第8話 告白
週末は那美との勉強を止めにした。いつまでも那美に甘える訳にもいかないと思い、自分で勉強をした。日曜日は久しぶりに囲碁の番組を観ながら碁石を並べた。ネット碁も少しだけやり、休日を堪能した。
「おはよ」
「おはよう。勉強はどうだった?」
「がっつりは出来なかったけど、進んだよ」
「そっか」
「那美のお陰で順調。ありがとな」
那美は柔らかな笑顔を見せ、「うん」と言った。
「もうすぐでゴールデンウィークだな」
「そうだね」
「どっか行こうよ。今度は何も無しで、遊びに」
「良いよ」
那岐は少し緊張しながらも那美を誘った。
「じゃぁ、ブルーメの丘はどう?」
「いいよ」
那美が希望を言うかどうか分からなかったので、定番スポットを言ってみた。
「いつにしようか――4日か5日辺りにしようか」
「私はどっちも行けるよ」
「じゃぁ、4日で。また細かい事はLimで送るよ」
「分かった」
午前の授業をしっかり受け、今日も学食に行った。久しぶりに真一も一緒で、3人で昼を食った。
「那岐、土日は何してたんだ?」
「家に居たぞ」
隼人にそっけなく答えた。
「は? 多賀と一緒に居なかったのか?」
「那美だって俺ばかりに構う訳にもいかないだろ」
「遊びに行くとか、しないのかよ」
「今回は1人でゆっくり過ごそうと思ったんだよ。全然考えてなかった」
「ふーん。良い感じの所で一歩引くとは、どっかで違う勉強でもしたのか?」
隼人が口元を緩ませて言った。
「そんな事、一切考えて無いから」
「成程。無意識的にやっているんだな」
「こういう話になると面倒臭いな。口に椅子突っ込むぞ」
那岐は笑いながら言った。
「ちょっと待て。那美って――どういう事だよ」
真一が驚いていた。
「那美がそう呼んで欲しいって言ったから、馴染んだんだよ。修正するのが面倒臭い」
「そうか」
真一はそれで納得した。
「ゴールデンウィーク、遊びに行こうぜ。6日しか空いてないんだけど、行けるか?」
「あぁ」
「俺も行けるぜ」
那岐も真一も即答した。
「じゃぁ後は任せろ」そこで話しが終わるかと思ったら、「で、那岐は多賀と2人で何処か行かないのか?」と訊いてきた。
「別に」
那岐はここで言うと、また色々と煩いと思って嘘を吐いた。
「何でだよ。誘ってみろよ」
「理由が無いだろ」
「そうか?」
「冷めてるなー。多賀の事、気になってないのかよ」
今度は真一が絡んできた。
「気になってない訳じゃないけど」
「なら、誘うべきだと思うぞ」
「はぁ――分かったよ」
那岐はそう言って、その場を凌いだ。
お昼が済んだ後、珠々葉が「ゴールデンウィーク、どこか遊びに行こうよ」と言った。
「良いよ。いつにするの?」
伊雪が真っ先に反応した。
「空いてる日は?」
「私は、3日と、5日と、6日空いてるよ」
那岐と遊びに行く日以外は全て空いている。特に神社の仕事には支障が無い。
「私は――5日と6日」
「それじゃぁ6日にしよっか。何処に行こうかなー」
少しばかり沈黙があった後、伊雪が口を開いた。
「大津でよくない?」
「うーん――そだね」
「私も、大津で良いと思う」
那美も賛成した。
「じゃ、決定。でさ、那美」
珠々葉が顔を寄せて来た。なんだろうか。
「何?」
「那岐君とは、何処か行くの?」
「えっと4日に、ブルーメの丘に行くよ」
「定番だー」
伊雪のテンションが上がった。
「今度は普通にデートなんでしょ?」
「うん」
那美は照れながら頷いた。
「頑張れー」
「珠々葉はさー人の事ばかり言ってるけど、最近どーなのよ?」
伊雪が珠々葉に訊いた。
「え? 私?」
「うん。好きな人居ないの?」
「今は特に居ないかな」
「ほんとにー?」
「ほんとだよ。それに、伊雪だって居ないじゃん!」
「うるさいな」
「何だとー!」
珠々葉と伊雪がちょっとした言い合いを始めた。那美はそれを横で見て笑っていた。
その日の夕方、那美は母の千沙子から料理を教わろうと思い、声を掛けた。
「お母さん。私に料理教えて」
「何? 急に。もしかして、好きな人でも出来た?」
「ん、うん」
那美は正直に答えた。
「じゃぁ、お母さんが手取り足取り教えてあげる」
