表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/34

クロの瞳の異邦人 「3」

 子供の興味関心というものは、坂道に落としたおにぎりかの如くコロコロと移り変わっていく。

 アリサが携えていた旅行鞄が喋る判明するや否や、まるで人気バンドグループのライブを鑑賞するファンのような熱狂っぷりで子供たちがパンドラへと殺到した。

 とりあえず話しかける、叩く、突く、触る、回す、撫でる、振る、などなど。

 子供たちが純粋無垢に、思い付く限りの暴挙を尽くしていた。

 なお、アリサは「好きにしていい」と添えて完全に放置。

 パンドラには「末代まで祟ってやる」と言われたような気がしたが聞こえないフリをした。


「みなさん、食事の用意が出来ましたよ」


 そんな子供たちの熱狂は、カリャンナの鶴の一言でピタリと止まる。

 玩具にしていたパンドラを放り捨てるや否や怒濤の勢いで談話室を出て行って、あっという間に一階の食堂へと向かってしまった。

 ポツンと取り残されたパンドラをアリサが拾い上げると、ぼそりと一言。


『……キズモノに、されちゃったナぁ……』

「最初からキズだらけ」


 旅に出ると決めたあの日から、このお喋りな旅行鞄はあちらこちらが傷だらけだった。

 曰く、こういった傷こそアンティークで瀟洒な雰囲気の所以であり、それこそ名誉な負傷だとのことだが、それはパンドラが常日頃から一言も喋らなければ理解できる、かもしれない程度の話である。


「お、おねえさん」

「……ルウシェ?」


 か細い声が聞こえて視線を動かすと、ルウシェが談話室の扉の側に立っていた。

 スウェンを含めた他の子供たちはとっくに食堂へ向かったのに、わざわざアリサを待っていてくれたのだろうか。……別にそんなことしなくてもいいのに。

 子供ながらの些細な気遣い――とは少し様子が違う。

 何か言いたげな上目遣いをアリサに送っている。


「待ってたの? ……ありがと」

「う、うん……」


 今もなお恨み節をぶつぶつと垂れ流すパンドラは歯牙にもかけず、アリサはルウシェを連れ立って一階の食堂へと向かう。

 階段を下りて、正面廊下の突き当りの扉を開くと何とも言えない温かな香りが鼻腔をくすぐる。

 こじんまりとした食堂には楕円形の食卓が二つ並び、当然ながら既に子供たちが席に着いていた。

 遅れてきた二人はとりあえず空いていた奥の壁際席に座ると、すかさずヒニアスが食器の用意をしてくれた。気配り上手という彼への評価に嘘偽りはないらしい。

 それから程なくして、厨房の方から大きな鍋の乗ったワゴンを押してカリャンナがやってきた。彼女と料理の登場に、子供たちがわっと沸き起こる。


「やった、今日はシチューだ!」

「シスターのシチュー大好き! 毎日だって食べれる!」

「コルク、シチューが出るとそれ絶対言ってるよね」


 笑いあう子供たちから食器を受け取り、カリャンナはそれぞれに大鍋からシチューを配っていく。

 厨房から近い人から順々にで、アリサに配られるのは最後だった。


「粗末なもので、お口に合うかどうか……」


 そうしてアリサの前に並んだ本日の夕食は、クリームシチューと野草のサラダ。

 シチューは少し皿の底が透き通ってしまう程度には色味が薄く、具材もかなり細かく刻んだ野菜と肉とが慎ましやかに添えられた質素なもの。

 横に添えられた野草のサラダの上には見覚えのない小さな赤い果実がちょこんと乗っけられていて、アリサが不思議そうにスプーンの先で突ついているとルウシェに「のいちごだよ」と教えられた。ジャムかソースになってる印象しかない。

 各々が食事を始めたのでアリサもスプーンでシチューを一口すする。

 色も薄ければ味も薄い……のだが、別段食べられないというわけではなく、細切れになった肉には存外しっかりと味が付いていて悪くない。贅沢を言うなれば米かパン、要するに主食が欲しい。

