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クロの瞳の異邦人 「8」

 惨劇は全て終わった。

 後に残された者たちは今、慰めにもならない霧雨と、どうしようもない寂寞と沈黙とに包み込まれていた。

 アリサは血に濡れたハチェットを払ってからホルダーに収めると、スウェンに預けていたパンドラを受け取った。


『ただいま、アリサ』

「おかえり、パンドラ」


 念のためと、デニムのポケットに突っ込んでいた金色の懐中時計を改めると、その秒針は微動だにしていない。

 つまりは、アリサが狩るべき獲物の存在が無いことを示している。

 一先ずの役目を終えた時計をパンドラにしまい込むと、ヒニアスの嘆き声が耳朶に触れた。


「僕は……僕たちは、これから、どうしたら……」


 彷徨う視線は、まるで助けを乞う乞食かのようにアリサへと向けられる。

 あまりにも弱々しい彼の瞳に、覇気や生気といった類のものは完全に失せていた。

 見る人が見れば、それは大いに憐憫を誘うことだろう。


「……初めから、ヘンだなとは思ってた」


 人狼と化したアーニーは、街道を往く子連れの馬車を襲撃して両親のみを殺害し、残されたスウェンとルウシェを一度は見逃す。

 森へ逃げ込んだのを見計らいアーニーはそのままバケモノを演じて子供を追跡、襲うフリこそすれ決して傷付けることなく立ち回り、タイミングを見計らってカリャンナが救助に駆けつけて二人を無事に保護する。

 それこそ、彼女たちが望んでいたシナリオ。

 しかし、今回はそこにアリサという完全にイレギュラーな存在が割り込んでしまった。

 ただでさえ想定外の存在なのに加えて『夢狩』のアリサはバケモノと化したアーニーを凌駕するほどの戦力を誇っていた。あのまま戦い続けていたらアーニーは討伐され、姉妹の『夢』の計画は潰えてしまう。二人は、大いに戸惑ったことだろう。

 だから、あの時のアーニーは想定外の事態に対応できず攻め手が止まり、咄嗟の判断を仰ぐべく姉の姿を視線で求めた。

 カリャンナは想定していたシナリオとは異なる、アーニーへの威嚇射撃ではなくアリサへ向けて引き金を引くことを選んだ。

 結果として戦闘は中断となり、カリャンナは平静を装ったままアリサを修道院へと招待した。これは、子供だけを連れ帰ることへの違和感を払拭するためだろう。


「……ひ、ヒニアス……くん……」


 彼女たちの『夢』はアリサが断ち切ってしまった。

 その結果として、今目の前で哀れな少年が一人蹲っている。

 駆け寄るルウシェは彼の身体を支えながらアリサへ寄越す。

 でも、ルウシェもハッキリとではないにしろ、この複雑な状況を胸の内では理解はしている。理解しているが故に適切な言葉を上手く見つけられなくて、視線は彼やスウェン、アリサとを右往左往するばかり。


「ルウシェ……あの、今は……」

「でも……」


 雨は弱くなりこそすれ、しかし止むことはなく。

 このまま誰も彼もが立ち往生していては誰も彼もが濡れ鼠になってしまう。

 そっと妹を傘の中に迎え入れるスウェンだが、ヒニアスの姿からは少し目を背けてしまっている。

 その小さな胸の内では整理のつけようのない複雑怪奇な心情が渦を巻いて混沌を招いている。

 アリサだって、同じ境遇ならそう簡単に割り切れるような気がしない。


「だって、修道院には僕以外にも小さな子供がたくさんいるんだ……それなのに、シスターが、いなくなってしまったら、僕らは、この先どうやって……」

『子供子供って、あのシスターに育てられてたもんねぇ。自分のアタマで考えるっていう、アタマがまず育ってないか』

「……パンドラ」


 死体に鞭打つかのような辛辣な物言いだが、ある意味では間違っていない。

 しかし、彼らは紛れもなく『子供』であり、『子供』とは両親を始めとした保護者という庇護がないと生きていけないもの。

 言ってしまえば、アリサがそれを断ち切ってしまったのだ。

 責任が全くないとは言い切れない。


『アリサ、オイラ達はあのシスターを倒すために、二人を故郷まで送り届けるんだって修道院を出たんだよね。なら、オイラ達のやるべきことは……わかるでしょ?』

「……わかってるよ、そりゃ……」


 アリサが果たすべき『夢狩』としての生業にも区切りがついた。

 後は二人を故郷まで送り届けて自分の旅を全うしろ、修道院に残っている子供のことをアリサが構う必要も責任も義務も何もないのだと、要するにパンドラはそう言いたい。いや言っている。

