5.「眼鏡の君」はどの眼鏡?
「推理小説マニア歴、ジャスト四半世紀。
このセリフを言いたいだけの人生だった……!」
決め台詞を言い放ったノアルスイユは、眼鏡を抑えてふるふるしている。
「ノアルスイユ、感動しているところすまないが……
結局、私のどら焼きを食べたのは誰なんだ??」
アルフォンスが困惑した様子で訊ねた。
心なしか、容疑者である三人の秘書官とすこし距離を取っている。
推理を披露しようと、ノアルスイユが得意げにくいいっと眼鏡を持ち上げた瞬間──
「すみません!!
流しにあったお菓子なら私が食べました!!」
前室の衝立の後ろから、紺色の女官服を着た小柄な令嬢が突然出てきて、叫んだ。
栗色の髪に、そばかすが少しある、素朴かわいいタイプの令嬢だ。
完全に不意を突かれて、あひゃ!?と変な格好になっているアルフォンスに、令嬢はがばあと頭を下げた。
「いいいいいま! 私が説明するところだったのに!!」
「ああああああ、すッ すみません!!!
勝手に出てきてッ!!」
令嬢は慌ててノアルスイユにも頭を下げる。
「なんだ君は!?
どうしてこんなところにいる!?」
ブレザックが声を荒げた。
「ああああ怪しい者ではありません。
女官候補の、シャルリュー男爵家のマリーと申します。
『眼鏡の君』にお手紙をお渡ししたくて、ちょっと居残るつもりが、閉じ込められてしまって……」
顔を真っ赤にした令嬢は、皆の前に小さな封筒を両手で差し出して、また深々と頭を下げた。
確かにその表には「眼鏡の君へ」と可愛らしい字で書かれている。
「「「「「『眼鏡の君』!?」」」」」
と言われても、アルフォンス以外は全員眼鏡。
アルフォンスと四人の眼鏡秘書官は、お互い顔を見合わせた。
とりあえず腰を据えて話を聞こうということになり、執務室に皆で移った。
アルフォンスは肘掛け椅子に座り、向かい合わせに置かれた三人がけのソファの片方にマリー、もう片方にジェルナンド、ブレザック、ノアルスイユ、クレアウィルが詰め詰めで座る。
落ち着いたところで、アルフォンスはマリーに説明を促した。
先日、王宮で開かれた舞踏会のこと──
舞踏会に不慣れなマリーは家族とはぐれてしまい、まごまごとさすらっていた。
人々がなにかに注目している気配に釣られて眼を向けたら、金髪の凄い美人と眼鏡をかけた素敵な紳士が華麗にワルツを踊っていた。
周囲の囁きからすると、サン・ラザール公爵家の令嬢・カタリナらしい。
この令嬢が舞踏会でクソ婚約者を告発して婚約破棄をキメた「破天荒令嬢」なのか、さすが王宮の舞踏会、有名人が普通に踊っている……とか思いつつ、マリーは一幅の絵のような二人を眺めていた。
曲が終わると、カタリナは別の紳士とどこかへ行ってしまった。
彼女を見送る眼鏡の紳士に、令嬢が三四人固まって突撃し、踊ってくださいとアピールする。
紳士は礼儀正しく順々に相手をし、傍でぼうっとしていたマリーにもよろしければと声をかけてくれた。
新年の舞踏会で社交界デビューしたばかりのマリーにとって、キラキラした紳士と華やかな王宮で踊るのは初めて。
なにもかも夢のような時間だった。
だが、あがりまくっていたマリーは、紳士の名前を聞きはぐれてしまった。
はっきり覚えているのは、紳士が眼鏡をかけていたこと。
そして、ガチガチのマリーに、「大丈夫、怪しい者ではありません。私は王太子秘書官室の者ですから」と冗談めかして言ってくれたこと。
「眼鏡の君」にとってはよくある日常だっただろうが、領地の館で育った田舎者の自分にとっては大きな大きな出来事。
でも、ろくにお礼の言葉も伝えられなかった。
もう一度、「眼鏡の君」にお会いして、あの時の感謝を伝えたい。
でも、家はど田舎の領主貴族で、中央との人脈は薄く、どうしたら再会できるのかわからない。
などとマリーが思い悩んでいるうちに、女官の公募が出た。
思い切って試験を受けると、家庭教師についてきちんと勉強していた甲斐あって、無事一次試験に合格した。
もし宮中で「眼鏡の君」に再会できたら、今度こそ気持ちを伝えたいと、あらかじめ手紙を用意してドキドキと参内したのだが──
「せっかく初日から王太子秘書官の方々にお会いできたのに、どなたが『眼鏡の君』なのか、私、わからなかったんです」
マリーはしょんぼりと視線を落とした。
「は? なんでだ?
ワルツを踊ったのに?」
「私、かなり眼が悪くて、家では眼鏡をかけてるんです。
でも外に出るときは眼鏡はよしなさいって祖母に言われていて。
だから、舞踏会の時も、今も、ぼんやりとしか見えていなくて……
落ち着いた感じの方だった、ような印象はあるんですが」
「しかし、それじゃ女官の仕事に差し支えるだろう。
帳簿の検算をすることもあるんだし」
「はい。書類を見る時は眼鏡をかけるつもりで、持ってきています。
とにかく、この状態ではさっぱりわからないので、どなたか私に心当たりがある方がいらっしゃらないかお訊ねしようと、この部屋から執務室に戻ったら、皆様、退室されたようで。
おまけに、気がついたら外に出られなくなってしまってて」
「あー……そうか。
皆は、君と入れ違いで秘書官室から前室を通って外に出てしまったのか。
前室のドアは、内側から開ける時も、魔紋認証を通さないといけないから、後を追うこともできなかったし」
アルフォンス以下、皆、納得して頷いた。
「今朝は、緊張してなにも食べられなかったんです。
それもあって、ぺっこぺこにお腹が空いてしまいました。
出口を探してうろうろしているときに、流しの脇に美味しそうなものがあるのを見つけてしまって……
勝手にお菓子を食べるようなはしたない真似をしちゃいけないって思ったんですけど、お腹がすきすぎて、めまいがしてきて……」
再びマリーはアルフォンスに、がばあと頭を下げた。
「まさか、王太子殿下の大事なおやつとは知らず、つい……!
ほんとうに、ほんとうに申し訳ありません」
アルフォンスは深々とため息をつく。
「ま……そういう事情なら仕方ない。
マリー、あの菓子は美味しかったか?」
「はい! とっても!
しっとりふんわりなパンケーキも良かったですし、中のペースト?のお味も最高でした!」
マリーは両手を握りしめて前のめりに叫んだ。
「そうか、それならよかった」
ははは、と哀愁溢れまくりの乾いた笑いをアルフォンスは漏らした。
ここで「美味しくなかった」とか言われたら、さすがのアルフォンスもブチ切れたかもしれないが、これでは仕方ない。
「あのお菓子、どちらで売っているんですか?
絶対絶対買いに行きます!」
「あー……うん、それは、まあ……」
王族でもそうそう手に入らないもの、しかもラスイチだと今更言えなくて、皆、視線を泳がせる。
「それにしても、どうして私が衝立の影にいるとお気づきになったのですか?」
不思議そうに訊ねるマリーに、ノアルスイユはきらんと眼鏡を光らせた。