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そして、赤いサヨナラを 「9」

 一歩踏み出すごとに、アリサの身体は軋んで鈍い痛みが突き抜ける。

 それでも体幹は極力真っ直ぐに、淀みないように足取りを運び、やがて半分倒壊したあの倉庫へと辿り着く。

 穴の開いた屋根が天窓のように月光を吸い込んで、それは一筋の光明となってバケモノを照らす。


「……」


 大鉈のバケモノは、そんな弱々しいスポットライトを浴びながら倉庫の中央に鎮座していた。

 まるで、退廃的な芸術かのような静謐を身に纏い微動だにしない。

 しかしよく見てみれば、生きている物がそうしているのと同じように、呼吸をしてゆっくりと身体が上下しているのがわかる。

 バケモノはまだ生きている。当たり前だ。

 先の戦闘はアリサが放り投げられたが故に中断したに過ぎず、そしてそれを再開するが故にアリサはここへ戻って来たのだ。

 距離にして4メートルほど。

 ぴく、とぼろ布で隠れていた鼻先が動く。

 バケモノの正面に、右手でハチェットを握りしめたアリサが立った。

 両者の小さな息遣いが虚空の中でぶつかって、混ざり合う。


「…………最後まで、って約束、だからね」


 バケモノに向けた言葉だったのか。

 自分自身に向けた言葉だったのか。

 言った本人もどうして口にしたのかわからないような、さしたる意味のない言葉。

 それを聞いたバケモノはゆっくりと戦闘態勢をとってアリサの前に立ちはだかる。

 ハッキリ言って、コンディションは悪い。

 最悪とまでいかなくとも、それに限りなく近しい位置付けにあるのは事実。

 勝てるか、勝てないかの二択を問われれば、アリサは素直に()()()()()()()()()()と答えるだろう。

 無論、負けるのは嫌だし、死ぬのも嫌だ。

 だけど、もしも、仮にここで死んでしまうのだというのなら、それでも最大限抵抗をするべきだろうとアリサは思った。

 死んでから後悔する時間があるかどうかは――ああいや、けっこう在ったっけな。

 拙い思考の中で生まれたボロを、アリサはせせら笑った。


「もう……知ってると、思うケド。アタシは、不器用だから」


 どういった趣旨の言葉なのだろう。

 そうバケモノが反芻するかのような小さな空白の間に、アリサは一足で間合いに飛び込む。

 蒼く帯を引く瞳――アリサが感覚を乗せた一撃を放つと見るや、バケモノはアリサから見て右手側に細かなサイドステップを踏んで回避行動を取る。分かりきっていた行動と厭わず、アリサのハチェットからは超常的な一閃が迸り、倉庫を屋根ごと両断する斬撃が叩きつけられる。

 ただでさえ半壊していた倉庫に致命的な一手が加わった瞬間、まるで爆破解体でもしたかのように倉庫の全容があっけなく崩壊していく。

 雨のように降り注ぐ瓦礫をひょいひょいと軽快な動きで躱すバケモノは、ふとアリサの姿が無くなっていることに気づいて視線を動かす。

 落ちた瓦礫片が地面で砕け散る音がさんざめく中、物陰に潜んでいたアリサはその粉砕する音に自分の足音を重ねるようにして走りだしていた。

 今のアリサのステータスから鑑みても、正面きっての戦闘では勝ち目が薄い。

 そこでアリサが導き出した戦い方がコレ――つまりは不意打ち。

 感覚を用いた攻撃で倉庫を破壊して、崩壊に乗じて一時身を潜め、ある程度注意が逸れたところを狙う。

 概ね思惑通りの展開に、アリサは身体をさらに加速させてバケモノの左後方に回り込むと、ハチェットを構えて一気に飛び込む。

 振りかかろうとした瞬間、不意に右側から迫る何かにハッとなってハチェットの側面でソレを素早く弾いた。


「ッ……!? 尻尾って、さっきアタシが捕まったのは、アレか……!」


 太さで言えば消防用のホースに近いだろうか。

 さっきは全く気付けなかったが、ごうと唸りを上げて迫る尻尾は生き物の身体とは思えない硬質な鞭のようだった。硬質でありながら描く軌道は想像以上にしなやかでより機敏。弾いた勢いを手伝わせてアリサは距離を離す。

