黒の魔女と白の魔女 そしてついでに海の魔女
大海原を見下ろしながら、天馬に横乗りした魔女が飛んでいた。
快晴の空からは想像もつかないが、昨夜はひどい嵐だった。
何隻もの船が転覆したに違いない。
何か面白いものが浮かんでいないか、空の散歩ついでに見回してみた。
かなり大きな船が波でバラバラにされたのだろう。
広い範囲に樽や板切れや、折れたマストなどが浮かんでいた。
船の荷はほとんど海の底に沈んでしまったようだ。
探しに行くことは出来るが、海の魔女と鉢合わせるとやっかい。
縄張りを荒らしたと怒られたりはしない。
海の魔女は姉の友人だ。
彼女はもてなし魔。海に入ったが最後お客様として、それはそれは丁重にもてなされる。
経験上、最短で一年。
話によれば、三年間出してもらえなかったお客もいるとか。
それは、ちょっと困る。
諦めて飛び去ろうとしたとき、光るものが目に入った。
近づいてみれば、幼い姫君だ。
白金の髪が海水で汚れていたが、それでも美しい光を放っていた。
姫君は怪我はなかったが命の灯が尽きかけていた。
魔女は魔法で姫君を拾い上げ、その時間を止めて特別な空間にしまった。
手あたり次第、いろいろと仕舞い込む癖のある魔女は、その姫君のことを300年間忘れていた。
◆・・・◆・・・◆・・・◆・・・◆・・・◆
「まあ、相変わらずつれないお返事ですこと」
ドレスも靴もジュエリーも手袋も、何もかも黒い女は黒い扇子の陰でため息をついた。
落ち着いた琥珀色の髪と目が知性をうかがわせる。
白い肌は衣服とのコントラストで一層輝き、その美貌に衆目が集まる。
外国から遊びに来ている貴族である、という以外は年齢も身分も不詳。
下手に話しかけても、軽くあしらわれて男たちはたじろぐばかり。
いつも黒い装いの彼女は、畏怖を込めて黒の魔女と呼ばれるようになっていた。
「申し訳ないです」
話し相手は伯爵家の令息。
年齢は十八歳。
夜会に参加すれば眩しいほどの美しさで令嬢方の視線を集めてしまう。
金髪碧眼のその姿は王子様を思わせ、光の王子というあだ名まであった。
「遊びでのお付き合いは出来ません」
彼は見た目よりさらに、中身の清廉潔白さが際立っていた。
どれだけ言い寄られても、女性を受け入れた例がない。
それも、誠意ある言葉で断るので、女性たちは引かざるを得ない。
一度断られた女性が、再度申し込むことはなかった。
唯一の例外を除いて。
その例外が黒の魔女だ。
光の王子に執着しているようには見えなかったが、夜会で顔を合わせれば必ず交際を申し込む。
まるで、彼の不器用だが誠意ある断りの文言を楽しむかのように。
ある夜のことだった。
「この国に、あなたのお眼鏡にかなう女性はいないようですが、一生独身で過ごされますの?」
そう訊かれた光の王子が答えた。
「夢で見たのです。白金の髪にアメジストの瞳。
まだ幼い少女でしたが、彼女が私の運命の相手だとわかりました。
彼女に出会えなければ、一生一人かもしれません」
「男女間で運命などと、重いお考えですこと」
「そうかもしれません。だが、そう考えるのが私です」
「そうですか」と気をそがれたように返事をしながら、黒の魔女は自身の記憶を探るように遠い眼をしていた。
それから、しばらく後。
光の王子は友人たちと、森での狩りに出かけた。
何度も来ているはずの森は、その日は様子が違っていた。
いつの間にか友人たちともはぐれてしまった。
目印の木は見つからず、休息できるはずの泉もない。
困り果てて、疲れた馬の手綱を引きながら歩いた。
しばらく行くと、ふいに開けた場所に小さな館があった。
この森に住む人がいただろうかと訝しみながらも、ドアをたたく。
中から現れたのは、三十歳くらいに見える執事のような男だった。
「申し訳ないが、狩りで友人とはぐれた。
館の前庭で少し休ませてもらってもいいだろうか?」
と尋ねれば、執事は言った。
「それは、お疲れでございましょう。
中へお入りになって、お休みください。
飲み物と…お食事も必要でしょう」
「ありがとう」
疲れ切っていた光の王子は、厚意を素直に受け取った。