 そう思いながらもう一口をとスプーンの先をシチューに入れた時、厨房の扉が今度は豪快に開き別のシスターが現れた。


「ごめんねぇ遅くなっちゃって! パンが焼けたよ!」

「わぁ、シスター・アーニー!」

「アーニーさんも帰ってたんだ!」


 シスター・アーニー。たしか、カリャンナの双子の妹だったか。

 女性としてはかなり背が高く、ピッタリ百七十センチあるアリサですら見上げるようなほどの大柄な女性。

 カリャンナと同じ修道服を着ているのだがあちこちが妙にぱっつんぱっつんに張っていて、袖を捲って露わにした両腕はけっこう太くマッシヴな印象が強い。修道女というよりかは肝っ玉な女将とかのが相応しいようにも見える。

 そんな彼女は出来立てのパンを子供たちに一つずつ配っていく。

 出来立てというだけあって香ばしい香りが食欲をそそるのだが、彼女が抱えたバスケットには最初からたくさんは入っていなかったらしい。それ故に。


「おや、アンタがバケモノと戦ったアリサさんだってね。もう聞いてるかもしれないけど、あたしはアーニーってんだ。専らは力仕事と、あと料理を任されてるかね。詳しい話は姉さんから聞いてるよ。それじゃアリサさんのパンを……おっと、いけない」


 隣のルウシェにパンを手渡すと同時、バスケットが空になってしまった。

 元より、アリサ達はイレギュラーな来客に他ならず、このシチューだって本来はもう少し濃い物が作れたのかもしれない。

 バケモノに街道を徘徊され食べ物の確保や供給に苦労しているだろうことは、アリサとて状況から何となしに察することは出来る。


「えと……お構いなく」

「すまないねぇ……子供が増えたもんでって、あたしも普段より多く焼いたつもりだったんだが……」

「おねえさん、ならはんぶん……あ!」


 そう言って、ルウシェはこぶし大のサイズのパンを半分に切り分けようとしたのだが、残念ながら、大、小、と偏って千切ってしまった。

 どうしようどうしよう、みたいな上目遣いが飛んできて、アリサは少し吹き出しそうになってしまう。


「……ありがと」


 ルウシェの手から小さいパンを受け取って、アリサはそのまま一口で食べてしまった。少しパサパサしているが、出来立てとあって素朴な甘さを感じた。まぁ、悪くない。


「っはは、ルウシェちゃんは優しいんだねぇ」


 子供の無垢な親切心を大いに褒め、アーニーはその大きな手の平でルウシェの頭をわしゃわしゃと撫でていた。

 その気も無いのに頭を撫でられてる猫みたいな、複雑そうな笑顔を浮かべるルウシェ。

 そんなアーニーの手を見て、アリサの瞳が薄っすらと尖る。


「あれー? シスター・アーニー、その手どうしたの?」


 口の周りにシチューをべったりくっつけた少年が先の欠けたスプーンでアーニーの左手を指す。

 今、彼女の左手には真新しい包帯が巻かれていた。

 特に手の甲辺りには薄っすらと赤いシミが出来ていて、巻いたばかりでまだ傷が癒えていないことが見て取れる。

 不安げに眉根を寄せる子供たちを前に、何ともないさとアーニーはヒラヒラと手を振りながら答えた。


「さっき、木の枝でうっかり切っちゃってね……まぁ、大したことは無いさ、いつものことだよ」

「もう、シスター・アーニーは体は大きいのにうっかり屋さんなんだから!」

「あはは、面目ないねぇ」


 子供たちと笑いあいながら、彼女は子供たちの食事を見守っていた。

 その横顔は保育士のような、優しさと責任感とを併せ持つかのような力強い表情をしている。

 そうして団欒の時間が過ぎ、アリサも含め各々が食事を終えた頃合いになると、片付けた食器をワゴンで運ぶアーニーと入れ替わるようにしてカリャンナがお茶を持ってやってきた。


「アリサさん、ボイラーを動かしてお風呂を沸かしておきましたわ。よろしければ、先にご入浴されては如何です?」

「あぁ、ありがとうございます。すぐ済ませます」

「いえいえ、ゆっくりなさって結構ですよ。その間に、今日アリサさんが泊まるお部屋をご用意させていただきますので」

「あー……じゃあ、お言葉に甘えて」


 入浴場の場所を確認してから立ち上がると、またルウシェの視線に捕まってしまった。


「……入る? 一緒に」

「う、うん」


 雨に濡れた女が二人、別に恥じる道理も無し。

 一部、他の子供たちが先に入りたいと要求を述べたが、アリサは今一度パンドラを犠牲にすることによって事なきを得た。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