3.誰がどら焼きをちょろまかしたか
ノアルスイユは先手を打つことにした。
こうなったら自分が先陣を切って、究明するしかない。
「殿下、まずは状況の確認です。
今日の皆の動きを整理してみましょう」
「あ、ああ」
アルフォンスは、かくかく頷いた。
ノアルスイユは、会議で使う移動式の黒板を、皆の前にガラガラと引きずってきた。
なんだなんだと他の秘書官が戸惑っている間に、縦に線を三本引き、「名前」「午前中」「昼食」「午後」と分けて、各々のタイムテーブルを作る準備をする。
名前の欄には、「殿下」「室長」「ジェルナンド」「ブレザック」「ノアルスイユ」「クレアウィル」とこの部屋に出入りした者の名前を上から書いた。
「さて。今朝は、9時前のミーティングに全員いましたよね?」
「そうだ。
10分くらいだったか? 今日と明日の日程の確認とそれぞれの進捗報告をして……
ロルサンジュは星祭りの打ち合わせで神殿に行き、私は執務室で、他の者は午前中はここで仕事をしていた」
確認するように、アルフォンスは皆を見回した。
「そうでしたね。
殿下がどら焼きを保冷箱から出されたのは、朝でしたっけ?」
「そう、ロルサンジュが出かけてすぐだ。
セリカンの使節にどら焼きをねだった時、結構怒られたからな。
どうもロルサンジュの前で出すのは憚られて」
室長のロルサンジュは、もともと国王の副侍従。
次代の侍従を育成するために王太子秘書官室長となり、ノアルスイユ達をビシバシ鍛えつつアルフォンスを見守っている。
ロルサンジュは「王太子ともあろうものが、使節に菓子をねだるとかねーわ!マジでねーわ!」と特大の雷を落とし、その後もアルフォンスがどら焼きをにまにまと食べるのを目にする度に、めちゃくちゃ苦い顔をしていた。
なので、自然、アルフォンスはロルサンジュが外出する時を狙って、どら焼きを心置きなく堪能するようになったのだ。
ノアルスイユはタイムテーブルに書き込みながら、皆の動きの聞き取りを進めた。
次に給湯室に入ったのはクレアウィル。
10時頃、気の利くクレアウィルは、アルフォンスや他の秘書官の分も茶を淹れ、配って回った。
給湯室には品の良いティーセットも用意されているが、作業中はアルフォンスも含めて皆マグカップを使う。
この時、確かにどら焼きは流しの脇に出ていたという。
そのすぐ後、午前中の配達が来たが、ブレザックが前室で受け取り、配達係は立ち入っていない。
次に給湯室に入ったのは、ジェルナンド。
11時過ぎ、トイレに立ったついでにマグカップを回収し給湯室の流しで洗ってカゴに伏せた。
ちなみに、王太子執務室の休憩スペースにトイレもあるが、そちらはアルフォンス専用で、秘書官は廊下の向こうにある共用トイレを使うことになっている。
マグカップ洗いはノアルスイユも手伝った。
この時、ほぼ同時に二人は給湯室に入って、一緒に出たので、どちらもどら焼きをちょろまかす隙はなかった。
その後は、誰も給湯室に入っていない。
そして11時半過ぎ、王太子妃ジュスティーヌが、女官候補の令嬢たち十数名を連れてやって来た。
この国では、女官として出仕するのは下位貴族の令嬢達。
仕事は、お茶出しや事務補助、王宮内のお使いなど。
半年に1度ほど募集があり、筆記試験と面接で選抜した後、1ヶ月ほどの試用期間を経て採用が決まる。
一種の行儀見習で、家庭教育の仕上げとして短期間出仕する者が多い。
今回の採用の最終責任者はジュスティーヌ。
その試用期間の初日だったので、令嬢たちに大人気のアルフォンスに挨拶させ、ついでに王太子秘書官達の顔を見せるために連れてきたのだ。
「もしかして、女官候補の誰か……とか?」
アルフォンスが首を傾げた。
揃いの紺のデイドレスを着て、髪はコンパクトにうなじでまとめ、ジュスティーヌや侍女の後ろを、まるで雛鳥の群れのようにくっついて回っていた令嬢たち。
秘書官、近衛騎士、王太子妃、王女に王子、とにかくアルフォンスと親しい者は皆、王太子のどら焼きへの執心っぷりをよく知っている。
しかし、今日試用期間が始まったばかりの女官候補達なら、知らずに手を出してしまったのかもしれない。
「いやいやいや、彼女たちがここにいた間、秘書官室のドアは閉まっていました。
試用期間が始まったばかりの令嬢が、勝手に開けて入ったりしますかね?」
ブレザックが手を横に振る。
平民ならまだしも、みんな貴族の令嬢だ。
実のところ、貴族の令嬢でも手癖の悪い者はいるかもしれないが、そんな娘を王宮に出仕させる馬鹿はいない。
ノアルスイユは記憶を辿った。
「私達が執務室に入った時には、女官候補達は応接用のソファの周りに立ってましたよね。
彼女達から見て奥、執務机のあたりに両殿下がお立ちになって挨拶を受けられ、私達も紹介していただいて」
んだんだと皆、頷く。
ノアルスイユ達が執務室に入ると、女官候補達は執務室に入ってすぐの応接スペースにわらっと固まっていた。
王太子夫妻は奥の執務スペースに立っていて、その脇、窓を背にしてノアルスイユ達は並んだ。
ジュスティーヌの侍女が候補を数名ずつ呼び、前に出て略式のカーテシーをするかたちでアルフォンスに挨拶をさせる。
その後、アルフォンスが女官候補達にノアルスイユ達を紹介し、それぞれ名乗って軽く頭を下げた。
「そして、両殿下退室されるのに従って、ブレザックや令嬢方も退出して。
その後、俺とノアルスイユ、クレアウィルは秘書官室に寄って出ました」
ジェルナンドが続きを振り返る。
彼の言葉通り、アルフォンスはジュスティーヌをエスコートして先に退室した。
その真後ろに、アルフォンスに帯同することになっていたブレザック、侍女、女官候補達が続く。
ノアルスイユ、ジェルナンド、クレアウィルは、女官候補達が前室にはけたところで、直接秘書官室に戻り、鞄を持ってすぐに出た。
「では、女官候補達は全員そのまま執務室を出た、ということか?」
アルフォンスが重ねて訊ねてくる。
部外者が出入りしたのが気になるようだ。
「数を数えてチェックしたわけではありませんが、令嬢達の最後尾が前室に入ったあたりで、俺達は秘書官室に戻りました。
俺たちが秘書官室を出た時は、彼女たちはもう廊下に出て、だいぶ先を歩いていました。
とにかく、彼女達がこちら側に入ることはできなかったはずです」
ジェルナンドが代表して答える。
ノアルスイユとクレアウィルもこくこく頷いた。