居間で軽い食事をもらい、そのままソファで転寝したようだ。
目覚めれば窓の外は、すっかり暗かった。
明かりを持ってきてくれた執事が、
「夜の間は森を歩かれないほうがよろしいでしょう。
朝になってから出発なさっては?」
と引き留める。
確かに、明るい時でさえ道に迷っていたのだ。
「何から何まで、甘えるばかりで申し訳ない。
たいへん助かる」と礼を言った。
使っていない厩があるというので、馬を入れさせてもらった。
馬の世話を終えて館に戻ると、食堂に夕食の用意があるという。
テーブルには一人分の食事しかなく、主が不在なのか尋ねた。
「主には、お食事の後でお会いいただきます」
との返事だった。
食事を終え、執事の後をついて行くと一番奥にある部屋に案内された。
開かれたカーテンから月の光が差し込む部屋には、天蓋付きのベッドがあった。
「こちらが主でございます」
紹介されたのは、ベッドで眠る少女。
白金の細くふわりと広がった髪の毛が、まるで妖精のようだった。
光の王子は彼女を見て確信した。
「私の運命の相手だ…」
「なんと!?」
執事は驚愕した。
「お嬢様は、去る国の姫君でしたが既に国は滅んでいます。
ご本人のお命も尽きかけております」
「何か手立てはないのですか?」
執事は言い淀んだ。
「私に出来ることは、ありませんか?」
重ねて問う王子に、執事はしぶしぶ口を開く。
「ある魔女の見立てによりますと、心からお嬢様を大切にしてくださる方がずっと側にいてくだされば生き永らえる可能性がある、と」
ならば自分が、と名乗り出る王子に
「ですが、それは側にいる方の生命力を奪うのです」
と残酷な事実を告げた。
「お嬢様の傍らから離れることなく、命を注ぎ続け、それでもお嬢様が目覚めるとは限らない」
「それでも!」
「生命力を奪われたあなたは美しく育っていくこの方のために、通常の何倍もの速さで老いて行ってしまう。
十歳のお嬢様に十年生命力を注いだとしましょう。
お嬢様が目覚めたとして、二十歳になったお嬢様の隣にいるのは、すっかり老人になったあなたです」
「かまいません。それで彼女が永らえ、幸福な未来をつかめるのなら」
執事は彼を受け入れた。
全てを姫君に捧げる覚悟をした光の王子は、家に帰らないことを告げる短い手紙で家族を含む世間へと別れを告げた。
光の王子は幸福だった。
青白かった姫君の頬は、だんだんと薔薇色に輝き生気を取り戻していった。
まるでおとぎ話の眠り姫のように美しい少女。
幼い少女は少しずつ成長していく。
彼女を見るだけで幸福感に満たされ、身支度の時に見る鏡の中の老いていく自分のことなど、一切気にはならなかった。
それから十年が経ち、とうとう姫君は目覚めた。
光の王子が見守る中、開かれた目の色はアメジスト。
起き上がった彼女は、ベッドの傍らの椅子に座る白髪の老人に語りかけた。
「ああ、あなたですね。光の王子様」
「私はただの老人です」
「いいえ、わたくしにずっと愛を注いでくださいました。
これからは、わたくしがお返しする番です」
姫君は椅子の前に立ち、老人になった光の王子に口付けた。
すっかり足腰が弱り、立ち上がることも億劫になっていた王子はその口付けで力を得た。椅子から立ち上がり、姫君を胸に抱いた。
それから姫君は王子に寄り添い、身体を支え、助け、時に口付けた。
時は逆行しない。
すっかり老人になっていた王子は、半年後にはベッドから起き上がれなくなり、姫君は今までしてもらったように傍らで世話し続けた。
更に半年後、しばらく眠り続けていた王子に旅立つ日が近づいた。
姫君は、ずっと手伝ってくれた執事に告げた。
「お世話になりました。
貴方のお陰で、わたくしは光の王子に出会い、彼を愛する時間を得ました。
最後に一つだけ我が儘を許していただけるなら、彼と共に旅立ちたいのです」
執事は黙って頷いた。
姫君は光の王子の隣に横たわると愛しげに彼を見つめ、手を繋いだ。
二人の生命力が混ざり合い、均等に分けられていく。
数日後、人気のない村の朽ち果てた教会の墓地に、二人が葬られた。
一つの大きな棺に並んで横たわった男女は、長年連れ添った老夫婦に見えた。
