかしいからやめて欲しい。

「余計に出て行きづらくなったでしょうが!」

 囁やき声で怒鳴ってもスタッフはどこ吹く風である。会場からも「秋村頑張れー!」とか聞こえる。どうして俺限定なんだ。

「ひえっ……。そんなぐしゃぐしゃになって大丈夫ですか?」

 舞台から戻った菜々花が俺を見て言った。誰のせいでそうなったと思っているんだ。

「早く行ってあげてください。みんな待ってますよ」

「あー! わかったわかった!」

 俺が立ち上がると、パーカッションの紅葉が勢いよく走ってきた。

「ほら! 先生も行くよ!」

 手を取られた絵理子が狼狽えているのを無視して、紅葉はステージに連行していく。

「ちょっと、どういうつもりよ!」

「まあまあ。最後くらい先生も一緒に楽しみましょうよ。衣装だってバッチリじゃないですか」

「あああああ!!」

 どうやら、最初からそのつもりだったらしい。着替えを断れなかった絵理子が百パーセント悪い。

 ステージに上がると、舞台配置がめちゃくちゃになっていた。それでも奏者達は楽器を持って準備万端みたいな顔をしている。この際、細かいことはどうでも良いのだろう。楽譜も暗譜しているはずだ。

 全員がスタンディングのまま、司会のアナウンスを待つ。唯一座っているのは、ドラムを担当することになったらしい絵理子だ。あまりにも無茶振り過ぎて爆笑しそうになる。

『最後にお届けするのは、今年の入学式の日に披露した楽曲です! 私達も全てを出し尽くしますので、どうぞお楽しみください! 今日は本当にありがとうございました!』

 美月がマイクを置いた。

 冒頭を奏でる絵理子と玲香に視線を送る。いきなり最前線に送られた兵士みたいな絵理子だが、どうやら腹を括ったようだ。

 指揮棒を動かすと、軽快なピッコロの旋律が始まる。そして、段々と盛り上がるメロディーの頂点で――。

「ディスコ!!」

 奏者と会場から、今日一番の歓声が上がった。

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