こんなにも気合の入った千沙子の顔を見た事が無かった。
それから毎日教えてもらい、少しずつ料理を作った。父の一之助にも褒めてもらい、益々自信が付いた。
那美はデートまでにある程度の事は出来るようになろうと、頑張った。
待ち合わせの最寄り駅に向かった。今回も早めに行ったが、那美が先に着いていた。
「ごめん。また待たせたな」
「良いよ。まだ時間前だし」
「じゃ、行こうぜ」
電車を1回乗り継ぎ、最寄り駅まで行った。そこからはバスが出ている。
「久しぶりに行くなぁ」
「私も」
「そういやさ、その荷物何?」
少し大きな荷物だったので、気になっていた。
「お弁当、作ってみたの」
那美は照れたような笑顔で言った。
「マジで? 凄いじゃん。この前は苦手って言ってたのに」
「お母さんに教えてもらったんだ」
「あーだから手に絆創膏してたんだな」
那美はデートの約束をした次の日から、絆創膏をしている事が増えた。最初は気にしなかったのだが、あまりにも頻度が多いので訊いた事があったが、「ちょっと怪我をしただけ」としか返って来なかった。だから、それ以上訊かないようにしていた。
「うん」
「ありがとな」
那岐はそう言って、まだわずかに傷が残っている那美の左手に手を添えた。すると那美は一瞬驚いた。
「あっ。一応味見はしたけど、口に合わなかったら、ごめん」
今度は不安そうな顔をした。
「大丈夫でしょ。楽しみにしてる」
那岐が笑顔でそう言うと、那美は笑顔で頷いた。
バスを降り、中に入ると目の前に様々な色のチューリップが咲いていた。
「わぁ」
「おー。結構綺麗だな」
「うん」
「那美は花好きか?」
「好きだよ」
「俺も好きかな。自分で育てたりはしないけど、やっぱこういうの見るのは良いな」
「そうだね。私、桜が1番好き。綺麗だけど、あっという間に散っちゃう所が何か良いな」
「俺も同じだな。綺麗だよな。あの小さな葉が出始めた時なんか特に俺は好きだよ」
「そうだね」
「あっち行こうぜ」
「うん」
ブルーメの丘には色々な動物も居るので、一緒に見に行った。
「こんにちは」
那美はウサギに話し掛けていた。
「おーい」
那岐も声を掛けてみたが、何故か見向きもしてくれなかった。
「俺には寄らないんだけど」
「ふふふ――」
那美は那岐の嫌われように笑った。
「畜生。こいつらオスか?」
那美はウサギを抱いているので、那美に近付いてみた。
「お前だけか。俺に心を許してくれるのは」
那岐は那美に抱かれたウサギを撫でた。
「可愛いね」
「そうだな。那美は動物も結構好きなんだな」
「うん。うちじゃお世話出来ないから飼ってないけどね」
「そっか。那美は、犬と猫どっちが好き?」
「どっちも好きだけど、どっちかと言われたら犬かなぁ」
「俺も犬かな。遊んでくれるし、一緒に居て楽しいと思うんだよね」
「そうだよね」
「次見てみようよ」
「うん」
那美と一緒に色んな動物と触れ合った。
行く先々の動物は、那岐にあまり関心を持たなかった。正確に云えば、那美に引き寄せられていた。
一回りした後は軽く身体を動かした。時間を確認していないが、お腹が空いてきた。
「那美、そろそろご飯にしようよ。俺のお腹がお昼の時間って言ってる」
「ん……うん」
那美は軽いボケに対して、拾ってくれなかった。笑顔にすらなっていなかったので、相当緊張しているように見えた。
テラスに座り、荷物を広げた。中身は普通のお弁当だ。定番の物が詰まっていた。
「頂きます」
那美は何も言わず、那岐の動向を伺っていた。
「そんなに見られると、食べづらいんだけどな」
「あ、ごめん」
「いいよ。じゃ、これから」
ほうれん草の胡麻和えに手を伸ばした。口に運び、じっくり味わう。ほうれん草の歯ごたえがしっかりしていて、胡麻の香りと塩気のバランスが丁度良かった。
「どうかな?」
「美味しいよ。丁度良い味付」
「良かった――」
那美は安堵したようだ。
「那美も見てないで、食べようぜ」
「うん」
一口ずつ食べてみたが、全部上手に出来ていた。
「相当頑張ったんだな」
「うん――」
那美は嬉しそうにしながらも、少し恥ずかしそうな顔をした。
「この前は全然出来ないって言ってたのに、ここまで出来るなんて凄いな」
