第7話 弄られる二人
いつも月曜日は憂鬱なのに、今日は身体が軽やかだ。いつもより早めに家を出てしまった。全然仲の良いメンバーと会わない。
教室に入ると数名居たので、挨拶をした。
「おはよ」
「おはよー」
とりあえず挨拶だけ済ませて自分の席に着いた。勿論、那美はもう来ていた。
「おはよ」
「おはよう。今日は早いんだね」
「何か今日は身体が軽くってさ」
「そうなんだ」
那美はそう言って、いつもの柔らかい笑顔を見せてくれた。
那岐はそんな那美の笑顔に少し戸惑ってしまい、言葉が詰まった。照れた顔をつい隠したくなり、口を手で覆ってしまう。
すると、那美は首を傾げた。那岐は悟られたくなかったので、別の話を振った。
「今週もさ、勉強良いよな?」
「良いよ」
「何か急に用事が出来たら、そっち優先でも良いからな。大分コツも分かってきたし」
「うん」
それからは暫くスマートフォンで遊びながら時間を潰そうと思った。
15分位経った頃に隼人が来た。荷物を席に置き、俺の方に近付いてきた。
「おっす那岐。今日は早いんだな」
「まぁな」
那岐はゲームを中断し、席を立った。すると、いきなり首に腕を絡められた。
「ぐっ――いきなり何すんだよ」
「昨日はどうだったんだよ」
「来て早々その話か」
「気になって眠れなかったぞ」
「大袈裟なんだよ」
「洗いざらい、全部吐け」
「まるで被疑者に対する取調べだな」
「カツ丼食うか?」
「朝飯食ったばっかりだ。それに、学食はまだだ」
「昼飯にどうだ? 奢るから」
「因みに、取調べで出てくるカツ丼は自腹らしいぞ」
「そうなのか」
隼人は所々抜けている奴だ。
「というわけで、諦めてくれるか?」
「俺には全部話すって約束だったよな」
隼人は苦しい嘘を吐き始めた。
「そんな約束していないからな」
「ちっ騙されないか」
当たり前だ。そんな手に引っ掛かるか。
隼人は更に「行ったんだよな?」と訊いてきた。
「行ったぞ」
「多賀と?」
「2人っきりでな」
「で?」
「で?」
那岐はオウム返しをした。
「教えろよー」
「嫌だね」
「くそ――部活が休みだったら、尾行出来たのに」
「お前、それは無いだろ」
「いや、那岐のデートだ。俺は見届けなければならなかったんだ! 那岐の兄として!」
「誰が兄だ。誰が」
「俺」
「お前はただの友達だからな」
「心配してんじゃーん」と言っているが、顔には全部教えろと書いていた。
「心配無用。俺を何だと思ってんだ。どっかのコミュ障と、一緒にしないでくれるか?」
「もういい。他に方法はある」
「辻や那美に聞いても無駄だと思うぞ」
「ん?」
那岐はつい那美の事をそのまま言ってしまった。
「那美って誰の事かな? 多賀那美子だよな? 多賀でもなく、那美子でもなく、那美か。随分距離が縮まってるみたいだな」
隼人の顔がにやけていた。
「そりゃ、そうだろ。2人で映画観に行く位の仲だからな」
那岐は面倒なんで、開き直った。
「ふーん。まぁいいや。それだけでもお兄さんは十分だよ」
「はいはい」
いつも通り隼人と昼飯を食い、今日は進路相談室に向かった。先日書いた進路希望について、1対1で話したい事があると、乙女に言われた。
進路相談室のドアをノックすると、中から「どうぞ」と乙女の声が聞こえた。中に入り、乙女の対面に座った。
乙女の前にはファイルが置かれていた。
「この前の進路希望調査では国立大学って書いてあったが、今までの成績のままじゃ少し難しいぞ」
「はい」
「厳しい事を言うが、平均で20点くらいは上がらないと──」
「分かってます」那岐は被せるように言った。
「実は今、多賀と一緒に勉強しているんです」
「そうか。多賀と一緒なら大丈夫そうだな」
乙女は優しい顔を見せた。
「あの、多賀は神職資格の取れる大学に行くって言ってたんですけど、どこにあるか知ってますか?」
那岐はまだ調べてなかったので、このついでに訊いてみる事にした。
「伊勢にあるぞ」
「そう……ですか」
那岐は伊勢と聞いて、胸がモヤモヤした。てっきり京都にでもあるのかと思っていたので、もし離れても週に1回位は会えると思っていた。しかし、よく考えてみれば伊勢にある方が自然だ。伊勢神宮は天照大神が主祭神だ。そのお膝元に神職資格の取れる大学を置くだろう。
那美とほぼ毎日会っている日常が、突然奪われてしまったような気持ちになった。
「どうした?」
