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エメラルド・サウンズは黎明に輝く  作者: 文月 薫
第四章 夜明け ―― brillante
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第十話   移ろいゆく季節 Ⅰ

 比較的標高が高いこの地域は、秋風が吹き始めるのも早い。夏休みが終わる頃には鈴虫の音色が聞こえ始めた。とはいえ日中の残暑はいまだ厳しく、長袖に戻すには尚早な気候だ。

 ――コンクールが終わって、あっという間に半月ほど経過した。

 あの日、喝采を浴びた俺達は片付けも早々に帰校したが、奏者達は「悪夢」を表現した後とは思えないくらい澄み切った笑顔を浮かべていた。俺が号泣しそうになるから本当にやめて欲しかった。まあ「笑って帰ろう」などと格好つけたことを言ったのは俺自身なのだが。

 会場に残った絵理子達曰く、表彰式はざわざわと異様な雰囲気だったらしい。大トリを飾ったのが俺達だったというのもあるだろうが、その時点で我が校の審査の結果がわかっている者がいたからかもしれない。いや、審査というか、なんというか……。

 もともと俺が指揮を振った時点で決まっていたことだ。

 翡翠館高校吹奏楽部は、失格となった。

 あれだけの演奏をしたのだから、悔しさや悲しさが全く無いと言えば嘘になる。俺は他校の演奏を一つも聞いていないので贔屓目になってしまうが、普通に審査されていれば支部大会に進めたのではなかろうか。少なくとも金賞は間違い無い。ただ、失格だとわかっていたからこそ、開き直って完璧に演奏できたのではないかとも思う。成績にこだわっていれば、守りに入ったような、無難な演奏になった可能性もある。

 そういう上品な演奏を披露したのが、まさに躑躅学園だったようだ。全ての団体を聞いた京祐が教えてくれた。地区大会の時の俺と同じ感想である。『ローマの祭り』も、終楽章なんかは下町の飲んだくれがはしゃぎ回る、文字通り「お祭り騒ぎ」みたいな楽曲だ。曲想と表現が噛み合わない演奏は、退屈でつまらない音楽に聞こえただろう。

 躑躅学園は金賞を受賞したものの、代表には選ばれなかったそうだ。

「ものすごくライバルみたいな感じだったのに、拍子抜けだよねえ」

 夏休み明けの平日の午後。がらんとした講堂にいるのは、俺の他にもう一人。

 あの日「ブラボー」と力いっぱい叫んだ日向が、床に寝転がったまま声を上げた。

「……お前は相変わらずこの世にいるんだな」

 県大会の演奏と、その後の万雷の拍手。ともすればそのまま成仏してしまうかに思われた日向であったが、時折こうしてふらっと現れるのは今までと同じだ。コンクール前よりも消えている時間は増えたように感じるが、三日おきくらいで練習の様子を見に来ている。

「何? 文句あるの?」

「ねえよ」

 意外なだけで、消えて欲しいなどと思うはずもない。こいつがいたから俺や部員達は報われたのだ。まあ、成仏するのが本人のためであるとは思うが。

「そういえば絵理子先生から聞いたけど、あの子達大丈夫なの?」

「絶対に大丈夫じゃないだろ」

 日向が懸念したのは、三年生の役員達のことだ。補習組とも言う。そんな不名誉なレッテルを貼られた面々は、ことごとく夏休みの宿題を放棄していたらしく、今も各教科の教諭に捕まっている。

 コンクール後は世間がお盆休みに入るし、これまでの血の滲む努力を慰労してもらおうと一週間以上の完全オフを設けたにも関わらずだ。ふざけんな。放棄ってなんだ。不法投棄の間違いだろ。

「というか、この前代替わりしたんだよね? 相変わらず三年生が幅を利かせているのは問題なんじゃない?」

 日向の言う通りだ。

 オフ明けの練習が始まって早々、次の役員が決まった。部長は予想通り美月となった。副部長はパーカッションの折笠護だ。春の新入部員勧誘の際に、五名の二年生を率いて復帰を申し出てくれた男子部員である。あの時「美月とは縁を切った」とまで言った護と、張本人である美月がツートップを張るというのもなんだか不思議な話だ。