「ありがとう」
定番の玉子焼も、唐揚げも美味しく出来ていた。ご飯は食べ易いように小さい俵型のおにぎりにしていた。那美の気配りを改めて感じた。那美の性格が良く分かるお弁当だった。
「ふぅ。ご馳走様」
「お粗末様でした」
「美味しかった。ありがとな」
「私こそ、ありがとう。量多くなかった?」
「そうだな――でもあれくらいなら大丈夫だよ」
「ちょっとゆっくりする?」
「うん」
お腹はかなりいっぱいになった。その位、那美の気合が量にも出ていた。那岐はこの機会に、もうちょっと那美の事を訊いてみようと思った。
「那美ってさ、休みの日って何してるの?」
「神社の仕事もあるけど、いつもある訳じゃないから本を読んだり、時々遊びにも行くよ」
「本か――本って、どんなの?」
「小説とか、漫画とか色々読むよ」
「そっかー俺も漫画は読むけど、小説は全然読まないな。後は遊びに行くか、家でゴロゴロしてる位だよ。あと、碁もやってるんだ」
「ご? 囲碁?」
「うん。意外だろ」
「ちょっと」
那美が驚いた。
「親の影響でさ。碁盤もあるんだけど、俺はネットで対戦する方が多いよ。そんな強くは無いんだけど」
「そうなんだ。実は――私もやってるんだ」
「え、マジで?」
那岐はめちゃくちゃ驚いた。
「うん。私もネットで対戦してるよ」
「じゃぁID教えてよ。時間ある時打とうよ」
「うん」
互いにスマホを取り出し、ネット碁で使っているIDをLimの送信欄に打って送信し合った。
「このIDって、那美なんだ」
「え?」
「結構俺達、打ってたんだな」
「そうみたいだね」
「先日はどうも」
「あれはちょっと悔しかったな――」
先日の対局を思い出し、暫く意見を言い合った。気付けばお腹が落ち着いていた。
「結構落ち着いてきたよ。次は――そうだな。迷路行ってみよう」
「うん」
そう言って立ち上がり、那美と一緒に向かった。
「やった事ある?」
「私は無いなぁ」
「俺も無い。結構苦戦するかもな――」
こういうものは、どう攻略すれば良いのだろうか。とりあえず那美と一緒に進んでみた。
「行き止まりか――」
「難しいね」
この迷路は道幅がそんなに無いので、那美と結構近かった。那岐の心臓が少し騒がしかった。
「えーまたか」
ことごとく行き止まりに当たった。那岐はリードするのを諦め、那美に訊いてみる事にした。
「次はどっちだと思う?」
「分からないけど、こっち行ってみる?」
「じゃぁ、そっちだ」
那美の勘に従って進んでみると、ほとんど壁に当たらなくなってきた。
「なんか、進んでるっぽいな」
「そうみたいだね」
「じゃぁ次も頼むな。今日は俺だとダメみたいだ」
俺は軽く笑いながらそう言った。
「うん」
そんな那岐を見て、那美も笑った。那美の勘が良いのか、前半とは違って後半はすんなり進み、ゴールに辿り着いた。
「あー着いた。日が暮れるかと思ったぞ」
「こういうの苦手なの?」
「どうだろう。適当に進めてりゃ、いずれ辿り着くと思ったんだ。こういう所の迷路なら何とかなると思って」
「考えるより、先に動くタイプなんだ」
「そうかも」
那美との距離が自然と離れた。先程までの距離感をまた感じて居たくなり、那岐の方から近付いた。
「ちょっと疲れたし、休憩しようよ」と言い、那美の手を握って移動した。那美は手を握られて「あっ」と声を出したが、それだけだった。嫌がる事もなければ、それ以上は特に何も言わずに着いてきてくれた。
那岐の心臓は跳ね上がっていた。顔が少し熱い。恥ずかしさを隠す為に、行く方向だけを向いて那美を見ずに引っ張った。今までこんな強引な事をした事が無かった。でも、那美は受け止めてくれた。その事が嬉しかった。
那美の手は小さくて、柔らかくて、温かかった。
「ここに座ろうよ」
花畑が見える良い所にベンチがあったので、そこに座った。
「うん」
「よっと――」
「お茶、飲む?」
「お、ありがと。」
那美が麦茶を注いで、渡してくれた。那岐は受け取り、ぐっと飲んだ。
「ふぅ――」
那美も自分の分を注いで飲んだ。
那岐は暫く目の前の花畑を眺めつつ、今日のデートを頭の中で振り返った。
