口利き屋
普通の口利き屋と言うのは何らかの専門性を持っているものだ。侍従の紹介を得意とする口利き屋であれば、客の相手は小貴族から少し成り上がった大店未満の店辺りになるだろうし、抱えは大貴族やらを引退した老侍従や、上が辞めそうに無いので他へ流れたい者とかになる。傭兵やら護衛の場合は、軍を上りの者とかを身の危険がある人達に紹介することになる。
そういう口利き屋は、店など持つ必要がない場合が多い。どこかの家の客間と客間を渡り歩けばそれで商売が成立するからだ。本当の大手になれば他の店と同じように大通りに店を構えて帳場でどんと座っていればいい。だがこの商売では店構えが立派かどうかなどと言うのはあまり重要視されない。この商売でもっとも重要な事は信頼だからだ。それは店構えのようなものでは測ることが出来ない。
でも世の中は広いようでいて狭い。ある種の職業で何かやらかしたり、雇う側にも色々と事情があったりすると、そういった専門性の高い普通の口利き屋を使うのは色々と都合が悪い人達も一定数存在する。その人達にとっては、うちのような裏通り、しかも一見するとそれが何かの店なのかどうかすら分からない店構えをしているところが必要になってくる。そしてうちのようなところは普通の口利き屋の信条である『信頼』も大事だがそれ以上に『口が堅い』ことがなにより重要だ。何せ雇う側も雇われたい側も色々と込み入った事情があるのだから。
そして、これはあまり知られてないことだが、うちのような裏通りの口利き屋にとっては実は『記憶力』と言うのもとても重要だ。なぜなら裏通りの口利き屋は決して帳簿のようなものはつけたりはしない。それをつけたら最後、口が固いなんてはとても言えなくなるからだ。誰かに盗み見されたり盗まれたりしたらその時点で全てがお終いになる。だから受取も払いも全ては口約束だ。その全ての契約を頭の中に寸分たがわずに覚えておく必要がある。全ては私の頭の中という事だ。
残念ながらうちの店は千客万来で繁盛しているとはいいがたい。だがそれでもこの少しばかり坂がきつい裏通りで細々と商いをやらせてもらっている。それはそれで私にとっては丁度いい塩梅だった。もしここにひっきりなしに客が来るようなら私の頭ではそれを全て覚えておくことなど出来ないだろうし、うちが繁盛するという事は世の中が何やらきな臭くなっている事と同義だからだ。
戦もどこかの家のお家騒動の噂も聞こえてこないこの頃はうちは大層暇だった。午前中に遠慮なく扉をがりがりとひっかいてくる猫、いつのまにやら子猫を4匹ばかりつれている斑の『のら』に朝飯をおごってやった後はただ日差しが昇って落ちていく気配を店の帳場の中でぼんやりと感じているだけだった。こう暇だと少ない抱えのやくざ連中は何でもいいから仕事をくれと言って押しかけてくるかもしれない。
その時は、どこかの家を建てるやら、道を直すやらの力仕事でも斡旋してやろう。奴らも暇を持て余して体が鈍ったりすると大変だ。すぐにこの世からおさらばしてしまう。そうなってはこちらの信用と言う奴にかかわる。信用が大事なのはここの店だけじゃない。紹介する元(客)や鞘(斡旋先)にとっても大事なものだ。煙管に煙草を詰め替えながらそんなことを考えていると、扉の呼び鈴が頭の上で小さく音を立てた。
また子連れののら猫が餌の催促にでも来たのだろうか?
