クロの瞳の異邦人 「4」
アリサ達を皮切りに各自が入浴を済ませると、消灯時間までの間談話室に戻り再びの談笑タイム。
お風呂上りと言えど一部の子供たちは未だ元気が有り余っているらしく、談話室を走り回ったりトランプに興じる姿も見受けられる。
スウェンも、いつの間にか他の子供たちと打ち解けたらしくソファで一緒にカードとにらめっこしている。
アリサは手持無沙汰に暖炉の側にもたれ掛かっているだけで、特にコレといって何をしているでもない。
普段ならハチェットの手入れや荷物の整理などをしているのだが、子供たちの前だし、そもそも肝心のパンドラが拗ねて口を利いてくれない所為でしようがない。
「あ、あの!」
「……ん?」
風呂上がりでまだ結わえていない金髪を指先で弄んでいると、いつの間にか数名の子供たちがアリサを囲んでいた。
各自何だかウズウズしているような面持ちで、何用だろうかとアリサは身構える。
「えっと……どうした?」
「おねえさんは、たびびとさんだってきいた!」
「あぁ、うん。そう……だね」
「旅のお話、聞かせて!」
「……あー」
ウズウズしたその面持ちは好奇心の表れ。
つまりは、アリサが辿ってきた旅の話を聞きたいということらしい。
有耶無耶な首肯を子供たちは了承と見たらしく、アリサはあっという間に小さな身体に包囲されてしまった。
小さな子供たちに囲まれるなんて経験は今も昔もほとんど経験がなかったので、何だか緊張して全身がソワソワしてくる。
「ねえねえ! 今まで、どんなところを旅してきたの?」
「あのバケモノ倒したって、本当なの? お姉さん強いの?」
「今まで旅して、一番美味しかったモノはある? どんな食べ物?」
「あの喋る鞄はどこで売ってるの? いくらだった? 俺も欲しい!」
「……参ったな」
怒濤の質問攻めにアリサはお手上げ。
磨きたての宝石のような煌めきを放つ子供たちの眼差しは、正直言って直視が出来ないほどに眩い。何となく、パンドラの気分を味わったような気がした。
「わ、わたしもおはなしききたい……!」
そこにルウシェが割って入ってきて隣に座るもんだから、アリサは完全に逃げ道を失ってしまった。
……口下手なアリサが話してもあまり楽しんでもらえそうにないのだが。
慣れない微熱を帯びる頬をアリサは指でかく。
「えっと……じゃあ、ひとつずつ答えてく」
「はい! はいはい! あたしの質問から!」
見るからに勝ち気でハツラツとした赤毛の少女が、入学したての小学生かのように何度も挙手してアピールしてくる。
「どんなところ……か。正直、アタシはまだ旅して一年ぐらいなんだ。でも……そうだな、印象的だったのは……少し前に寄った人魚のいた漁村、かな」
「人魚!? 人魚って、あの人魚!? すごーい! ホンモノがいるんだ!」
「……まぁ、ね」
少女の満面の笑みとは対照的に、アリサは暗い苦笑を浮かべる。
あまり、というか、ほとんど良い思い出ではないのだが。
印象に残ったという点でなら間違ってはいないか。
「街道のバケモノのハナシは……戦いはしたけど、倒してはないよ。ルウシェとスウェンを助けて、あとはカリャンナさんが追い払ってくれたんだ」
「なーんだ……」
「で、でも凄いなぁ……シスターも凄いけど、お姉さんもあんなバケモノと戦えるなんて……」
「……そういえば、ここにいるみんなはカリャンナさんに助けてもらったって?」
「うん! もう死んじゃうって思った時に、シスターが飛んできてバケモノを追い払ってくれたんだよ!」
パンチだのキックだの、大袈裟な身振り手振りでシスターの勇姿を語る子供の姿に、アリサも無意識に口の端を緩める。
流石に彼女が殴ったり蹴ったりはしてないと思うのだが、子供たちにとっては紛うことなきヒーローなのだから、それぐらいの誇張は許されるのかもしれない。
「パンドラは……あぁ、えっと、パンドラってのは、アレの名前。アタシが旅に出ようって決めた時に、連れていけって煩いから連れてった。何処で手に入れたのかは…………ごめん、厳密にアタシが元の持ち主ってワケじゃないから、ちょっとわからないな」
「えー……」
ぶーっと唇を尖らせた男の子は不満そうだったが、それだけ聞けて満足したらしくそそくさとソファの方へと戻ってしまった。
それ以外にもあれやこれやと話しかけられ、アリサが答えてはその都度に感嘆の声が上がる。
話をしてみて、彼らがこの修道院の外の世界の事をほとんど知らないことがよく分かった。
新聞のひとつでもあればいくらでも知りようがあるだろうが、肝心要の街道にバケモノが跋扈するとあれば外界からの情報を得ることも難しいだろうし、きっとで彼女たちからもそういった余計な事に関して何も知らされていないのだろう。
「おねえさんは、どうしてたびをしてるの?」
横にいるルウシェの質問に、ふとアリサはぼんやりと天井を見つめる。
「それは……」
旅をするということは、つまり何かしらの目的があるということ。
アテも無しに旅をすることを旅とは言わない。それは彷徨いとか、放浪と呼ばれるから。