 生徒指揮者は、なんと一年生の董弥が就任することとなった。部員全員による無記名式の投票で決まったので文句を言う者はいないが、上級生でないといけないというルールが無いとはいえ異例中の異例のことだろう。淑乃は「私がいるうちは、調子に乗ったことを言った瞬間に粛正する」などと意味のわからないことを供述していたが、まずは大人しく宿題をやってくださいとしか言えない。

 次の舞台は九月の文化祭だ。淑乃以外の三年生もまだまだ現役というようにこれまで通り練習に打ち込んでいる。この数ヶ月のことを思うと功労者達でもあるので無碍にはできないが、最近は下級生達もさすがに引き始めている。

「今回の件の弱みにつけ込んで、そろそろ引導を渡してもらうか」

「そんな言い方しなくても。あの子達も悪気がある訳じゃないだろうし」

「宿題をやらなかったのは、悪気どころか確信犯でしかないだろ」

「あんたも本当ねちねちしてるよね」

「指揮者ってのはたいがいそういうもんだ」

「そんな各方面から狙撃されそうなことを言ってもいいの?」

 そもそも俺には真正面から殴り込んできそうな不良教師がいるのでどうでもいい。

 結局、絵理子の退職の件もあれから動きは無い。俺の知らないところで進んでいる可能性もあるが、いよいよ三年生は受験や就活が始まる季節だし、なんとも言えない。

「進路かあ。みんなどうするんだろうね」

「俺もあまり知らないけど、大半は進学するみたいだぞ」

「できるの? とくに補習組」

「……それは絵理子に頑張ってもらうしか」

 日向も人のことを言えないくらい毒舌である。元凶は絵理子だけど。

「まあでもあの子達のことだから、引退するまではどうせ部活漬けだよね」

 それでは下級生の手前困るのだが……。

 話が振り出しに戻ってしまった。

「引退、か……」

 文化祭が終わると、俺がいた頃と同じなら十月の上旬には定期演奏会が待っている。それぞれの合間で京祐からコンサートのオファーをいくつかもらったが、そう大きな舞台ではない。文化祭も学校の体育館を使うため、コンサートホールを利用するような大がかりなステージは定期演奏会のみである。

 昨年、翡翠館高校は定期演奏会を開催できなかった。二年ぶりの舞台に向けて、部員達の士気も高くなるだろう。そして、定期演奏会は三年生にとって最後のコンサートでもある。もう一ヶ月半程度しかないのだと考えると、なんだか急に寂しくなった。

「――ちょっとあんた!」

 と、いきなり講堂の入口から大声が聞こえる。何事かと振り返ると、そこには肩で息をする淑乃がいた。

「匿ってくれない!? 数学の先生に追われてるの!」

「投降しなさい。今すぐにだ」

「なんで!?」

 少ししんみりした俺の気持ちを返してくれ。

「おーい。村崎さんはここにいますよー」

「ちょっとあんたやめてよ! 仲間を売るつもり!?」

「『泣いて馬謖を斬る』って奴だな。宿題もしないお前はそんな言葉知らんだろうが」

「泣いてないじゃん! むしろ笑ってるでしょうが!」

「そりゃ本当に逃げ出してくる奴がいたら笑うしかないだろ!」

 敢えて本人には言わないが、よりにもよって一番長引きそうな淑乃が現れたというのも問題だ。

 応酬を続けていると、追いかけてきた数学教師にあっさり見つかった淑乃はそのまま身柄を確保され、教室へ連れ戻された。物凄く怨念のこもった目で睨まれたが、俺は心を鬼にして見送った。そうやって逃げている時間が一番もったいないのだ。

「さすが、現実から逃げ続けて無職を貫く男は言うことが違うね」

「……」

「リアルタイムで、もったいない時間を過ごしているよね?」

「うるさいな!」

 少なくともこうして吹奏楽部に携わっているうちはマシだろう。いつまで続くかはわからないが。

 そのまま講堂の中へ戻ろうとすると、再びこちらへ向かってくる人影が見えた。

 今度はいったい誰だ。

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