 半身を振り返るバケモノの貌が、既にアリサを射抜いている。

 その奥にある光彩に捕らえられたか、アリサの存在を気取られたか、或いは両方か。

 舌打ちをひとつ捨て、思考と行動とを一緒くたに行う。

 先述の通り、今のアリサの勝機は不意打ちの成否に掛かっていると言っても過言ではない。

 肝心の初撃は多少の成果はあれど、結局は防がれてしまっている。

 同じ手が次も通用するのなら、馬鹿の一つ覚えで世界が救える。

 迫る大鉈を打ち払って、ひたすら駆ける。

 倒壊させた倉庫という大掛かりなカモフラージュはもう使えない。


「……くっそ!」


 苛立ちを乗せた刃は《赤ずきん》に触れることすら叶わない。

 大きなバックステップ、そこから間髪入れずに迫る急襲にアリサの方がテンポを崩されてしまいそうになる。

 そもそも、攻撃のリーチが違い過ぎる。

 いざアリサが踏み込んでも、大抵は追い払われるかのように大鉈を当てられてしまうし、長いリーチ差の所為でどうしたって一定の空白を挟まれて戦う羽目になる。


「……」


 ふと、思い至る。

 それはただの勘違いかもしれないし、偶然閃いた真理かもしれない。

 折れた左腕をだらりと下げながら、アリサは直線上を見据えて走り出す。

 袈裟斬りに落ちてくる大鉈を往なすのではなく、斜め前方にステップを踏み込んで回避。

 次いで真横から迫り来る斬撃を下方に身体を滑り込むようにして、避けるのではなく、むしろ空白に身体を詰めるように動かしていく。

 当然、《赤ずきん》もそれを把握しているのだ。

 アリサの一撃が当たれば負ける、ということを。

 常に一定の空白を維持するということは、それが一種の安全の保障ということ。

 左腕がまともに機能しない以上、頼れるのは右腕と残る脚力のみ。

 アリサはハチェットを握りしめたままの右腕で地面を叩くようにして身体を無理矢理に撥ね起こす。

 がらんどうに空いた懐に飛び込むと同時、下段からハチェットを一気に振り上げる。右掌に、煙を斬ったかのような希薄な手応えを感じた。


「ッ……!」


 正面にあったバケモノの姿が消え失せていた。

 かと思えば、突然背筋にゾッと凍てつくような悪寒が突き抜け、今まで無かったバケモノの気配が背後でありありと膨らんでいる。一瞬にして背後を奪われた戦慄に反射的に身を捩るも、既にアリサの眼前にまで刃が迫っていた。

 重厚な金属音と同時、アリサの身体が横一文字に吹っ飛んでいく。

 積み上がった瓦礫に身体を強かに打ち付け、胃の腑から血反吐が吐き出される。

 霧が掛かったような視界の向こう側に、悠然とバケモノが立っているのが見えた。

 一瞬にして背後を奪う、それは彼女の感覚(センス)だと前に一度言われていた。

 ただでさえ超常的な身体能力に出鱈目な力が備わって、オマケに一瞬にして背後を奪われる異能力の持ち主。てんで、バケモノじゃないかと血交じりの溜息が出る。引っぺがすように身体を起こして、どうにか動くことは確認する。