老いた二人の顔に浮かぶ幸福そうな微笑は、とても美しかった。
「素敵な埋葬ね」全身白い衣装をまとった白の魔女が話しかけた。
一連の埋葬を一人で行っていた執事はどこにも姿が見えず、そこにいたのは黒の魔女だけだった。
「そうね。彼らは幸せだと言ったわ。それが全てね」
黒の魔女は寂し気に微笑んだ。
「私も何か手向けましょう」
白の魔女が空に向かって両腕を広げると、墓地中に白い花びらが降り注いだ。
「十年以上、森にこもっていたのですもの。少しは気分転換なさいな」
「海の魔女のところへでも行こうかしら」
「海の魔女と言えば、もてなし好きが高じてオーベルジュを始めたの」
「商売にしてしまったのなら、ゆっくり出来ないわね」
「じゃあ、半年ほど貸し切りで予約しましょうか?」
「お姉さまのおごりなら、是非お願いしますわ」
「まあ、しょうがないわねえ」
いつの間にか墓地に現れていた白の天馬と黒の天馬に横乗りし、二人は空へ飛び立った。
海の魔女は二人を大歓迎してくれた。
黒の魔女は土産代わりに、光の王子と白金の姫君の話をした。
それを聞いた海の魔女は、自分の蔵へと案内する。
ケーキの仕上げがあるからと、海の魔女はキッチンに戻っていった。
黒の魔女と白の魔女は指示された宝箱を開けてみる。
三百年前に海の底に沈んだ宝の中には一つの絵姿があった。
光の王子と瓜二つの絵姿は、姫君の婚約者。
国の滅亡間際に姫君を逃がすため、自らの命を捧げたのだという。
「あなたがいなければ、二人は会えなかったのね」
「私は親切で会わせたのではないわ。
十年も、自らを犠牲にして誰かを助けようとする人間がいるなんて。
絶対にすぐ逃げ出すと思っていたわ」
「運命の恋には逆らえないのでしょう」
「運命の恋なんて、まるで呪いのようだわ」
「呪いなのかもしれないわ」
「ずっと呪われ続けて、何度も生まれ変わって何度でも巡り合えばいいのよ」
白の魔女にハンカチを差し出され、黒の魔女は自分の涙に気が付いた。
お茶の支度が出来たと、海の魔女が呼びに来た。
「姫君が海に沈んでいたら、生まれ変わって人魚姫になってたわ」
海の魔女が、自慢のケーキをすすめながら言う。
「あら、そうなったら、もう光の王子と会えないのではなくて?」
白の魔女が問うた。
「そうなると、次は王子様が難破するのよ」
「悲恋の予感がするわ」
筋書きとしては悪くない、と白の魔女がうっとりしている。
それでも、出会えたことに幸福を感じるのだわ。
お茶を飲みながら、黒の魔女は考えていた。
「あなたも恋がしたくなったかしら?」
「え?」
ふいに白の魔女に話しかけられ、黒の魔女は驚いた。
「あら、私に紹介できるのはイケメンのマーマンか気のいいシーサーペントくらいよ」
「私の妹を海に引きずり込まないでちょうだい!」
「親友の妹は、私の妹も同然。いい男を紹介しなくては!」
「あら、私がいつあなたの親友になったのかしら?」
「そうね、あれは3千年前のことだったかしら…」
相変わらずの二人の漫才に、黒の魔女も暗い気持ちでいるのが馬鹿らしくなってきた。
恋人はともかく、海の友達ならいてもいい。
イケメンのマーマンは暑苦しそうだ。
「海の姉さま、シーサーペントを紹介してくださる?」
「まあ、その気になったのね!」
「その気にさせないでちょうだい!」
「水着を作ったほうがいいかしら」
「その方が楽しいわね」
「初対面で水着は破廉恥が過ぎないかしら?」
「どうせなら黒じゃないのがいいかも」
「七色はどうかしら」
「いきなり派手過ぎない?」
「じゃあ減らして六色?」
「いきなりありがたみが減ったわ」
「七色の呪いね」
「じゃあ、七色にするわ」
「今後は虹の魔女と名乗ればいいわ」
「人の妹の呼び名を勝手に変えないでちょうだい!」
トリオ漫才が止まらない。
お茶の時間が終わると、白の魔女が改まって切り出した。
「新しいお友達を作る前に、まずはあなたの持ち物チェックをしましょう!」
「…え、それは…」
しまい込んだガラクタは、たぶん物凄い量なのだ。
把握できてないけど。
「瀕死の姫君なんて、もう隠してないでしょうね?
