愛なんて……
私達夫婦の間に、愛なんてとっくに廃れて、愛情と呼べるものは『家族愛』だけしか残っていないのだろうと思い始めたのはいつだっただろうか?
仕事が忙しいと、家事や育児のほとんどを私だけに押し付け、自分は酔って上機嫌で帰宅し、それで子供が起き出して泣くと「ったく……おちおち寝てもいられない」と文句を言う背中を、何度睨んだか分からない。
「お前は家にいて、家事と子育てさえしてりゃいいんだから、気楽だよな」
嫌味たらしく放たれた言葉に、何度心が折れそうになったことか。
その癖、長期休暇で家にいて、たった三十分子供の面倒を頼んだだけで、「してやったぞ」の大きな顔をし、「あー、疲れた……」とその後は何もしないなんてこともあった。
子供がいるから、家族だから離婚しないだけで、恋人関係であったなら、こんな男とっくに捨てているわと、何度も心で呟いてきた。
「もしもし? こちら〇〇病院です。山下保さんのお宅で間違いないでしょうか?」
「は、はい、保は夫ですが……」
「奥さんでいらっしゃいますね? 先程、保さんが事故にあい、当院に運ばれまして……」
愛なんてとっくに廃れたと思っていたのに、事故にあったと聞いた途端、足元から何かが崩れていく気がした。
手は震え、動悸がし、息も浅く、上手く吸えない。
失うかもしれないと思った瞬間に思い出されるのは、まだ優しかった頃のあの人の笑顔や言葉ばかり。
愛なんてないのだと諦めてしまったのは私の方だったのだ。
取るものも取りあえず病院に向かい、病室で頭に包帯を巻いた姿の夫を見て、安堵でその場に崩れ落ちた。
「なんだよ、泣くことないだろ、大袈裟だな……でも、心配掛けて悪い、ありがとう」
愛は存在していたのだ。姿を変え、色を変えてもすぐ目の前に。
照れくさそうに笑う夫を見て、更に涙が溢れた。