だが再び呼び鈴が今度はさっきよりしっかりした音を立てた。これは『のら』ではないな。客だ。それもここではとても珍しいご新規さんだ。なじみであれば呼び鈴なんてものを鳴らさずに遠慮なく店に入ってくる。
「開いてますよ!」
煙管を引き出しの中にしまって、扉の外に向かって少しばかり大きな声で声をかけた。わざわざこちらから行って扉を開けてやるというのは面倒なだけでなく、まだ決心がついていない奴をあきらめさせる効果がある。冷やかしの場合は、話を長々と聞いた挙句にやっぱりやめますなんて事になるだけで時間の無駄だ。こうして自分で扉を開けるように即してやれば、冷やかし程度の奴なら扉を開けるまでもなく通りへと去っていくはずだ。
ギィーーーーーー
大分油が切れかかっている蝶番が少しばかり耳うるさい音を立てると、風雨にさらされて虫よけの黒い塗装が大分剥げてきた扉がゆっくりと開いた。
「こんにちは」
意外な事に客はまだ若い女性だった。しかもどうやら一人でここまできたらしい。女連れの客が来ることは珍しくないが、女性が一人で、それも若い女性が一人で来るというのはとても珍しい話だ。
「いらっしゃいませ」
「こちらは、口利き屋さんということでよろしいのでしょうか?」
「はい、こちらで口利きの商いをやらして頂いております、トマスと申します。どのようなご用件でしょうか?」
「人を探しているのです」
「さようでございますか。要件の方を詳しく教えて頂きますので、狭い店で恐縮ですがそちらの卓の方へおかけになってください」
若いお嬢さんの人探しという事はやっかいな要件だ。例え単刀直入に内容を聞いたとしてもすぐに済む話ではない。それに若いお嬢さんの話を聞いた上でとなると間違いなく長い話になる。
「お茶ぐらいしかありませんが、何か飲み物でもお出ししましょうか?」
「いえ、結構です」
女性が卓の横に置かれた椅子に腰を掛けながらこちらに向かって首を振って見せた。自分で椅子に座って飲み物を断ったという事は、どこかの深窓のお嬢さんと言う訳では無さそうだ。この商売は口が堅いのと記憶がいいだけでは務まらない、人を見る目があるかなんていうのは条件に上げるまでもない当たり前のことだ。
着ている服はこざっぱりしていて、最近の流行り等とは関係がないものだ。卸したてという訳でもないが、長く着ている訳でもない。あえて特徴を言えば、特徴がないことが特徴のような服装をしている。
顔もとてつもない美人という訳でもないが、かと言って十人並みといったら見る目がないと言われそうだ。化粧っ気はほとんどない。唇に薄い紅と僅かばかりの頬紅をさしているぐらいだろうか。そのせいか目の下にあるわずかばかりのそばかすが少し目立つ。
目には知性の光があるが切れ者と呼べるかと言えば、そうとも言えない気がする。私が帳場の板をくぐって卓の方へ歩く姿を落ち着いてじっと見ている。はじめての客、しかも若い女性として考えれば度胸があると言うべきだろうか、あるいは何も考えていないのかのどちらかだろう。
向かい側に座って、彼女の手と爪にさりげなく視線を落とすとその手も爪もとてもきれいだった。水仕事をするような手ではない。どこかの大店か貴族のお嬢さんを相手にしている家庭教師、そんなところだろうか?
童顔なんだろう。手の感じで見ると若いと言っても20台の前半から半ば、いや半ばからそれを超えたぐらいの年だろう。
「最初にお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「はい、アンと申します」
「お住まいはこの街で?」
「そのような事を全て話さないといけないのでしょうか?」
「鞘、まあ依頼する相手側に対する条件としてはそんなことはありません。ですが私は口利き屋で両者の間の契約を保つのが仕事になります。金銭の授受や条件など双方にとって間違いがないようにするのが私の仕事です。ですので私に対してはなるべく正直にお答えいただいた方が、こちらとしてもアン様の要件にかなう鞘、これはこの商売の隠語でして、ご依頼の相手をご紹介できると思います。」
「そういうものなのですか?」
「そうですね。絶対の条件という訳ではありません。全て前金でお支払いいただいた上で鞘が納得する話であればお受けできる可能性はあると思います。ですがその場合は、私の方でもアン様についてはよく存じ上げていない旨、鞘の方に説明せざる負えません。この場合はよほどの事がない限りまともな鞘を見つけるのは難しいかと思います」
「面倒なんですね。」
女はそう言うと少し首を傾げて見せた。この態度を見る限り口利き屋を使うのは初めてのようだ。今私が言った条件は一度でも口利き屋を使ったことがある人間なら常識の範疇だ。それに世間の事もあまり分かっていないようだ。その態度は世間知らずと言うよりは不遜なようにも見える。どこかの軍人家系の男爵いや、子爵家あたりの末子だろうか?それだと手に剣たこあたりがあるものだが、それらしいものもない。
