144 顕微鏡越しの鑑定
各治療所を一巡したあとは、一日に5か所の治療所を巡回し、二日間それをこなしたら一日休み(宿屋で待機)というサイクルで活動している。
なお、俺たち『暁の銀翼』がこの依頼を受注してからもう二週間になるのだが、どうやら病の終息宣言は近そうだ。
というのも、10か所ある治療所の患者数の増減を見たところ、担ぎ込まれる重傷者数よりも、完治して退所する人数のほうが上回っているからだ。つまり、徐々に重症者数は減ってきている。
衛生の概念に関する啓蒙活動も順調で、それによる新規罹患者数も減少傾向にあると判断されているしね。
さらに、他のスラム街や平民街、貴族街への流行の兆しも見られないのは僥倖だ。
ちなみに、オットーさんのガラス工房を訪れてから一週間後に、再度イザベラお嬢様と一緒に工房を訪問し、接眼レンズと対物レンズの完成品を受領した。
鏡筒の端に取り付ける接眼レンズと対物レンズの距離については調整可能にして、試行錯誤でその距離を決めるようにしている(量産する際は固定するけど…)。
あと、スライドガラスを置くステージを上下できるようにして、その下には反射鏡も付けた。ステージではなく鏡筒を上下させるようにするかどうかは迷ったけど、構造的にステージを可変にするほうが簡単そうだったからね。
ちなみに、倍率は900倍(接眼30倍×対物30倍)となっている。
今日は完成した顕微鏡(試作品)を使って『大腸菌』を観察する。宿屋の一室に集まったメンバーはアリスさん、グレッグ医官、イザベラお嬢様、そして俺の四人だ。
なお、接眼レンズと対物レンズの距離については、すでに適切な位置に調整済みだ。
試料としては、患者の排泄物を希釈したものをグレッグ医官に用意してもらい、それを一滴だけスライドガラス上に垂らしている。
で、それを顕微鏡のステージ上にセットし、その上下位置を調整することでピントを合わせた。もちろん、反射鏡の角度も光量が十分に得られるように調整した。
接眼レンズを覗き込んだ俺は、そこに何かが見えていることに満足したよ。あまりはっきりとは見えないけどね。
小さ過ぎて鞭毛までは見えないものの、【鑑定】によってそれらが『大腸菌』であることは分かったよ。
鑑定結果はこのようになっていた。
・名前:腸管出血性大腸菌
・説明:大腸菌の一種。腸管内でベロ毒素を産生することで、人間の体内においては強い病原性を有する。
ナナが予想したように『O-157H7』とは表示されなかったけど、そりゃそうか。地球で付けられた名前が、この世界で表示されるわけはない。
まぁ、『ベロ毒素』という名称については、なぜか表示されているけどね。
「グレッグさんもどうぞ確認してみてください。ここに見えているのが微生物ってやつですよ」
俺の勧めに従い、グレッグさん、イザベラお嬢様、アリスさんの順番で顕微鏡を覗き込んでいった。
「ここに見えたものを俺も【鑑定】してみたぜ。確かに『腸管出血性大腸菌』って出やがった。この顕微鏡って代物の発明と『大腸菌』等の微生物の発見は、この国の医学を大発展させるぞ」
グレッグさんが感動している。今まで見えなかったものが見えるようになったわけだから、そりゃ感動もするよね。
「むー、やはり『グラム染色』したいところだな。大腸菌はグラム陰性だから赤色に着色できるはずなのだ」
…って、また訳の分からんことをイザベラお嬢様が宣っているよ。
グラム陽性菌は紫色に、グラム陰性菌は赤色に着色されるのがグラム染色だそうだ。要するに、見えやすくなるらしい。でも、そのための薬剤が入手できないってさ。ダメじゃん…。
「感動です。画期的な発明と発見です。王室から勲章を授与されるかもしれません。やはりお兄さんには王宮厚生部に入っていただかなくては…」
アリスさんが変なテンションになっているよ。いや、勲章とか要らないし、王宮には就職しません。
「えっと、アリスさんの名前で論文を書いて発表してもらえれば…。グレッグさんとの共著でも良いですよ。とにかく、俺の名前は出さないようにお願いします」
「「なにぃ~!」」
アリスさんとグレッグさんの叫び声がハモった。
「おいおい、この国、いや世界の歴史に名を残すことができるんだぞ。無欲にもほどがあるってもんだぜ」
「まったくです。お兄さんって変人、いや、もはや変態ですか?」
…って、誰が変態やねん!
