クロの瞳の異邦人 「6」
正直、アリサは最初からシスターたちからの快諾を得られるとは思っていなかった。
二人を連れたアリサが食堂にやってくると、カリャンナとアーニーはちょうど休憩していたところで、少し驚いたような面持ちで出迎えた。
ルウシェとスウェンの経緯、それから彼らの意向を伝えると、二人は案の定渋い顔を浮かべた。
「……あまり賛成は出来ないね」
「えぇ、旅慣れているアリサさんだけなら単独でも、あのバケモノから逃げ果せられるとは思いますが……」
カリャンナの視線が二人の子供に注がれる。
それは我が子を危険には晒すまいと慮る、慈愛に満ちた母親かのような表情。
でも、シスターはあくまで仮の保護者であって、二人の本来の両親ではない。責任感が強いとも取れるし、一方で過保護が過ぎるとも思える。
「真夜中に、しかもまだこんなに雨の強い中を、二人も子供を連れて森を抜けようだなんて……流石に、正気の沙汰とは思えません。いくらアリサさんが良くても、私たちとしては二人を連れての出立は許可できませんわ」
「アリサさんだってそうさ。急ぎの旅かもしれないけど、別にもう少しここに居たって構わないんだよ? せめて雨が弱まるか止んでから、発つにしたって明朝、他の子供たちに挨拶してからでもいいじゃないか」
「……別に、考えなしってワケでもないんです。夜の方が身を隠しやすいっていう理由もあるし、この雨なら臭いだって誤魔化せると思って」
尤もらしいコトを言っている風だが、その実アリサの声に感情は籠っていない。棒読み、一歩手前。
二人の事情、アリサの算段、それを丁寧に話したとてシスターたちの表情は一向に硬いまま。
「わ、わたしたち、かえっちゃだめ……ですか?」
「……いいえルウシェ、そんなことはありません。お二人のお気持ちはよく分かります。しかし、危険が過ぎます。この森林地帯は、貴方たちが思っている以上に広大で、その上であの凶悪なバケモノが徘徊しているのです。道中で襲われたら、助けが来ることはまずあり得ません」
『あり得たじゃん? ほら、二人とオイラたちを助けてくれた時サ』
ヒリヒリしつつある空気に茶々を入れる相棒の一言に、アリサは――何も言わない。
それは実に的を射た意見であり、ルウシェとスウェンもそういえば、みたいに顔を見合わせる。
「この街道にバケモノが出るとなってから、私たちは定期的に街道の見回りをしているんです。といっても、修道院からほど近い距離までしか、行動範囲は限られますが……二人の件は、本当に幸運だったとしか言いようがありません。それに、今回はアリサさんという勇気ある御方も一緒で、偶然と幸運が重なった結果なんですよ」
『そう? 正直、アリサ一人で十分だったような気もしたんだけどなぁ。むしろ邪魔さえ入らなければ』
「パンドラ」
そこまで言わせて、アリサはようやっと膝でパンドラを小突く。
これ以上言わせっぱなしにしてると単純に失礼だし、何より二人分の殺気がアリサに集中して一触即発になりかねない。……それはそれで、願ったり叶ったりではあるのだが。
「あの」
「はい、何でしょう」
「ルウシェたちに限ったハナシ……じゃないんですが、修道院の子供たちは、いつまで保護しているつもりなんです? バケモノが徘徊している中で、備品や食料の調達だって簡単じゃないはず」
「食料に関しては、あたしが森で動物を狩ってる。今日のシチューだって、あれは野ウサギの肉を使っていてね」
「仰ることは尤もです。それに関しても日頃考えはしていますが、旅立つアリサさんにはあまり関係が無いのでは……」
「……確かに」
仄かに苛立ちの混じったカリャンナの返答。
これ以上話しても平行線を辿るのは目に見えているので、アリサは早々に話を切り上げることを決めた。
「少し、考え直してみます」
そう言って、アリサはルウシェとスウェンを連れてそそくさと食堂を後にした。
※
「ご、ごめんな、さい……」
宛がわれた部屋は既に片付けてしまったので戻るわけにもいかず、アリサ達は今明かりの消えたラウンジを借りていた。
部屋の明かりには触れず、わざわざアリサがパンドラを開けて小さなランタンを取り出して火を灯していると、申し訳なさそうにスウェンが言った。
「何が?」
「なんか、僕たちの所為でアリサさんが怒られてるような、気がして」
「……あぁ、別に。そんなコトはないよ」
『目的は果たせたしね』
「もくてき……?」
木目の綺麗な丸テーブルの上にランタンを乗せ、アリサはソファに腰掛ける。
ランタンだけが光源のラウンジはありとあらゆる物の影が無駄に大きく浮かび上がって、まるでアリサ達を囲うオバケかのように広がっている。
そんなラウンジを、アリサはぼんやりと見回す。
かつてはこの森を越える旅人たちが憩いの場としていた使っていた宿泊施設と聞いていたが、改めて見るとその面影はもうほとんど残っていない。
今アリサが座っているソファには子供が座った跡さえなく、この森を描いたであろう絵画も、人を呼ぶためのベルも、戸棚から何まで、まるで魂が抜けて久しいかのように寂れている。
でも、不思議とどれも壊れてはいない。
多少の傷こそあれ、それは誰かが確かに使ってくれていたという何よりの証拠。
寂れこそすれ、この修道院に不思議な安心感が漂っているのは、そういう昔の誰かが使ってくれていたという、過去形の温もりがあったからこそ、なのかもしれない。
「…………だから、かな」
「……? アリサさん?」
何でもないよと首を振って、アリサは立ち上がる。
教会へと続く連絡通路ではない、直接外に出られる扉の方を少し開けて様子を窺う。
ラウンジから漏れる仄かな明かりでさえ容赦なく飲み込む真夜中の闇。
風雨はいくらか弱まってくれてはいるが、この中を子供を連れて進むなんて確かに正気の沙汰ではない。
「ルウシェ、スウェン」
「は、はい」
「なんですか……?」
「忘れ物とかは?」
「ない、です」
「そ、なら行こうか」
「え……? 今から、本当に行くんですか? いいのかな……」
とはいえ、何も雨具がないまま二人を連れ出すのは酷だろう。
アリサはラウンジの中を物色して、カウンターの奥から古い傘を見つけた。
支柱が少し錆びついているが大人向けの大きめのサイズで、これなら子供二人分でギリギリといったところだろう。
スウェンに傘を、そしてルウシェに明かりの灯るランタンを持たせると、アリサは屈んで二人に視線を合わせる。
「少し、大事なハナシをする」
「は、はい」
不意に露わになった、アリサの尋常ならざる剣幕に二人は生唾を飲み込む。
「アタシが隠れてって言ったら、隠れること。全部が終わるまで、姿を見せないこと。アタシが出てきて、って言ったら出てもいい。けど、それ以外の時は絶対にダメ」
それから、とアリサは最後にひとつ付け足す。
「今日のコトは……全部、悪い夢だと思って、忘れて」