「時間もないので、率直に要件を言います。私より少し若い二十前ぐらいの魔法職の女性を探しています。ギルドには属していないので、おそらくはこちらのような口利き屋を頼っていると思います。それに私が知っている情報によれば、男、それもおそらく30から40ぐらいの魔法職の男性と一緒にいると話を聞いています」
「人探しですな。それが得意なものもうちの鞘にはおりますが、人相だけでなくアン様がその者を探す背景やら情報が多いほど成功する可能性は高くなります。また最初に費用の件についてご説明させていただくとすると、こちらは事案が事案だけに無駄骨になる可能性も高いため、手付と成功報酬だけという訳にはいきません。別途、日当も必要になります。なので予算と相談の上、どの期間、どの範囲までを捜索するのかを最初に決めておいた方がいいかと思います。それと、単独で雇うのか複数を……」
アンと名乗った女性は私の説明に退屈そうな表情を浮かべると、私に向かって右手を上げて見せた。
ひやかしだろうか?違うな、そう言う奴はもっとおどおどするなり、逆に妙に虚勢をはったりするものだ。この女にはそれがない。単に私の説明に興味が無いという態度だ。それとさっきの私の世間知らずというのはあっているようだ。少なくとも世間とまともに付き合う事で忍耐という言葉を学んだ事は無さそうに思える。いや、生まれながらに短気なだけか?その両方だろうな。
「どうやら私の説明が悪かったみたいですね」
そう告げる女性の顔はとても不機嫌そうだった。やはりこの人はとても気が短い人らしい。
「私の方で何やら先走った説明を差し上げた様ですね。申し訳ありませんでした」
「ええ、全くその通りです。私が貴方に聞きたいのは、この店の依頼者かあなたの言う、、『鞘』でしたっけ、斡旋先でもどちらでもいいですから、私の説明に該当する人物がいるかどうかを教えて欲しいのです」
そう言うと私の顔をとても冷たい目で見つめた。この娘は本当に姿形相応の年齢なんだろうか?いや年など関係のない話だ。口利き屋に来て、依頼者や斡旋先の情報を教えろなどと真顔で言ってくるなんて常識外れどころの話じゃない。どこかの国やら大領主辺りの手先だろうか?
それにしたって口利き屋を、それもうちだけじゃない、この商売にかかわる者全員を敵に回しかねない要求をするなんてのは冗談でもしていい話ではない。本気でやれば例え私が拷問にかけられて死んでもその元にはこの業界の顔役達が雇った暗殺ギルドの長い手が送られるような事案だ。
そうか、この子は何もしらないのだな。それにその女と男のどちらか分からないがこの女性の婚約とか許嫁とかその辺に関わる話だろう。きっとどこかの世間知らずが書いた恋愛小説の筋書きでもなぞって来たのだろうか?
「お嬢さん。どうやら貴方は勘違いしているみたいですね」
「勘違い?」
私の言葉に女性が首を傾げて見せた。
「そうです。口利き屋というのは依頼者も斡旋先の情報も決してもらしたりしないのが信条の商売なのです。これは私達の商売の不文律というものなのですよ。そのお探しの人が貴方の恋人なのか恋敵なのかはしりませんが、世間知らずの物書きがかいた小説なんかを真に受けてはいけませんよ。」
「勘違い……」
そう一言告げると、女性がうつむいて深く溜息をついた。どうやら自分が見当違いな事をしていたことが少しは分かってもらえただろうか?
「単に教えてくれればいいだけなのに、本当に面倒ね」
そうつぶやくと彼女が私に向かって顔を上げた。何だこの目は、瞳孔が、、瞳孔がない……。
* * *
ここは店の中なのだろうか?それにいったい今は何時だろう。卓の上に角灯の火が灯っているところを見るとすでに宵の内には入ってしまっているらしい。そうだ、あの女はどうした?それにあれが来たのはまだ十分に日が高いうちだったはずだ。
「こんなの本当に役に立つの?」
あの女の声だ。そちらの方を振り向こうとしたがどういう訳だか私の体は全く言う事をきかない。
「こういうのは地道な努力という物こそが大事だと思うけどね」
知らない男の声もした。あの女の連れだろうか?
「これで何件目?地道な努力じゃ無くて無駄な努力という奴よ。もうこの大陸の外に出たんじゃないの?」
「そうかな、僕はそう思わないけどね。それにこの19号はとても優秀だよ」
19号?優秀?一体こいつらは何を言っているんだ。
「ラルフ、中肉中背。得意武器はメイス。前の雇い主と追加の費用の件でもめてここに鞘として斡旋の依頼に来た。はちみつ色の髪に同色の目。髪は短く揃えている。左の頬に3つ一列に並んだゴマ粒大のほくろがある。近接戦闘が得意だが、戦闘中に目の前の敵に熱中するあまり周囲警戒がおろそかになる傾向があり、そのために――」
何だ、私の口は何を勝手にしゃべっているんだ!?