「変人でも変態でもありません!このくらいはニッポンでは常識ですし、俺よりもナナのほうが詳しいですからね。とにかく、これで今回の事件についての報告書を作成する際、その根拠を示せるようになったと思います。俺としては、冒険者ギルドの依頼さえ達成できれば良いのですよ」
「くっくっく、ツキオカ殿とはこういう男なのだよ。アリス・オコーナーにグレッグ医官、ありがたく栄誉を受け取っておきたまえ。将来、別件でこの男を手助けできるような機会があったら、そのときに助けてやれば良いさ」
イザベラお嬢様がうまくまとめてくれた。ありがとうございます。
・・・
顕微鏡の量産と販売については、イザベラお嬢様のいるルナーク商会のほうでやってくれるそうだ。オペラグラスのついでだ…って言ってたけどね。
今回の『第3号病毒事件』についての報告書はアリスさんが作成し、微生物に関する論文についてはアリスさんとグレッグさんが共同で執筆することになったらしい。あと、数人の医官の人も協力するってさ。
俺たちはギルド支部長からの指名依頼書にアリスさんの依頼達成サインを貰えればそれで良かったんだけど、アリスさんは一緒に冒険者ギルドに行って、俺たちの貢献度を支部長に直接説明するって言ってくれた。まぁ、ありがたいことではある。
「…というわけで、今回の食中毒事件における彼らの貢献度は極めて大だ。ぜひ、規定以上の報酬を与えるよう、強く提案させていただきたい」
冒険者ギルド『エベロン支部』の支部長室で、好々爺然とした支部長を前にアリスさんが熱弁をふるっている。ありがとうございます。
「うむ、分かった。一日20万ベルの報酬が20日分で400万ベルとなるが、そこに成功報酬を加えて1000万ベルを支払うことにする。それで良いだろうか?」
俺としては全く問題ない。てか、そもそも成功報酬の規定は無かったし、ちょっと貰い過ぎかもしれない。
「はい、大丈…」
「ちょーっと待ったぁ!それは成功報酬がたったの600万ベルということではないか!彼らの貢献はその10倍、いや100倍には相当するぞ」
俺の言葉を遮って、アリスさんが支部長に食って掛かっている。いやいや、10倍で6千万ベル、100倍だと6億ベルじゃないですか。さすがにそんなには貰えませんよ。
このあと、アリスさんと支部長の爺さんとの間に丁々発止のやり取りがあって、結局は『成功報酬は1600万ベルで、報酬総額は2000万ベル』というところに落ち着いた。…って、一人あたり400万ベルかぁ。魔道具製作のために常に金欠状態の俺にとってはありがたいかな。
アリスさんはその額にかなり不満そうだったけどね。
支部長室を出た俺たちは、冒険者ギルドの飲食スペースで昼食を摂ることにした。もちろん、アリスさんも一緒だ。
「アリスさん、報酬の交渉をしていただき、ありがとうございました。お礼と言っては何ですが、この顕微鏡を受け取ってください」
俺の作った顕微鏡は試作品ではあるが、その使用に問題はないし、ルナーク商会から量産された顕微鏡が発売されるには、まだまだ時間がかかりそうだからね。
論文の執筆に活用して欲しいという思いもある。
「良いのか?私としてはとてもありがたいのだが、原材料費だけでもかなりのお金がかかったのではないか?」
「いえ、魔道具ほどではありませんから…」
そう、実際レンズ代が最も高額だったんだけど、それでも二つで20万ベルだったからね。原材料費としては30万ベルにも達していないのだ。
というか、今後、俺が顕微鏡を活用することは多分無い…。微生物観察が趣味ってわけでも無いしな。
「ねぇねぇお兄ちゃん、顕微鏡で自分の精子は見た?男の人って顕微鏡を買ったら、ほとんどの人が見てみるらしいよ」
「どこの世界の話だよ。てか、見てねぇよ。あと、女の子が平気な顔で『精子』言うなや」
ナナと俺の会話に不思議そうな顔でオーレリーちゃんが質問してきた。
「サトル様、せいしって何ですか?」
こ、これは史上最大の窮地なのではないだろうか。純真無垢なオーレリーちゃんにどう答えれば良い?
流れ出た汗があごの先からテーブル上に滴り落ちたよ。ナナのやつ、まじで許さん…。
年末年始は投稿をお休みさせていただきます。次の投稿は正月明けの予定です。
それでは皆様、良いお年を。




