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クロの瞳の異邦人 「2」

 修道服の背中を追いかけ、およそ道とは呼べないような道を往き十分程度と経った頃。

 不意に森が開け、その先に目指している修道院の姿が見えてきた。

 まず目に付いたのが、十字架を屋根に抱いた所謂礼拝堂。

 青い屋根の礼拝堂には連絡通路のようなものを挟んで小さな建物が横からくっつけたようかのようにL字型に並んでいる。小首を傾げるアリサに、カリャンナは苦笑しながら補足する。


「ここは、ヴェーンヘイム修道院。かつては、この森を往く旅人の休憩地点として宿泊施設も兼ねていたんです。……現在は、あのバケモノに襲われて行き場を無くした子供たちを保護する施設として活用していますわ」

『へぇ、はー、凄いなぁ! こーんな物騒な森のド真ん中、カリャンナさんが一人で?』

「いいえ、私の双子の妹と一緒にですよ」


 アリサとてわざわざ口に出すことはもちろんしないのだが、その外観はハッキリ言ってかなりボロい。

 修道院も宿泊施設とやらも、そのどちらの建物の屋根のあちこちに損傷が見られるし、ある種シンボルと言っていいステンドグラスは黒くくすんでいたり、窓に穴が開いているのも散見する。

 長く修繕の手が入っておらず、老朽化の一方なのが素人でも一目で分かる。見る人が見れば廃墟と形容するかもしれない。


「うわぁ……ボロボロ、不気味……」


 と、スウェンがボソッと、せっかくアリサが言わないでおいたことをしれっと言ってのける。

 思ったことを思ったまま、思った瞬間に口にしてしまう。

 こういう時分の子供というのは下手な大人より身勝手で残酷である。カリャンナも相変わらず苦笑したままだ。

 そもそも、明かりの一つもついていない修道院をいきなり目の当たりにすれば誰であれ不気味という印象を抱くだろう。口にしていないだけで、アリサも少なからず同意見である。


「あはは……すみません。街道にあのバケモノが蔓延るようになってからは、一度も修理の依頼が出来なくて……」

「そ、そう……なんですか……」

『そりゃそーだ、こんな危ない状況で修理に来てくれるヤツなんていないって』

「ヒ……ッぅ……」


 スウェンはパンドラが喋る度にこれである。

 横でルウシェが小さな溜息を吐いている。


「さ、早く中に入りましょう。すぐに温かい食事とお風呂をご用意いたしますわ」


 お風呂、と聞いてアリサの眉がピクリと跳ねたのだが、この場にいる誰かが気づくわけもなく。

 一行はカリャンナの先導で修道院の玄関を開けて中へと入る。

 埃っぽい臭いに全面的に歓迎されながら、アリサは中央から祭壇まで真っすぐ伸びた赤い絨毯を踏みつける。

 外観に違わぬ広さだが、内部も同じようにあちらこちらが損壊しているのが窺えた。

 小さな子供なら一度に七~八人くらいは座れそうな長椅子も年季が行き過ぎていて一部が壊れていたり、その手すりには我が物顔で埃が蹂躙している。よくよく見れば足元の絨毯も裂けていたりしていて、ここだけ見るとやはり廃墟と言って差し支えのない印象。

 だが祭壇付近、最前列にあたる場所の長椅子は比較的綺麗になっていて、今も一人の少年が両手を組み、神に祈りを捧げている真っ最中だった。

 炎に照らされた横顔は必死で、アリサ達が来たことにも気づかないほどに集中しているらしい。


「あぁ、ヒニアス。ただいま戻りましたよ」


 カリャンナの声が聞こえてようやっと、ヒニアスと呼ばれた少年はハッと顔を上げる。

 振り返った矢先、笑顔を浮かべかけたのだが見慣れないアリサたちの姿を見てか、その笑顔はふっと失せてしまった。


「あ、おかえりなさいシス、ター……? あの、そちらの方々は?」


 子供たちだけならともかく、ずぶ濡れのアリサを見て彼はかなり怪訝な様子だった。

 ある種当然の反応であって、アリサは小さく肩をすくめる。


「この子たちは、ルウシェとスウェン。森であのオオカミのバケモノに襲われていて、こちらは、そんなバケモノ相手に勇敢にも立ち向かっていった旅人のアリサさんです」

「……アタ」

『あ、オイラを忘れないでね! オイラはアリサの相棒でパンドラってんだ! 趣味は食べ歩き!』

「うわ、鞄が喋って……る……?」

「シ、は…………あー、まぁ……うん」


 名乗ろうとして口を開けたもののカリャンナに先を越され、オマケにパンドラには趣味を付け加えながら勝手に名乗られてしまって、結局アリサは口をパクパクさせただけで終わる。

