314 深慮遠謀 ~第三者視点~
リュミエスタ王国の遠征軍に所属する兵たちの間には厭戦気分が広がっていた。
彼らへの食事の供給が滞っているせいである。まさに『腹が減っては戦ができぬ』という諺通りであった。
「王子殿下、近隣の街や村を襲って食料をかき集めましょう。ここから南南西に100kmほど進めば、かなり大きな街があります。ゴルドレスタ帝国との国境に接する街です。騎馬のみで編成した騎士隊200名でその街を急襲すれば、容易く落とすことができると愚考致します」
参謀の一人が立案した作戦に従って、騎兵部隊が何組か臨時編成された。最も小規模な部隊が50名、最大規模の部隊が200名で構成されていた。
しかし、この作戦は失敗した。王都近郊の街や村は無人だったのである。当然、略奪する予定だった食料も無かった。馬の飼葉も有限だというのに、とんだ無駄足を踏んだわけである。
ただ、作戦目的は達成できなかったが、思わぬ副産物を得ることができた。それはこの国の王太子とその家族、一部の貴族連中の身柄である。
この者らは、どうやら王都から逃げ出したらしい。高貴なる者の義務が聞いて呆れる。
その全員を捕縛し、何とか朝までには王都を臨む遠征軍陣地へと連行したのであった。この者らの身柄を盾に降伏を迫る。総司令官である王子殿下はそう考えていたが、参謀たちはそううまくはいかないだろうと考えていた。
この辺りは王族と平民の考え方の違いだろう。いや、この王子殿下が単に甘ちゃんであるというだけかもしれない。
・・・
ビエトナスタ王国軍との交渉は難航した。
信じられないことに、捕縛した者らはすでに王族でも貴族でもなく、ただの平民らしい。
次期国王であるはずの王太子ですら、すでに廃嫡されていたのである。彼らもまさか自分自身がそのような身分になっていることなど、想像だにしなかったようだが…。
しかし、リュミエスタ王国以外の周辺国家への通達はすでになされているとのこと。次のビエトナスタ王はイリチャム・ビエトナスタであるという事実を。
そして、そのイリチャム姫の母親は後宮で謀殺されたらしい。公式には病死となっているが、毒殺されたことは間違いない(と交渉役の男…国防軍第二部長…は言っていた)。
ビエトナスタ王国からの要求は、捕縛した者の中にいると思われるその犯人を(実行犯だけでなく黒幕も)引き渡すこと。その見返りは、何と一万食分の食料である。
10万人の胃袋を満たすには少ないが、それでも一食500gと仮定すれば、5tもの量になるのだ(重量ベースで)。かなり魅力的な提案である。
【闇魔法】の魔術師が従軍していれば尋問は楽だったのだが、残念ながら遠征軍には参加していない。なお、本国から呼び寄せるには時間がかかり過ぎる。
古典的な手法ではあるが、拷問による取り調べをせざるを得ない。しかも、遠征軍の逼迫した食糧事情を鑑みると、できるだけ早期に引き渡す必要がある。おそらくは苛烈な取り調べになることだろう。
「余は王太子であるぞ。余自ら父王と交渉させてくれ」
「妾を誰だと思っておる。汚らわしい下郎が触るでない」
「あの娼婦の娘が王太女ですって?高貴なビエトナスタ王家の恥さらしが!」
病床の国王陛下に代わってビエトナスタ王国軍の指揮を執っているイリチャム姫は、敵ながら天晴な女傑である。総司令官である王子殿下はそう考えていた。
その一目置いている女性が悪しざまに罵られる様子は、聞いていて非常に気分が悪い。
「尋問官よ。少々痛めつけても構わんぞ。女だからといって容赦はするな。いや、おそらく犯人は女だろう。複数人の共謀という可能性もあるが、できるだけ早く見つけ出せ」
王子殿下からの直接の下知を受け、尋問官、いや拷問官は張りきった。その日の午前中、女性のものと思われる悲鳴が遠征軍の中に鳴り響いていたのであった。もちろん、女性だけではないが…。
こうして、犯人と思しき人物を絞り込んだ結果、三人の女性が候補に残った。元・王太子の正室及び側室二名である。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔になっている彼女たちには猿轡を噛ませている。これは単にうるさいからだ。
両手は後ろ手に縛られ、王子殿下の前に跪かされている様子は、まさに罪人である。ちなみに、彼女たちの手の爪は何枚か剥がされていた。
「その方らを敵軍に引き渡す。向こうでどういう扱いを受けるだろうな。くくっ、寛大な処遇を期待してもおそらくは無駄だぞ。いや、イリチャム姫に土下座して許しを請うことだな。まぁ、許されるとは思わんが…」
王子殿下はふと思った。
自らの手を汚さず、獅子身中の虫を排除する役割を敵軍に任せる。しかし、母親の仇だけは自らの手で処断する。
我らはイリチャム姫の思惑通りに動いているのではないだろうか?
元・王太子に聞いたところ、彼女の王位継承順位は第28位だったそうだ。それが今や王太女である。
彼女の深慮遠謀は神のレベルに達しているのでは?だとしたら、ただの人間である我らが敵う相手ではない…。
本人の与り知らぬうちに、なぜか敵から高評価を受けているイリチャム・ビエトナスタであった。