 ふりだしに――いいや、もっと前まで戻ってしまった気分だ。

 勝算もゼロに等しく、打ち合っても消耗するのは自分だけ。笑えるぐらいの八方塞がりっぷりに、思わず口の端が引きつっていくのがわかる。


「……スゥ…………はぁ……ッ!」


 大きく息を吸って、吐く。

 残っている体力を振り絞るようにして再び駆け出す。

 低姿勢で極力風の抵抗を削り、限界以上のトップスピードをアリサは叩き出す。

 稲妻が地べたを駆けまわるような、常人なら目で追うのですら厳しいような速度で真正面に肉薄され、バケモノが驚愕に揺れてほんの数瞬たじろいだ。

 右上段から迫るハチェットの一撃を大鉈の切っ先で弾くその刹那、まるで絶叫のような凄まじい金属音が響く。

 鬼気迫るアリサの瞳に、蒼い光が煌々と輝いている。

 しかし、その輝きとは裏腹に額には大粒の汗が滲み、浮かべる表情は窮地に追い込まれた獣のような有様。

 なお迫る幅広の刃を、バケモノは足を軸に身体をずらして回避を図る。敢え無く空を断つハチェットの一閃は、明後日の方向の建物を瓦解させた。

 息を吐く暇を与えんと、猪突猛進とばかりにアリサは連続攻撃を繰り返す。

 寄れば斬り、離れれば迫り、しかしそれは、見ようによっては駄々をこねる子供のような稚拙な動きだった。それを脅威たらしめているのは、間違いなくアリサの感覚に他ならない。

 だが、アリサの怒涛の勢いが功を奏したのか、バケモノに対し完全に防戦一方を強いていた。

 弾くか躱すかの二択。

 今のアリサが放つ圧倒的な破壊力の一刀を受けるのはリスキーと判断せざるを得なく、極力回避に転じるようになっている。


「あぐ……ぅッ……!」


 押し付けるような斬撃の嵐が唐突に失速する。

 小さな呻き声がこぼれたかと思えば、アリサの身体がふらりと崩れる。が、もつれた足を意地という名の鞭で打って奮い立たせ、すぐさま猛攻を再開する。

 ほとんど破れかぶれの攻勢は、得体の知れない感覚がもたらす負担も相まってアリサの心身を悉く蝕んでいた。

 霞んでいく視界の奥の標的一点だけを見据え、他に何も見えないとばかりに外れた斬撃が無慈悲な破壊を繰り広げていく。お陰で、倉庫はおろか付近一帯が廃墟を通り越して荒地という有様だった。

 折れた腕に構うこともせず、アリサは攻め続ける。

 ぼろ布の向こう側で、バケモノの貌が静かに歪む。

 それは、獣が決して見せることはない。むしろ人間こそが垣間見せる表情によく似ていた。

 そんな一瞬の逡巡が、バケモノの足を無為に止めてしまった。

 ここぞとばかりに飛び掛かったアリサが大振りに放つ一撃を咄嗟に跳んで避けるも、背後は瓦礫の山に阻まれてしまう。

 ハチェットを構え、一直線に迫るアリサの勇姿が視界に映る。

 直向きで、懸命で、理不尽に抗おうとする様は――今の《赤ずきん》には眩しかった。

 跳躍、そして横回転での捻りを加えたアリサ渾身の一撃がバケモノへと襲い掛かる。

 彼女自身の生存本能が作用し、その姿が霞となって消え失せる。

 音もなくアリサの背後を奪い、無防備な背中にその致命の斬撃を浴びせようとしたその時、ふと見えたアリサの横顔に極小の笑みが張り付いていた。

 減速は一切せず、そのままの勢いでアリサは正面の瓦礫をブーツで蹴りつける。

 蹴りつけた反動で瓦礫は崩れるも、アリサの身体はバネの要領で鮮やかに翻り、大鉈を振りかざすバケモノと真っ向勝負の様相を描く。

 両腕から振り下ろされる大鉈を、アリサの感覚を乗せた凶刃が粉砕する。

 度重なる打ち合いの末、バケモノの大鉈は物質としての限界を迎えてしまった。


「――、ッでぇぇああああああああああ!!」


 裂帛の咆哮が放つ剣閃は白い閃光となって迸り、アリサの視界を強烈な白で埋め尽くす。

 それはまるで、夜明けを告げる朝陽かのような清廉な輝きだった。

 迫り来る剣閃を前にして、バケモノ――いや、《赤ずきん》は恍惚な吐息を漏らした。


「…………アぁ」


 切なくて、少し、もどかしい。

 夢から醒めるあの感覚がやってきた。

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