「通り一辺倒の人相だけじゃなく、その肉体の人目につく特徴的な部分や性格、特に欠点になりそうなところをきちんと把握している。他のがらくた連中とは比較にならないよ」
「そうかしら?私から言わせてもらえば、他と大して変わらないと思うけど」
「アン、年齢不詳。黒い頭髪に黒い目。髪は肩から背中の辺りまでで揃えている。服装は特徴のない服装を――」
「おや、やっと最後まで来たね。最後は君だ」
「美人と言うほどではないが、十人並みとも言えない容姿の持ち主、目の下にわずかにそばかすあり。童顔だが手と爪を見る限り年齢は20代の半ばを超えていると思われる」
「ほら、ちゃんと君の設定を汲んでくれている」
私の言葉を受けて男が女性に声を掛けた。
「どこかの軍人家系の一代男爵ないしは子爵家の子弟のように見えるが、手に剣たこのようなものは見当たらない。なので偽装と思われる」
「君の設定を読んだ上に、それが偽装であることも見抜いているよ」
「本当の世間知らずか、世間知らずを装っているかは不明。態度は極めて不遜。生まれながらの短気持ちか、忍耐を学ばなかったかのいずれかと思われる。以上」
「何ですって! 今何と言ったのこの男は!」
女性の怒りに満ちた声が上がった。
「これは驚いたね、君の事を実に正確に見抜いているよ」
それを受けた男の声には少しばかし面白がるような、茶化すような響きがある。
「長々と話を聞いた割には何の収穫も無し!こんなの絶対に役に立たない。すぐに始末していくわよ」
「そうかな? 僕には十分に可能性を感じられたけどね。それに君には備品を勝手に始末する権限は与えられていないはずだよ」
「本当に嫌味な奴ね。もう何なのよ。腹がたつったらありゃしない。ともかくさっさと次に行きましょう」
「やっぱり19号は優秀じゃないか。さて19号、ご苦労だった。また寄らせてもらうから――」
* * *
昨晩は、転寝のつもりがそのまま店の中で寝てしまったらしい。腰と背中が痛む。もう若くないのだから気を付けないといけない。それにどうやら変な夢もみたような気がする。そもそも暇すぎるのがよくないのか?そろそろどこかの家でお家騒動でも起こってくれてもいいのだが……。
痛む腰に手を当てながらゆっくりと背を伸ばす。その時に小さく呼び鈴の音が響いた。『のら』だろうか?
リーン!
再び、今度は明確に呼び鈴の音が響いた。どうやら『のら』ではないらしい。ご新規さんだ。
「開いていますよ!」
虫よけが大分剥げてきた扉がギィーーーという軋み音をたててゆっくりと開いた。そしてその隙間から頭巾を目深に被った妙齢の女性が店の中を覗き込んだ。
「いらっしゃいませ」
「こちらは……」
店の中のあちらこちらに視線を這わせながらすこしばかりおどおどした様子で女性が店の中へと入って来た。
「はい、こちらで口利きの商いをやらして頂いております、トマスと申します。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「はい。人を、人を探しています」
「人ですか?」
「はい、、。私のお仕えします奥方様のお子様がどうも何者かに狙われているようで、それを守っていただけるような信頼できる方を――」
絵に描いたようなお家騒動と言う奴らしい。これは話が長くなりそうだ。
「さようでございますか。要件の方を詳しく教えて頂きますので、狭い店で恐縮ですがそちらの卓の方へおかけになってください」
女性を卓へと案内するとその女性は自分で椅子を引くとそれに腰掛けて不安げにこちらを見た。奥方様付きの女中と言うのは本当のようだ。
「依頼の件が他に漏れることは?」
「もちろんありません。口利き屋は依頼者も、斡旋先の情報も、決してもらしたりしないのが信条の商売なのです。それにこの店では帳面の様な物も一切残したり致しません。ご安心ください」
それにどうやら口利き屋にはなれていないらしい。これは話だけでなく、色々と説明の時間も必要そうだ。
「お茶ぐらいしかありませんが、何か飲み物でもお出ししましょうか?」