那美の気遣いと優しさを、改めて感じたデートだった。料理は全然出来ないと言っていたのに、あんな上手なお弁当を作ってきてくれた事には驚かされた。何よりも、一緒に居て楽しかった。
「楽しかったな」
「うん」
そう返してくれた那美の顔を見て、那岐の気持ちが固まった。
「那美――」
「何?」
「好きだ」
「え――」
那美は驚いた顔をした。那岐はそんな反応を無視して、一気に思いを伝えた。
「那美ってさ、凄く優しいよな。勉強みてくれて……俺が何回つまづいても教えてくれたし。隼人も言ってたんだ。那美の事、凄く褒めてた。だから、段々気になってたんだ。映画のデートも楽しかった。多分あの頃から好きになってた。映画の時は料理がまだそんなに出来ないって言ってたのに、今日は美味しいお弁当、作って来てくれて凄く嬉しかった。怪我しても頑張ってくれた事も嬉しかった。ありがとな。今日もいっぱい話して、ずっと過ごして、楽しくて……これからも一緒に居たいって思った。だから――俺と付き合ってほしい!」
那岐はこれまでにあった事を思い出しながら、自分の気持ちを那美にぶつけた。
那美の反応を待つ僅かな間が長く感じた。那岐は恥ずかしくなってきてしまい、思わず顔を背けた。
「那岐君、ありがと」
そんな那美の声を聞いた瞬間、答えを聞くのが怖くなり、つい目を固く閉じた。
「私で良ければ」
「え――」
那美の答えに咄嗟に反応出来なかった。那岐は目を開いて那美の顔を見た。
「うん」
しかし、那美の笑顔で状況を把握した。
「あ――良かった」
那岐はOKを貰えた安心感で気が抜けた。
「はぁ――何か、喉渇いたな」
「はい、どうぞ。まだあるよ」
那美が微笑みながら飲み物を注いでくれた。那岐は、お茶を一気に飲み干した。
「ありがとな」
「どうしたしまして」
「これからも宜しくな」
「こちらこそ、お願いします」
那美は礼儀正しくお辞儀した。
「はは。何か、調子狂うな」
「うん――」
那美は嬉しそうな顔をしていた。
「じゃぁ、そろそろ帰ろうか」
「そうだね」
閉園時間にはまだ早いが、一通り済んだので帰ろうと思った。今度は不意打ちなどせず、ちゃんと那美の手を握った。
バスに乗り、電車を乗り継いで最寄り駅まで帰って来た。
「家まで送るよ」
「ありがと」
那岐は再び那美の手を握り、歩き始めた。
「この連休中、他に予定あるの?」
「あるよ。6日に3人で大津に行くの」
「俺も6日、隼人と真一でどっか行くよ。多分、隼人の事だから大津だよ」
「当日会うかもね」
「天が導いてくれるかもな」
「そうだね」
鳥居を潜り、家の前まで一緒に歩いた。
「じゃぁ、またな」
「うん。またね」
別れの挨拶を済ませたのだが、もう少し傍に居たい気持ちがあり、手が離れなかった。
「那岐君?」
「あ、ごめん」
那岐は手を離して、少し距離を置いた。
「良いよ。私はもう那岐君の彼女なんだから」
那美は恥ずかしそうに――しかし笑顔でそう言ってくれた。そんな事を言われると思ってなかったので、那岐は一気に顔が熱くなった。
「じゃ、またな!」
那岐はあまりの恥ずかしさに、走って神社を出た。神社を出た後は歩き、頭を冷やそうとゆっくり歩いた。しかし、5月の空気はぬるく、那岐の頭を冷やす事は出来なかった。
那岐は帰宅後すぐに、自分の部屋のベッドにダイブした。那岐はさっきまでの事を思い返し、思わずベッドの上で身悶えた。しかし、このままでは良くないと思い、スマートフォンをつけて那美にLimを送った。
「今日はありがとな。さっきは急に帰ってごめん。恥ずかしかっただけなんだ。これからも宜しく」
打っては消し、打っては消しを繰り返して、結局正直かつ短くまとめ、送信した。
「はぁ――」
那岐は大きな溜息を吐き、ベッドに伏した。暫くすると、Limの通知音が鳴った。
「私こそありがとう。大丈夫だよ。手、繋いでくれて嬉しかった。始めはあまり積極的になれないかもしれないけど、宜しくね。私も頑張るから」
何でも努力しようと頑張る、那美の姿勢に感心した。
「じゃ、また月曜日に。ひょっとしたら日曜日だけど。おやすみ」と打ち、送信した。
少しすると、那美から返事が来た。
「おやすみ」
那岐は既読だけ付けてスマートフォンの画面を消した。