縁結びも悪くないけど、あなたが傷つくようなお宝は嫌だわ」
「ごめんなさい、姉さま」
広めの一室を借りて、持ち物を一部分出してみた。
「これだけで百分の一くらいかな…」
消え入りそうな黒の魔女の言葉に、白の魔女も絶句する。
お茶の片づけを終えて部屋を覗いた海の魔女も、目を瞠る。
「すごいわね! でも大丈夫。
とりあえず半年、三人で片付ければだいぶ減るはずよ」
ざっと見渡していた海の魔女は、早くもお宝発見のようだ。
「ちょっと、これはお手柄よ!
二千年前に絶滅した、ランプイカ!!!
私のオーベルジュの目玉になるわー!!」
時を止める魔法が得意な黒の魔女は、動植物もたくさん持っていた。
しかも、前に入れたものを忘れているので複数あったり、オスメス揃っていたり。
博学の海の魔女は大喜びだ。
黒の魔女は殊勝気に言った。
「海の姉さまの役に立つものがあれば、全部さしあげます」
「ありがとう! あなたたち姉妹には永久無料パスを発行するわ!」
ガラクタの思わぬ有効活用だ。
早くも嫌気がさしていた白の魔女も、ちょっとだけやり甲斐を感じた。
半年後、黒の魔女のお宝はとりあえず全てが一度は確認された。
イキモノとナマモノは海の魔女に預けられ、いくつかの宝石類はお駄賃と称して白の魔女に取り上げられた。
幸いにも、一定以上の知性ある生物は発見されなかった。
開けちゃいけない箱とか開けちゃいけないドアとか、無い方が世界平和に貢献できるものは厳重に封印して再び奥へとしまい込まれた。
美術的価値や歴史的価値のあるものは、オーベルジュの展示品として貸し出される。
シーサーペントに会うために作る水着にピッタリな、七色の宝石も見つかった。
海の魔女が呼んでくれたオクトパスの仕立て屋が、真珠のような光沢のある生地に丁寧に宝石を縫い込んでくれた。
片づけが一段落した時、黒の魔女は白の魔女と海の魔女に深々と頭を下げてお礼を言った。
海の魔女が連絡を取ってくれ、シーサーペントと会う日が来た。
海底のオーベルジュまで来てくれた彼は人の姿をとっており、黒の魔女にとってどストライクのイケメンだった。
クールな雰囲気で、暑苦しさゼロだ。
もし彼が岸辺に打ち上げられていたら、すぐに収納してしまいそうだ。
視線を感じて白の魔女を見ると、考えを読まれたのか睨みつけられていた。
『イキモノとナマモノはしまってはいけません!』と姉は言い
『やっちゃったときは、私に相談していいからね』と海の魔女に言われたんだっけ。
オーベルジュの喫茶室で話をする間、黒の魔女はいつもの黒いドレス姿だった。
シーサーペントとの話が盛り上がるにつれ、黒いドレスはもう自分に似合わないような気がした。
お茶の後、海上ドライブに誘われたので黒の魔女は水着を着た。
「とてもよく似合っていて、可愛いです」と褒められ自分でもびっくりするほど頬が熱くなった。
黒の魔女は巨大な海蛇の姿になったシーサーペントの頭の上に乗せてもらい、白の魔女と海の魔女に手を振ってドライブに出かけた。
水しぶきが上がり、虹がかかる。
海の魔女は「これはもう、虹の魔女で決定ね」と言った。
白の魔女は「そんなことよりあの水着、まるで花嫁衣装のようだわ」と顔をしかめた。
「妹が心配なのはわかるけど立派な大人なんだから、しばらく南の海から帰ってこなくても、そっとしておいたら?」
白の魔女はため息をついた。
「恋人と過ごすのはいいの。でも目を離した隙にまた、いろいろ拾って仕舞い込まないか心配なのよ」
「そうなったら、次の片付けはシーサーペントに手伝わせればいいわ」
「やってくれるかしら?」
「愛を試すには丁度良さそうよ」
それもそうかと、白の魔女は納得した。
水平線にシーサーペントのたてる水しぶきが、まだ見えていた。
あまり噂をして彼がくしゃみをしたら、大波が起きて危ないわねと笑いながら、二人は海の底に戻っていった。




