299 ビエトナスタ王国激震 ~第三者視点~
ビエトナスタ王国の王城、その中の執務室において、複数枚の報告書を手にした国防軍第二部長が王太子殿下と対峙していた。その横には宰相と国防軍第一部長も控えている。
「数多いる王女の中で一人たりともリュミエスタ王国へ行っておらぬとはどういうことだ?余は、しかと命じたぞ。これは反逆か?」
「いえ、人質派遣の有無ですが、今回の開戦には関係ございません。元々リュミエスタ王国は我が国へ侵攻するつもりだった模様です。人質の件は開戦の口実作りであると愚考致します」
つい最近異動になった第二部長に代わって、新たに第二部長の役職に就いた男性は冷静に現在の情勢を分析していた。極めて優秀な人物であった。
「ここからは国王陛下のご命令をお伝え申し上げます。現下の情勢を鑑み、国政に関する権能を王太子より剥奪する。今後は国防軍総長を国のトップとして、侵略に対処していくこととする。これは終戦までの時限的命令であり、戦争終結と同時に解除される」
「はぁぁぁぁぁ?!」
王太子殿下の叫び声が執務室に響き渡った。まさに寝耳に水の話であった。
ここでノックの音と共に一人の軍人が入室してきた。
「王太子殿下、国防軍総長バルトロでございます。陛下の命により、軍の全指揮権及び国政に関する権能まで、不肖この私へと移譲されました。現時点より、陛下の立案された防衛計画に従って、兵や物資等を管理していきます。あなたからの命令は一切聞く必要無しと通達されておりますので、その旨お含みおきください」
辛辣な言葉を投げかけてきた男は、身の丈2mには達するかという偉丈夫だった。ザ・軍人とでも言うべき厳つい顔をした初老の人物であった。
あまりの衝撃で言葉を発することもできない王太子殿下に対し、第二部長が発言した。
「陛下はあなた様の力量を軽んじているわけではございません。内政能力には今でも一目置いていらっしゃいます。ですが、こと有事となれば国の浮沈も関わってくるため、さすがにお任せできないとのことです」
「こ、これは…、軍によるクーデターではないのか?余は認めん。認めんぞぉ」
「陛下の命に従えないのであれば、御身を拘束するしかありません。如何なさいますか?」
王太子殿下は救いを求めるように宰相のほうを見た。しかし、その宰相も目をそらすのみだった。
「…分かった。余に軍事的才能が全く無いのは認めよう。父上、いや国王陛下の命令についても了解した。だが、適宜報告は上げてくれるのであろうな?蚊帳の外に置かれるのは勘弁してくれ」
「もちろん、全てを報告させていただきます。あなた様が次期国王であるという事実は変わりませんので」
王太子殿下は思った。自分の父親は『戦士王』とも呼ばれた傑物だ。亡国という事態を避けるためにもお任せしたほうが良いのかもしれない。
ただ、このとき国王陛下の戦略構想を聞いていれば、最後まで反対したかもしれない。王太子殿下は後で悔やむことになるのであった。
・・・
この世界には『宣戦布告』という制度は存在しない。
奇襲的効果が見込めなくなるからだ。誰が『今から攻め込みますよ』などとわざわざ言うだろうか。
リュミエスタ王国によるビエトナスタ王国への侵攻は、両国の国境にある砦の攻略から始まった。もちろん、ビエトナスタ王国側の砦である。
防衛側としては、この砦で時間を稼いでいる間に兵の動員を行い、十分な迎撃態勢を整えるのだ。
ビエトナスタ王国における軍の構成は、国防軍総長を頂点として、作戦の第一部、諜報の第二部、兵站の第三部等に分かれている。軍需物資の現地調達(つまり略奪)が基本である他国の軍隊に対して、兵站(補給)を重視している点もまたこの国の進歩的なところであった。
なお、軍の中核となるのは騎士であり、彼らは士官という立場で兵たちを指揮する。一人の騎士が十人の兵長を指揮し、一人の兵長が十人の雑兵を従える。つまり兵長とは下士官のことだ。
これにより、300人の騎士によって統制可能な兵力は30,000人となる。もちろん、これは常備軍というわけではなく、そのほとんどは戦争のつど動員されることになる普通の農民たちである。
他国においても似たような軍制を採用しており、大軍としての常備軍を維持し続けるような国力を持っているのは(この大陸では)ゴルドレスタ帝国くらいらしい。
日本の戦国時代に置き換えると、騎士=武士、雑兵=足軽と考えれば分かりやすいかもしれない。
「これは真でございますか?」
「うむ。鳩による連絡によれば、国境砦は早々に落とされたらしい。第二部第一課の情報を受けて第一部が戦況予測したところ、一週間後にはこの王都に向けて進軍を開始、ここに敵軍が姿を見せるのはさらに三週間後とのことだ。つまり、何も手を打たなければ、今から一か月後には王都決戦となるだろう」
国防軍総長と国王陛下との間で交わされた会話である。
「民たちへの避難指示は完了しております。南下してゴルドレスタ帝国へ逃げるのも可であると…。また前線から遠い西部の民たちへもエーベルスタ王国への逃亡を許可しております。ただ、両国が我が国の難民を受け入れてくれるかどうかは不明ですが…」
「女性や子供、老人が他国へ逃げるのは構わんが、15歳から35歳の男性についての徴兵状況はどうなっておる?」
「もちろん動員は進んでおります。しかし、進軍途中の敵に対して、動員した端から小出しでぶつけるのは各個撃破の機会を与えるだけであり、お勧めできません」
総長の言葉は蛇足である。『戦士王』とも呼ばれた国王陛下がその点を考えていないはずがない。
「兵力の集中原則は基本だが、王都決戦において十分な兵力を用意できるか。それもまた重要だ。敵軍を足止めするには、ある程度の犠牲を覚悟せねばならぬかもしれん」
苦渋の表情となっている国王陛下であった。なにしろ敵軍の動きが早すぎるのだ。おそらくは例のドラゴンによるものであろう。
本来は国境砦で一か月から二か月ほど時間を稼ぐことができるという見込みだったのである。それが開戦から三日程度で落とされるとは…。
「とにかく、決戦の場がここ王都となるのは確定だ。敵軍に包囲される前に非戦闘員の脱出を進めよ。民衆に無駄な犠牲を出したくない」
「はっ!その旨、王都民に通達致します。しかし、僭越ながら申し上げます。今から負けたときのことを想定して動くというのは如何なものかと…」
「ふっ、これは腐った貴族連中への罠でもある。奴らが自領の騎士たちを王都決戦に参軍させるかどうか?それとも逃げ出すか?これは奴らにとっての試金石ともなろう」
陛下と総長の二人は顔を見合わせて、ニヤリと悪い笑みを浮かべた。王都決戦に負けることなど全く考えていない二人であった。
それはたった一人の援軍が彼らの希望となっていたからに他ならない。エーベルスタ王国に対する諜報活動を担う国防軍第二部第三課の優秀さは伊達ではないのだ。