単純に楽しむため、何かを探すため、逃げるため、追うため――理由の大小も含め、ソレは往々にして様々。
「そんなの決まってる! 離れ離れになった恋人を探す旅をしてるのよ!」
ずいぶんドラマチックだなオイ。
先の赤毛の少女の威勢のイイ言葉にアリサは苦笑する。
「違うって……ほら、伝説の武器とか探してるんだよ、きっと!」
「えー、お姉さんがー? そんなワケないじゃん」
「た、たからさがし……?」
「美味しいもの探してるんだ!」
子供たちなりの『旅』というキーワードに対するふわふわとしたイメージ像が何となしに伝わってきてアリサは微笑する。
こうやって語らう合間に見せる笑顔は紛れもなくホンモノで、間違いなくマジメで、ウソ偽りのないものだ。
だからこそ。
アリサの胸中は、ほんの少しだけ苦しい。
「アハハ……えっと、アタシに恋人なんていないし、伝説の武器とか美味しいモノも、全然興味ないよ。……アタシは《赤ずきん》を探して、旅してる」
「赤ずきん? ……あ、それなら!」
「……あ、ちが」
しまった、と思ったのだが時既に遅し。
今日日見かけないソバカスと大きな丸メガネがよく似合う、見るからにレトロな文学少女といった風体の女の子がいち早く本棚へと駆けこむと、革張りの大きな絵本を抱えて戻って来た。
言わずもがな、絵本のタイトルは『赤ずきん』。
相当に年季の入った一冊らしく、ページは黄ばみ、本の端々は捲れ上がったりしていて、幾度となく人の手が触れたのだと雄弁に物語っている。
「はい、どーぞ!」
「……ごめ、アタシが探してるのは《赤ずきん》って呼んでる人なんだ」
「あ……ご、ごめんなさい」
「いや……」
シュンと落ち込む彼女の手からそっと絵本を受け取り、アリサは徐に表紙を開く。
何ら変哲のない、オーソドックスな御伽噺。
病気のおばあさんのため、赤いずきんの似合う可憐な少女がお使いを頼まれ、それを聞いた悪いオオカミが先回りしておばあさんに成りすまし……なんて、わざわざオチまで読まなくても、その先の結末はアリサとて知っている。
ぱらぱらと絵本のページを捲りながら、アリサはかつての日々を呟いていく。
「その人は、アタシの命の恩人で、師匠なんだ。助けてもらって一年ぐらい一緒に旅してたんだけど……ある日、急に仕事道具を置いていなくなっちゃってね。何日か待ってたけど、結局帰ってこなくて、それで……旅に出た。忘れ物を、届けるためにって」
目が覚めて、顔を洗って。
階下に降りて、誰もいない。
誰もいなくなった小屋に残っていたのはテーブルに突き刺さっていたハチェットだけで、あの時の何とも言えない虚しさを、アリサは今でも色濃く記憶している。
「その人が、《赤ずきん》って名前なの? 女の人?」
「一応、ね。歳までは聞かなかったけど、もうほとんど……おばあちゃんと言って差支えのないような人だったよ。……あ、えっと、別に病気とかじゃない。むしろ、アタシなんかよりずっとお喋りで、ずっと強い人だった」
それはもうイロイロな意味で。
アリサは《赤ずきん》に多方面に助けられた。
命を救ってくれた恩人であり、戦い方を教えてくれた師匠であり、生き方を教えてくれた先生で、家族のような――は、アリサが一方的に思っているだけかもしれないか。
兎に角、特別な人だ。
「ねえねえ、ヒマならそれ読んでよ!」
「え……あ、あぁ、読み聞かせろって、コト? 弱ったな、そういうのやったことなくて……」
「こーら、アリサさんを困らせちゃダメじゃないか」
慣れていない要求に困惑していると、頭の上の方からアーニーの声が聞こえてきた。
雑談をしている間に消灯時間が迫っていたらしく、他の子供たちも各々片付けを始めていた。
「シスター・アーニー! 今日はもうちょっと起きててもいいでしょ? お姉さんの旅の話をいっぱい聞きたいわ!」
「ダメダメ、アリサさんだって色々あって疲れてるんだ。今日はもうおしまい」
「えー、そんなー」
件の赤毛の少女はしばらく駄々をこね続けていたのだが、結局は自分から折れてアリサの本をひったくるようにして本棚に戻して、どたどたと怒り混じりに談話室を出て行ってしまった。
こういう時、何だか自分が悪いような気がしてならなくてアリサは気まずい心地だった。
「すまないね、部屋の用意が少し遅れちまってさ。ただ……申し訳ないんだが、空いてた部屋ってのが奥の倉庫しかなくてね……」
「……いえ、少し休めればそれで十分です。夜が明けたら……や、夜が明ける少し前に、アタシは出て行きますから」
「急ぎの旅なのかい? もう少しぐらい居ても」
「…………」
どう返そうか、なんて考えているアリサをアーニーは静かに見守っている。
その瞳の奥の真意まではアリサにも分からない。
それこそ、本心、なのかもしれない。
アリサは立ち上がって、だんまりなパンドラを拾い上げる。
「シチュー、美味しかったです。……おやすみなさい」
「あ、あぁ……おやすみ」
向いてないな、とアリサは今でも思っている。