 それは決して間違ってはいないけど、正しいとも思えない。

 そうやって割り切れないから、アリサは今こうして立ち尽くしているし、だからこそこんな感覚(センス)を身に付けて戦っている。


「…………はあ」

『……あーあ』


 自分でも、ずいぶんワザとらしいなと思えるほどの大きなため息。

 何かを察したらしいパンドラは「やれやれ」みたいなニュアンスの嘆きをひとつ。

 そうと決めたのであればアリサの行動は早い。

 基本的にアリサは思ったら動く人間で、思わなければ決して動かない人間。

 傘の中に隠れたヒニアスの虚ろな瞳が、アリサの姿をぼんやりと反射する。


「……アタシが、君の育ての親を殺したってのは事実。謝ってもしょうがないけど、謝っておく。……ごめん」

「そう……だ。そうだよ、お姉さんが、お姉さんが全部悪いんじゃないか! シスターを……シスターを……返せ……!」


 虚ろな瞳に怨嗟の焔が灯り、寄り添っていた二人を押し退けて脱兎のように駆け出す。

 その小さな掌が拾い上げたのは、ついさっきまでカリャンナが握りしめていた猟銃だった。

 恨みつらみに身体と心が蝕まれ、その銃口は震えながらもアリサへ真っすぐ突きつけられている。その凶行に兄妹が小さな悲鳴を上げた。


「だ、ダメだよヒニアスくん! そんな、そんなことしちゃ……!」

「別に、撃ちたければ好きにしな」

『……アリサ? 分かってるだろうけどオイラを盾にするなよ? フリじゃないぞ? マジだぞ!?』


 小さな指先が躊躇と恐怖とで震え、猟銃の引鉄がカチカチと音を立てる。

 その引鉄を引けば彼の復讐は成り立つ。紛れもなく彼が望む結果だ。

 そうして彼は――吼えた。


「……うああああッ!」

「だめ!」


 緊迫するアリサとヒニアスの間に、あろうことかルウシェが飛び込んできた。

 予想だにもしない彼女の行動に驚いたものの既に弾丸は放たれ、アリサは弾丸の速さを上回る神速でハチェットを引き抜くと一直線に身体を加速させる。

 カキン、と小さな金属音をひとつ。

 弱い雨の中に溶けるかのように空しく響かせて、真っ二つになった弾丸が暗い泥濘へと吸い込まれる。

 猟銃を撃った反動でへたれ込んだヒニアスの瞳は泣きだす寸前のように大きく震え始めた。


「うわ……ぁ……あ……!?」

「る、ルウシェ!?」

「……危ないな。アタシの代わりに死んじゃうトコだった」

「だって、だって……!」


 アリサの腕の中で泣きじゃくるルウシェを叱るでもなく宥めるでもなく、普段とそう変わらない調子でアリサはルウシェの頭を撫でる。

 言いたいことがあるのに、まだ上手く言えない。

 そんな小さな悔しさも手伝って、ルウシェはアリサの中ですすり泣き続ける。それを見るヒニアスの顔の無力さと言ったらない。


「少し、聞いてもいい?」

「……え、あ……はい」


 そんなつもりは毛頭なかったのだが、ヒニアスにはアリサから強く責められるかのように聞こえたらしく、アリサの声が触れた瞬間小さな身体がびくりと縦に震える。


「もし、今のでアタシを殺したら……その後はどうした?」

「……後、って……それは」

「もし、今のでアタシじゃなくて、ルウシェが死んだら、その後は?」

「…………」


 アリサの意思がどうあれ、その言葉はヒニアスを確実に責め立てるものだった。

 ただ、アリサには本当にそんなつもりは無くて、アリサからしてみれば一種の事実確認をしているような体なのだが、ここに至ってはその無駄な天然さが二人の間に流れる沈黙の重さに拍車をかけているような気がする。


「もし君が、ずっとそのままで居たいなら、別に考えなくてもいい」

「そのまま……って?」

「……子供のまま、かな」

「……」

「だから、えっと……参ったな、何て言ったらいいのか……」


 得意の口下手が今の今になって作用する。

 言い出しっぺが情けなく乾いた笑いを浮かべるも、ヒニアスの瞳は未だ暗く濁ったまま。


『子供ってのは、須らく『今』を考える生き物で、大人ってのは『明日』を考える生き物さ。今のヒニアスくんは、シスターが死んでしまった後のコトを、つまりは『明日』のコトを考えられる、もう立派な大人なんだよ』

「で、でも……」

『ちょっと考えてごらん。もし、あのままシスターと一緒に暮らして、暮らし続けて、そうしたらは君は本当に幸せだったのかな? 見た感じ君は修道院に居る人間の中で年長で、一等賢い。オイラ達が来なくても、不自然に増えていく子供にいずれは疑問を抱いたかもしれない。もしそうなったら、シスターは君のコトをどう思うかな。もしかしたら……もしかするカモよ?』