 基本、アリサはパンドラ以外に対しては、年上だろうと下だろうと、男だろうと女だろうと口下手である。

 ソレ自体悪い癖だとは思っているが、別に直すほどのモノとも思っていない。


「あのバケモノに立ち向かったって……あ、僕はヒニアスって言います。あの、お怪我は……」

「や、えっと……大丈夫。かすりき」

『あぁ大丈夫大丈夫。アリサは見ての通りのフルフラット体型だけど頑丈さが半端ないんだ。だから心配ご無よぶ』


 そろそろお喋りが過ぎると思い、パンドラの横っ腹を膝で蹴って黙らせる。


「……大丈夫、別に。問題ないよ」

「そ、そうですか……あ、僕タオル持ってきます!」


 そう言って、ヒニアスはどたばたと慌ただしい様子で奥の扉の向こうへと行ってしまう。

 何とも微笑ましいような光景に、カリャンナは我が子を見守る母親かのような眼差しを向けていた。


『気の利くコだねぇ』

「えぇ、彼もここに保護した子供なのですが……いつも優しくて、気配りも上手で、私たちもとても助かっています。さ、別館の方へ参りましょうか。食事やお風呂の支度もしなければなりませんし」

「る、ルウシェ、僕たちも行こう」

「う……うん……」


 カリャンナに背中を押されながらスウェンは嬉々と、ルウシェは少しアリサを振り返りながら、ぎこちなく歩き出す。

 そんな様を、アリサの黒い瞳がぼんやりと見つめる。


「……あの」

「はい、何ですか?」


 何となしに気になって、多少なりと憚ったがアリサはそれを口にする。


「カリャンナさんは、何してたんです? ……()()()()()()


 自然に振り返って、自然に首を傾げ、彼女は実に自然に答える。


「何って……()()()()()()、ですよ。……それが?」

「……や、すみません。変なコト聞いて」

「いえいえ、さぁアリサさんもこちらにどうぞ」

『アリサ、オイラ達も早く行こうよ』

「……()()()、ね」


 パンドラに急かされ、ヤレヤレといった風体で大きく息を吐いてから、アリサの足はようやっと動き出した。


 ※


 礼拝堂とを結ぶ短い連絡通路を通って、アリサは件の宿泊施設へと足を踏み入れる。

 ホテルで言うところのラウンジには小さな明かりが灯っており、正面には廊下と、右手側に二階へと続く階段が見えた。奥の廊下は食堂や入浴場へと続いているとカリャンナに説明された。

 かつては宿泊施設として使われていたという話だが、傍にあったソファやテーブルも清掃が行き届いているらしく、階段の手すりや照明も長く使い込まれたような温かい感触が伝わってきて案外悪くない。ここに保護した子供たちとで時々掃除しているのだという。


「では、私は食事とお風呂の用意を致しますので、アリサさんはそれまで談話室の方でおくつろぎください」

『はーい! ねね、談話室ってドコよ?』

「二階です。本とか玩具とかはそこにあって、だいたいみんなここで遊んでるんです」


 大抵の人間は初めて見るパンドラに驚いたり、今もなお妹にへばりついているスウェンのように怖がったりするのだが、ヒニアスは意外と順応性があるらしく喋る鞄と平然と接してくれている。

 彼から借りた薄っぺらなタオルで髪を拭きながら、アリサは他愛ない言葉をいくつかやり取りしつつ、子供たちの後を追っていく。

 廊下を歩いていると、色とりどりのネームプレートを散見した。

 本来は宿泊客用の部屋だということだが、今は子供たちの寝室として使っているとのこと。プレートの掛かっていない部屋は、現在物置として使用しているらしい。

 突き当りを右に曲がったところで磨りガラスの扉が見えてきて、その先から子供たちが談笑する声が聞こえてきた。


「あ、ヒニアスくん! おかえりなさい!」


 ヒニアスの姿を見るなり、談話室で遊んでいた子供たちが一斉に彼の下へと集まっていく。

 その数、十名。

 パッと見たところ、そのほとんどは年端もいかないような小さな子供ばかりで、十代を越えているのはヒニアスを始めとしたごく一部だけ。

 アリサの目の前で、何とも舌っ足らずな調子の少女がヒニアスに上目遣いを送っている。


「おいのりは、おわったの? シスターはかえってきた?」

「うん、帰ってきたよクレア。今は下でお風呂とご飯の準備してる」

「ごはん! 今日のごはんは何だろ?」

「ねえ、この子たちはだれー? その人はー?」


 やいのやいのと自由奔放にはしゃぐ子供たちの注意が不意にルウシェたちに逸れて、当人たちはハッとなって身体をピンと強張らせる。

 二人はあっという間に子供たちに囲まれ、そんな大勢に囲まれた経験がないのか兄のスウェンは完全にルウシェを盾にして縮こまっている。

 子供特有の、新しい玩具を見つけた時の――何かコレだと少し不穏――友達になれそうな人物を見つけた時の、そのとんでもない速さで近づく姿勢というものはどこもかしこも変わらないのだと、アリサは肩をすくめている。


