161 拉致事件に遭遇
今日は珍しくナナと二人だけで行動している。
アンナさんは屋敷の管理で忙しいし、サリーも何かあったときの主戦力として屋敷にいてもらわないといけない。オーレリーちゃんは花壇を整備するって朝から張り切っていた。
もちろん、マリーナさんとサーシャちゃんは屋敷内でお仕事です。
「お兄ちゃん。二人だけで行動するのって、私たちが出会った最初の頃みたいだね。駆け出し冒険者の頃は薬草採取ばかりやってたけど…」
「そうだな。あれからまだ一年も経ってないってのが不思議だよ。なんか色々なことがあったが、こうして元気に過ごせていることに感謝しないとな」
「うん。私の場合は特にそうだよ。いったい誰がお兄ちゃんをこの世界に呼んだのかは分からないけど、まじでその人に感謝だね。もしもお兄ちゃんのいない世界線だったら、私は絶望の中で自殺していたかもしれない…」
まぁ、たまたま俺がナナの所属する冒険者パーティーに遭遇していなければ、この子は不良冒険者たちに襲われていただろうからね。
「それが今じゃ、男爵令嬢なんて呼ばれてるんだもんね。実は、絶望の世界にいる私がそういう妄想をしてるだけなんじゃないかって、たまに思ったりもするよ。それだけ今が幸せってことなんだけどね」
マルチバースというか、パラレルワールドの中には、もしかしたらそういう絶望の世界もあるのかもしれない…。
いや、そんなことは考えたくないな。俺たちにとっては、この世界が唯一無二のものなんだから。
こんな会話をしながらのんびりと王都を歩いていた俺たちだが、その目的地は冒険者ギルド『エベロン支部』だ。馬車だと近く感じるけど、徒歩では結構あるな。
なお、幌馬車を使っていない理由は、特にない。まぁ、たまには馬たちにゆっくり休んでもらいたいってくらいの理由かな。
そして、この判断が功を奏したことに気づいたのは、このあとの事件が発生したあとだった。
・・・
貴族街から平民街へと入り、大通りの端っこを歩いている俺たち…。
ふと、前方を見ると、二人の女性がのんびりと歩いていた。後ろ姿なので顔は見えないけど、150cmまではいかないくらいの身長の子が先を歩き、その斜め後ろを頭一つ高い身長の女性がついて歩いているという状況だ。
親子や姉妹というよりも、主人と召使という雰囲気だな。ただ、服装は簡素なワンピースで、平民っぽい。
先行する女の子が物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回している。どう見ても王都に来たばかりのお上りさんって感じで、ちょっと微笑ましい。
もしかしたら貴族令嬢がお忍びで街歩きを楽しんでいるのかもしれないね。てか、俺の隣を歩いているナナだって、立派な貴族令嬢なんだが…。
護衛の姿は見えないけど、きっと陰から見守っているのだろう。いや、知らんけど…。
見るともなしに前方の二人を見つつ、歩くスピードの違いで、次第に距離が近づいてきた。
ただ、あまりに彼女たちに近づき過ぎると、(見えない)護衛に警戒されるかもしれない。
ちょっとペースを緩めるか…。いや、それはそれで尾行しているみたいで、ストーカーっぽいけどな。
「ねぇ、お兄ちゃん。前を歩いている女の子って貴族の子かな?」
「お、ナナもそう思うか?平民にしては雰囲気が高貴な感じだもんな」
貴族令嬢って、幼少時からの礼儀作法の教育によって、立ち居振る舞いが洗練されたものになるらしい。つまり、高貴な雰囲気は隠せない。…って、イザベラお嬢様が言ってた。
ナナにも礼儀作法の家庭教師を付けてあげるべきなんだろうか?
…っと、そのとき、後方から猛スピードで迫り来る馬車が一台。
貴族が使うような豪華な馬車で、側面には何かの紋章が彫り込まれていた。一瞬だったので、どこの貴族家のものかは分からなかったけど…。
その馬車が前を歩く二人の女性のすぐ横で急停止し、中から出てきた覆面の男二人によって女性たちが拉致されたのが見えたよ。屈強っぽい感じの大柄な男性(多分)だったけど、女性たちが叫び出さないように手で口を押さえていたから、拉致であることは間違いない。
え?まさか白昼堂々、こんな大通りで事件を起こすか?
ほんの少しの間、呆然としてしまった。
「お兄ちゃん!」
ナナの声を聞いて我に返った俺は、再び爆走を始めた馬車を自分の脚で走って追いかけ始めた。見失ったら大変だ。
ちなみに、時間が無くてナナには何も指示できなかったけど、おそらく適切な行動を取ってくれているはずだ。こういうときのナナは信頼できるからね。
問題は、馬車と俺の脚では速度が違い過ぎるってことだな。
走りながら【空間魔法】の【ジャンプ】を発動して、馬車との距離を縮めては、また離される。再度【ジャンプ】によって距離を縮める。これを繰り返しながら、なんとか見失わずに尾行していった。
なお、俺の【空間魔法】のスキルレベルは34なので、初級魔法である【ジャンプ】の成功確率は54%だ。一度の【ジャンプ】で100メートルほど跳べるので、成功と失敗を繰り返しながらも、なんとか食らいついていったよ。
心配なのは魔力の枯渇だな。でも、【アイテムボックス】の中には魔力回復ポーションが常備されているから、きっと大丈夫だろう。
あ、追いかけているのが犯人にバレるのでは?という心配はいらない。
こういうときのために、認識阻害のローブを購入して【アイテムボックス】に入れっぱなしにしておいたのだ。なお、以前エイミーお嬢様から借りたローブではなく、自前で購入しておいたものだよ(値段は高かったけど…)。
このローブを着ていないと、犯人だけじゃなく、普通の王都民たちからも注目されてしまうことになるからね。なにしろ【空間魔法】は超レアな魔法らしいし…。
・・・
そして、かなりの距離を走ったあと、ようやく馬車が停まった。王都の南西にあるスラム街の入口付近だった。
馬車の中から目隠しと猿轡をされた二人の女性、及び覆面を付けた二人の男性の計4人が出てきた。なお、女性たちは両手を後ろ手に縛られていた。
その場所には別の馬車が停まっていたんだけど、そちらの馬車へと乗り換えた様子を確認することができたよ。それは、あまり立派とは言い難い普通の箱馬車で、引く馬も一頭だけだった。
貴族家のものらしい豪華な二頭立ての馬車はUターンして、今来た道を戻り始めた。ちなみに、馬車側面の紋章に見覚えは無かった(全ての貴族家の紋章を覚えているわけじゃないけど)。
どこのお屋敷に戻るのか気になるところだが、俺の身体は一つしかないからね。優先すべきは拉致された女性たちのほうだろう。
動き出した箱馬車を追って、再度、追跡を再開した俺だった。
てか、走り続けていたせいで、かなり息が上がっているよ。【鑑定】をかける余裕もない。
途中で助け出す機会を窺っていたんだけど、どうにもそのチャンスは無かった(残念ながら)。
とにかく、目的地まで見失わないように尾行していくしかない…。