「……」


 頼みもしないのに相棒の旅行鞄がぺらぺらと饒舌に語り出す。

 アリサが言いたいこととは少し差異があるような気がしなくもないが、概ねニュアンスぐらいは伝わったのではないだろうか。


『ま、安心しなよ。こう見えてアリサは無駄に優しいんだ。顔は相変わらず仏頂面で怖いかもだけど、頭の中じゃもうとっくに解決案を出してる頃じゃないかね』

「え……?」

「……」


 無駄にだの、仏頂面だの、微塵も褒められていないんだけど。

 アリサは軽く溜息を吐く。

 それに、頭の中で浮かび上がっている解決案は正直『解決』と呼べるのかどうかの自信がない。その場しのぎ程度、にはなってくれると思ってはいるのだが、今のアリサの手ではこれ以上の根本的な解決は望めそうにない。


「……それで解決するかは、わかんないけど。とりあえずはルウシェとスウェンの故郷に保護してもらうのが無難じゃないかなって、アタシは思ってる」

「わたしたち……の?」


 不意に故郷が話題に飛び出して顔を見合わせる二人。

 アリサは移動手段を含めた諸々を簡単に説明する。


「前にアタシが寄った村に……ってのも考えたけど、あっちは逆方向で近いけど、錆びれてて人も少なかったからちょっと頼りない。二人の家は、たしかお酒のお店だって言ってたよね」

「は、はい。そうです」

「他所の町にも出張で配達するぐらいなら、きっとで町の規模も、少なくともアタシが寄り道した村よりかは規模が大きいんじゃないかなって思った。保護してくれる余裕はある……って、高を括ってる。あとは……」


 二つ、やらなきゃいけないことがある。

 アリサはヒニアスに向かって指をひとつ立てた。


「ひとつ、修道院の子供たちを説得すること」


 シスターに絶大な信頼を寄せている子供たちを動かすためには、シスターか、それに準ずる大きな信頼を得ている人間が説得する他ない。

 部外者のアリサでは聞く耳を持たないだろうし、ルウシェたちの言葉も意味はない。

 つまりは、ヒニアスしか適任の人材がいない。


「どう説明するかは、任せる」

『あ、でもアリサがぶっ殺しちゃったってのは、今だけ伏せてもらえると助かるカモね』

「…………せ、説得したら……その後は?」


 ヒニアスの懸念は尤もであり、アリサにとっても予想の範疇。


「足に関してなら心配はいらない。アテがあるから」

「……」


 アリサを見上げる彼の瞳は、僅かばかりの疑念と、先の見えない不安とで埋め尽くされている。

 それを切り拓くチカラは身に秘めこそすれ未だ弱い。

 けれど、今の彼は自分の意思と足とで立ち上がりアリサと向き直っている。


「わかり、ました。皆を、何とか説得してみます」

「……準備が出来たら、この先の街道で落ち合うようにしようか」


 話を終えたころには雨風が止んでいて、強い風に吹き飛ばされた雲の後には大きな三日月が浮かんでいた。

 修道院へ向かって走り出すヒニアスの背中を見て、アリサは小さく吐息する。


「……もうひとつは」


 この場に残ったルウシェとスウェンがアリサに振り返る。

 ルウシェもスウェンも、いくらか落ち着いている風ではあるが、夜の雨の中を強行軍したわけだから相当に疲労しているはず。


「あの、アテっていうのは……?」

「二人が乗ってた馬車。馬車そのものは壊れてなかったから、アレを使おうと思ってる」

「馬車……って」


 兄妹の脳裏に、襲撃された光景がフラッシュバックして表情が沈む。

 そうと分かっていたアリサだが、今から口にしようとしていることはもっと酷で、正直一人でやってしまった方が彼らの精神衛生的にはいいのではないかとも思っていたりする。

 でも、彼らにとって大切な両親の最後を、赤の他人のアリサが勝手にやっていい理由は一つもない。

 二人を招き寄せ、屈んで視線を合わせ、アリサはキチンと言葉にする。


「……やることの、二つ目。ご両親を埋葬する。本当は、町まで運ぶべきなんだろうけど……」


 多少なりと大きな馬車とはいえ許容量には限度がある。

 彼らを含めた、修道院の子供全員を乗せるとなると、大人二人分の遺体を運ぶのは厳しいし、衛生的にも、もちろん子供たちの精神的にも良くない。

 本来であれば二人の両親の遺体を運び、町まで運んでから手厚く葬ってやれるのが理想だが、今この瞬間においてそれは難しい。さりとて遺体をそのまま、こんな雨ざらしに放置しておけばどうなるかなど語るべくもなく。

 だからこそ、今ここで出来得る限りのことはするべきだとアリサは二人に説く。


「……疲れてるトコ、悪いね」


 すすり泣くルウシェの頭を撫でて、アリサ達は街道を引き返していく。

 忌まわしくも、全てが始まったあの場所へ。

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