336 ガードナー辺境伯領
乗合馬車を乗り換えること八回、通算九台目の馬車である。そろそろ国境が近い。
最短ルートなら二週間で国境まで到達するのに、ここまで約一か月はかかっているよ。それでも乗合馬車の接続が悪くて徒歩区間が存在するということもなく、順調にここまで来れたのは良かった。
エーベルスタ王国の中でゴルドレスタ帝国と接しているのはガードナー辺境伯領であり、ようやくその領都まで辿り着いたのだ。
で、今日はこの街に宿泊し、明日はついにミユちゃんとサユさんの親子の出身地である村へと向かう予定…。そこは馬車で半日ほどの距離にあるそうだ。
俺も彼女たちに同行し、その村で別の馬車に乗り換えてからその日のうちに国境へ向かうことになっている。つまりは、お別れの時が近いってわけ。
ミユちゃんもそれが分かるのか、寂しそうな表情を浮かべていた。
「パパ、また会えるよね?」
「ああ、帝国からこの国へ帰国するのが多分半年後くらいになると思うから、そのときには会いに行くよ。約束だ」
領都にある一軒の宿屋、その一階にある食堂で交わされたミユちゃんとの会話だ。この親子とは常に同じ宿に泊まることにしているんだけど、それは俺がこの子の(偽装の)父親だから…。あ、部屋は別だよ(さすがにね)。
「ここは俺が奢るので、何でも好きなものを注文してくださいね」
三人で過ごす最後の晩餐なのだ。少しくらい豪勢にいきたいものである。
サユさんは恐縮しながらも笑顔で頷き、ミユちゃんも嬉しそうにしていた。俺としても約一か月間、親子のフリをして一緒に過ごしたのだ。この二人には、かなり情が移っているよ。
和やかに食事を楽しんでいると、食堂内に騎士が五人ほど入ってきた。完全武装状態で剣も佩いている。なんだか物々しい雰囲気だ。ここで捕り物でも始まるのか?
心当たりのない俺は無視して食事を続けようとしたのだが、サユさんの表情が固くなっているのに気づいた。
「サユさん、どうしました?何か気になることでも?」
…っと、そのとき騎士の一団が俺たちのテーブルへとやってきた。へ?まさか俺たち?
「我らはガードナー辺境伯家に所属する騎士団員である。王都から逃げてきたサユと申す者はお前か?我らと共に騎士団詰所まで来てもらおうか。抵抗するのであれば縄を打つことになる。できれば大人しく従ってほしい」
サユさんを見ると、顔面蒼白だった。ミユちゃんは今にも泣き出しそうになっているよ。
俺は思わず口を挟んだ。
「妻が何かしたのでしょうか?罪状をお教えください」
「はぁ?妻だと?いつの間に結婚したのだ?これは坊ちゃんに対する裏切りだぞ」
ん?坊ちゃん?裏切り?
事情が全く分からん!
ここでもう一人、新たな登場人物が現れた。どう見ても貴族だよ。仕立ての良い豪奢な服と、指輪やネックレスなどの煌びやかなアクセサリ、惜しむらくは少し(いや、かなり)肥満気味であることだ。
「遅い!お前たち何をぐずぐずしておるのだ?はやく僕ちんのお嫁さんを連れてこいよ」
太り過ぎていて年齢不詳だが、俺の見立てでは30歳くらいだろうか。てか、『僕ちん』ってマジかよ。いや、それより『お嫁さん』って?
「ボークス様、あなた様からの求婚につきましてはお断り申し上げたはずでございます。どうかお引き取りを…」
なるほど…。何となく事情が分かってきた。
このボークスという男、ガードナー辺境伯家の係累であり、騎士団を動かせるくらいの地位にある。王都でサユさんを見初めて結婚を申し込んだが断られた。ところが、往生際悪くストーカー化したため、親子で逃げ出したってところかな?
あ、サユさんの実家がガードナー辺境伯領内にある村なので、もっと若いころからのストーカーという可能性も…。
「はじめまして。私は冒険者のサトルと申します。サユの夫であり、ミユの父親です。平民はお貴族様と違って重婚することはできません。なので、妻のことは諦めていただきたくお願い申し上げます」
サユさんが驚愕の表情で俺を見ているけど、ミユちゃんは嬉しそうだ。すいません。こいつらを追い返すための方便なので、適当に話を合わせてください。
俺の心の声が通じたのか、サユさんが発言した。
「その通りです。私はサトルさんと再婚しましたので、あなた様と結婚することはできません」
「パパぁ~」
ミユちゃんもナイスフォローだ。
ボークス様は顔面を紅潮させて、頭から湯気が出ている(ように見えた)。かなりお怒りのご様子…。
「ぼ、ぼ、僕ちんの許しもなく、さ、さ、再婚だとぉ!サユちんの最初の男と同じように殺してやろうか。その子供も一緒にな」
は?今、聞き捨てならない発言をしたね。
まさかサユさんの旦那さんを殺したのはこいつなのか?しかも、ミユちゃんを殺すと言ったな。
俺の殺気が膨れ上がったことに反応して、騎士たちが腰の剣に手をかけたよ。今にも抜きそうだ。
てか、抜け!今すぐ叩きのめしてやる。




