287 ビエトナスタ王国の王宮② ~第三者視点~
「あなた、隣国に嫁ぐそうね。後宮に入ると言えば聞こえは良いけど、実質的には単なる人質よ。まぁ、あなたに人質としての価値が無いことなんて、あちらの国も知らないでしょうけど…」
「そうそう、あの国って男尊女卑がすごくって、女性は奴隷みたいな扱いしか受けられないんだって。可愛い妹がそんな国に嫁ぐなんて、なんて可哀想…。私が代わって差し上げたいわ」
数年ぶりに他の王女が主催するお茶会に招かれたイリチャムは、異母姉たちからそんな言葉をかけられていた。
ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながらの発言なので、妹のことを心配しているとは到底思えないが…。
「ああ、エーベルスタ王国だったら王様は素敵らしいし、きっと大事にしてくれたでしょうね。本当に残念ね」
それはイリチャムも思っていたことだった。近隣諸国の中では突出して評判の良い国なのだ(離宮の侍女たちからの情報では)。
「お姉さま方、もしも私がいなくなったらどうなるのでしょうね。お姉さま方の中のどなたかが、私の代わりに嫁ぐことになるのかしら?」
せめてもの反撃だ。
真っ青になった王女たちを見ながら、いくらかは溜飲を下げたイリチャムであった。
その後も離宮の侍女たちによる情報収集は進み、真実の一端が見えてきた。
まとめると以下の通りだった。
・極悪非道と名高いアインホールド伯爵への賠償金支払いはこの国の財政を圧迫しており、軍事費の削減をせざるを得ない状況となっている。
・その状況を好機と見た隣国は軍事的な圧迫を続け、ビエトナスタ王国を属国にすべく、人質の派遣を求めた。
・もしも従属の意思を示さなければ、開戦も辞さずという状況に陥っていたのだ。
・そして、もしも戦端が開かれた場合、かなりの国土が敵軍によって侵食されるであろうことは想像に難くない。
・そのような(彼我の戦力差を考慮した)戦況分析の結果が、国防軍によってすでに報告されていた。
・つまり、王太子殿下の発言は単なる強がりであり、隣国の王の寵愛など最初から望むべくも無かったのである。
・おそらくは奴隷以下の扱いを受けることになるだろう。人質だから大切にされるとは到底思えない(そういう国なのだ)。
「私が人質にならない限り、侵略を阻止できないというわけね…」
「姫様だけが犠牲になられる必要はございません。この国に王女様はたくさんいらっしゃるのですから」
イリチャムと筆頭侍女との間の会話である。
王女としての扱いを受けてこなかった彼女だったが、それでも親切にしてくれた王宮の使用人たちへの情はある(家族への情は無いが…)。
そこへ国王陛下付きの侍女が離宮へと派遣されてきた。
「お初にお目にかかります。イリチャム様へのお目通りが叶いましたこと、ありがたく存じます」
そのときこの場で彼女が語った計画は驚くべきものだった。
この国を脱出し、エーベルスタ王国の王宮へ保護を願い出るというものだったのだ。ビエトナスタ王国の国王陛下(イリチャムの祖父)と彼の国の国王陛下は懇意であり、その関係性は悪くないそうだ。余談だが、王太子殿下(イリチャムの父)とエーベルスタ王国の関係はあまりよろしくない。
「私の個人的な意見でございますが、エーベルスタ王国の王宮ではなく、ツキオカ男爵という新興貴族を頼るのがよろしいかと…。その者への保護要請を拒否された場合の次善の策として、彼の国の王宮を頼るべきではないかと愚考致します」
「私が逃げても大丈夫なのですか?」
「もちろん、代役が立てられることになるでしょう。しかし、これまで王女として贅沢三昧をされてきた方々こそが、その役目を担うべきと考えます。これは王城で働く使用人の総意、いえ国民の総意と言ってもよろしいかと…」
「あ、ありがとう。感謝します」
思わずイリチャムの目から涙が零れ落ちた。自分が愛されていると実感した瞬間だった。
・・・
国外脱出計画は秘密裡に進められ、ついに決行の日を迎えた。
豪華な馬車で隣国へ向かうまさにその日だった。イリチャムはその馬車には乗らず、国王陛下付きの侍女と二人で別の質素な馬車に乗っていた。使用人用の馬車は5台もの数が後続していたのである。
なお、豪華な馬車には、替え玉として(国王陛下直属の)影働きの者が乗っている。隣国との国境に到る前に姿を消す予定なのだ。
王都を囲む街壁の外へ出た一行。なお、護衛の騎士たちもやはり国王陛下の息のかかった者たちだった。
街道を東へ進むと本来向かう国、西へ進むとエーベルスタ王国という状況下、東へと進んでいく一行。
見通しの悪い森を抜けたとき、一台の馬車と二人の騎士がいなくなっていたことに気づいた者は果たしていただろうか。
王都を迂回するように、行く先を北へと変更した質素な一台の馬車は、二人の護衛と共に西の国境を目指したのであった。
国境を越えてエーベルスタ王国に密入国したのはイリチャムと侍女の二人だけだった。さすがに護衛の騎士は越境することができない。馬車も降りて、ここからは徒歩になる(もしくは乗合馬車を利用する)。
デルト準男爵の治めるデルトという名の街らしい。
イリチャムは思った。そろそろバレる頃合いか…。そうなれば、きっと追手がかかるに違いない。姉たちが人質になることに納得するわけがないのだから。




