カイルは今日も怒っている
「アメリアお嬢様」
自邸の廊下を歩いていたアメリア・ファース侯爵令嬢は、後ろから呼び止められて足を止めた。
振り返ると、侍女のジェマが歩み寄って来るのが見えた。
ジェマは楚々とした雰囲気の娘である。男爵令嬢なので、貴族令嬢としての身のこなしを習得しており、歩き姿も綺麗だ。彼女は嫁入り前の行儀見習いとして、ファース侯爵家に住み込みをしている身分だった。
「ジェマ、どうかした?」
アメリアはほんのわずかに口角を上げて尋ねた。
屋敷内では明るくにっこり笑いすぎてはいけない。そんなことをしたら、家族から「悪魔憑き!」と罵られ、トゲトゲの冠で頭を締め上げられてしまう。
あの折檻はとても痛くてつらいから、もう二度とされたくない。
ところが『にっこり笑わない』というのが、アメリアにとってはかなり難しい。
というのも、アメリアは大変なお調子者で、うっかり気を抜くと朗らかに振舞ってしまう癖があるからだ。家族に怒られないよう、大人しい態度を貫くには、普段から相当気を遣わなければならなかった。
歩いて来たジェマが、立ち止まっているアメリアの周囲を半周回ったので、アメリアはそれに合わせて体の向きを変えた。これにより、どこを向いているのか分からなくなる。
ジェマがやっと立ち止まり、可愛らしい声で話しかけてきた。
「アメリアお嬢様、これから婚約者のカイル様とお会いするのですよね?」
「ええ、そうなの」
「カイル様は格好良くて素敵ですよね! アメリアお嬢様とお似合いです!」
アメリアは十九歳、カイルは二十一歳。そして目の前のジェマは十八歳なので、三人ともそう年が離れていない。そのせいかジェマはアメリアとカイルのことに、ものすごく関心があるようだ。
ジェマが胸の前で両手の指を組み合わせ、うっとりしたように小首を傾げる。
「アメリアお嬢様は美しいので、私の憧れです。外見のタイプがまったく違いますので、私のような者がみならっても、アメリアお嬢様のようにはなれないですけれど……」
確かにそうね、とアメリアは思った。
ジェマとアメリアではタイプが違いすぎる。――ジェマは黒髪で、折れそうなほどに華奢で、おしとやかで、庇護欲をくすぐるタイプだ。男性から人気がありそう。
対し、アメリアは派手なタイプ。アメリアは自分の顔が大好きだ。
とにかく目立つ美人だし、登場しただけでその場の空気を変えるような華がある。お日様のように輝く金色の髪に、緑が強めに出ているヘーゼルの瞳。まつげはクルリと綺麗にカールしていて、ビューラーいらず。
ああ……私、可愛いから幸せ♡
アメリアは頬が緩みそうになるのをこらえながら、ジェマに言った。
「確かにあなたは私とは違うけれど、でも――」
「――相変わらず感じが悪いな、あなたは」
不意に割って入った冷ややかな声。
アメリアが振り返ると、婚約者のカイルが不快そうにこちらを睨んでいる。
足早に近づいて来た彼が、華奢なジェマをかばうようにして立った。
「カイル様」
「君は自分の美貌を鼻にかけているようだが、俺の目には、こちらのジェマのほうがよほど綺麗に見える」
アメリアは口を開きかけ、結局閉じた。
顔には出さなかったが、地味にズシンと落ち込んでいた。可憐なジェマが行儀見習いでこの屋敷に来るまで、カイルはもう少し優しかった。
最近の彼は、まるでアメリアがジェマをいじめているかのような物言いをする。――以前何度かカイルからキツイ物言いをされた時に、「どうして怒っていらっしゃるのですか?」や「もしかして何か勘違いをされていませんか?」など、誤解を解く努力はしてみたのだが、すべて失敗に終わった。「そういう鈍感なところに驚く。自分で気づくべきだ」と言われてしまい……。彼がアメリアを見る目つきは、罪人に対するそれで、毎回そう扱われるうちに、こちらも心が折れた。
「君のその顔は、派手なメイクで誤魔化しているだけだろう」
カイルは今日も怒っている。
派手なメイクで誤魔化しているだけ、か……いえ、違うんです。確かにメイクは好きで、しっかりアイラインを引いていますが、派手なのは地顔です。
このがっつりアイメイクを落とすと、少しあどけない感じにはなりますけれど、結局スッピンもド美人・ド派手なんです、予想を裏切ってごめんなさいね……。
カイルの射殺しそうな視線が和らぎそうにないので、アメリアは匙を投げた。
「申し訳ございません……私、風邪ぎみなので、今日はこれで失礼しますね」
伏し目がちにそう言い、踵を返す。
カイルが『あ……』という顔をしたけれど、すでに背中を向けて歩き始めていたアメリアはそれに気づかなかった。