「この子たちは、スウェンとルウシェ。で、こちらは旅人のアリサさん。バケモノに襲われてたところをシスターが助けてくれたんだって」

「わぁ! だいじょうぶ、だったー……?」

「怪我してない? 寒くない?」

「でも、ぼくたちとおんなじだ!」

「同じ……って、みんなも?」


 ヒニアスを始め、ここにいる全ての子供たちがうんうんと頷く。


「そう、ここにいる子供たちはみんなあのバケモノに襲われて、シスターに保護されてきた子供たちなんだ。僕もその一人で」


 経緯は様々であれ、ここにいる子供たちは皆あの街道を越えようとしてバケモノに襲われ、両親とはぐれたりしたところをシスターに助けてもらってここにいるらしい。

 当時は夜が訪れるのでさえ恐れていた子供たちもカリャンナたちの手厚い看護によって元気を取り戻し、ここで楽しい生活を送っているのだという。

 その実、アリサが見ている子供たちは全員が笑顔に包まれていて、今なお悲しみに暮れているといった風の子供の姿は一人も見当たらない。


「ぼ、僕はスウェン……よ、よろしく」

「ルウシェ……です」


 子供たちを同じ境遇の仲間と見ていくらか表情を崩すスウェンと、まだ人見知りが残っているらしいおっかなびっくりな様子のルウシェ。

 それぞれが子供たちに囲まれて、あれやこれやと他愛のない話を広げている。

 二人とも笑みを浮かべるところを見るに、少しばかりは落ち着きを取り戻しているようだった。


「……」


 そんな様子をアリサは――何とも言えない、くしゃくしゃに丸めた紙くずのような、複雑な表情で見つめていた。

 街道に跋扈するバケモノに襲われ、シスターが保護したという子供たち。

 彼らからして見ればここは安全であり平和で、それこそ聖域のような場所なのだろう。

 だが、傍から見ているとどうにも違和感ばかりが鼻をつく。

 けれど、この違和感は決してここに居る『子供』たちには到底思いつきもしないようなモノで、その違和感はこの聖域を聖域たらしめている要素そのもので――口にしてしまえば、全てが崩れてしまいそうな、そんな危うさがある。


『なんかさ、面白くないよなー』

「……何が?」


 そんなアリサの胸中を知ってか知らぬか、パンドラが藪から棒に口を開く。口は開けても鞄は開かない。それにしても不思議だ。


『あのバケモノを追っ払って、スウェンとルウシェを助けたのはアリサじゃないか。それなのに、いつの間にかシスターの手柄になっちゃってるんだぜ? そりゃなんか違うんじゃねーの?』

「別に、アタシは気にしてな…………あ」


 アリサにとって、この喋る鞄との会話は日常茶飯事に越したことはない。

 しかし、それはあくまでアリサにとってのハナシであって、今この場にいる子供たちからしてみれば、壁にもたれ掛かりながら足元に置いた鞄と喋るその様は、あまりにも奇妙で異常な光景と映るのである。

 突如舞い降りた沈黙と、好奇の視線の集中砲火。

 居心地の悪さといったらない。


「え……え? 誰? 他の、男の子の声?」

「お姉さん……? 今、誰と話してるの?」

「……えっと」

「あ、あの……お姉さんの、か、鞄が喋るんだよ」


 あろうことか、口火を切ったのはスウェンだった。

 幼い子供たちの瞳に、眼光、だなんて不釣り合いなワードが帯びる。


「鞄が……喋る?」

「喋る鞄?」

「かばんって、おしゃべりできる……の?」


 口々に出てくるキーワードは『お喋り』と『鞄』。

 アリサが元いた世界にだってそんな高性能(?)な鞄なぞ存在しないし、フィクションの中にだって稀有な存在だろうとはアリサも薄々感じている。

 敢えて、ワザとらしく、アリサはパンドラを掲げて見せた。


『おうよ、オイラはアリサの相棒で旅行鞄のパンドラ。よろしくな!』


 子供特有の好奇心という名のエッセンスが加わったのなら、文字通り彼らはパンドラへの興味が津々と湧き立つのも請け合いというもの。


「か、鞄が……しゃべったああああああああああ!?」

「……あーあ」


 あったな、そんなCM。

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