「いえ、何でもありません」
那岐は何でもなさそうに取り繕った。
「お前達なら絶対出来る。次のテスト、期待しているぞ」
「はい。頑張ります。ありがとうございました」
那岐は席を立ち、進路指導室から出た。
「那美~今日どっか寄ってかない?」
放課後、伊雪が那美を誘っていた。
「えっと、ちょっと待って。那岐君、良いかな?」
「俺に訊く事じゃないだろ。そっち優先しろよ。そういう時間だって大切だろ? 気にするな」
「うん」
「じゃぁな」
「またね」
那美は珠々葉と伊雪の3人で何処か行くようだ。
那岐は家に直帰して、勉強をした。夕飯を挟み、また勉強をして、風呂で一度リフレッシュした。
今日は眠くなるまでリラックスタイムにしようと思い、ベッドに寝転んだ。ふとスマートフォンを見ると、通知のライトが光っていた。
画面の電源を入れ、ロックを外すと那美からメッセージが届いていた。
「今日は勉強見れなくて、ごめんね」
「良いよ。気にしないで。明日はお願いしていいかな? ちょっと詰まったんだ」
「分かった。じゃぁ明日は那岐君を優先するね」
「ありがと。じゃ、また明日」
「おやすみ」
「おやすみ」
「さーて何処に行く?」
珠々葉がいつもどおり最初に口を開いた。
「お茶とか飲めて、騒いでも怒られない場所が良いね」
「私の家、今日は大丈夫だよ」
「良いの?」
伊雪は久しぶりだからなのか、少し嬉しそうだ。
「良いよ」
「じゃ、那美の部屋で決定!」
多分昨日の事を聞かれるのだろうけど、隠す必要は無い。ちょっと恥ずかしいけど。
那美は2人を部屋に通した。
「何にする?」
那美は2人にリクエストを訊いた。
「紅茶」
「私もー」
「ちょっと待っててね」
那美は台所に行き、紅茶の準備を始めた。茶葉を3人分用意し、3人分よりかなり多い量の熱湯を用意した。使う容器全てに熱湯を注いだ。ポットに茶葉をセットし、勢い良く注ぎ、すぐに蓋をした。カップのお湯を捨て、部屋に運んだ。
「お待たせ。もう少しで出来るからね」
蒸らしが終わったら、カップに緑茶を分けて入れるように、濃さが均一になるように注いだ。
「はい。どうぞ」
「那美の入れた紅茶は、香りが良いね」
珠々葉が褒めてくれた。
「うん、美味しいね」
伊雪にも褒めてもらった。
「ありがと」
那美も紅茶を飲んだ。相変わらず美味しい。
「ねぇ那美。昨日はどうだったの?」
珠々葉が昨日の事を訊いてきた。
「那岐君と映画デートしたんだって?」
伊雪の耳にも入っているようだ。
「うん」
「どうだったの?」
珠々葉は返事を聞きたくてしょうがないようだ。身体を乗り出して訊いてきた。
「楽しかったよ」
とりあえずそれだけ答えてみた。
「や、そういうのじゃなくてさ。手を握ったりとかさ、無かったの?」
珠々葉はやっぱりそういう感想を求めていなかった。
「無かったよ」
「さすがにそこまでしないか。那岐君ヘタレだな~」
那美は全然そう思わなかった。一応勉強を手伝っているお礼だからだ。それに付き合ってもいない。
しかし、那美はふと思い出して「あ、でも――」と口にしてしまった。
「でも?」
珠々葉は聞き逃さなかった。
「那岐君、優しかったよ」
「ほぅほぅ。その辺を詳しく聞きたいな」
那美は恥ずかしいが、喋る事にした。
「私そんなに積極的じゃない方だから、那岐君がリードしてくれたの。あと、低めだったんだけどヒールを履いてたから、それも気にしてくれたよ」
珠々葉も伊雪も黙って頷いていた。
「髪切ったのも気付いてくれたもんね」
「うん」
「服の事も褒めてくれたんだっけ?」
「うん」
「お~」
伊雪が感嘆していた。
「初めてだよね。那美からこんな事が聞けるなんて」
珠々葉が嬉しそうにしていた。
那美は更に思い出して「あ――」と言ってしまった。
「どうしたの?」
珠々葉が訊いた。
一番顔が紅潮した時を思い出してしまった。
那美は「何でもない」と言った。すると、珠々葉は那美に抱きついた。
「何でもない訳ないでしょー!」
「あっ珠々葉。やめて」
「私も知りたいな~」
伊雪は自由の奪われた那美をくすぐった。
「あーははは! やっやめ。ああーーはははは。い、言うから。やめてーーー!」
那美は直ぐに解放された。
「はぁ――はぁ――。もう!」
「那美が可愛いからつい――」
珠々葉が少しだけ舌を出して言った。
「それ、言われた」
那美は恥ずかしがりながらも、告白した。
「それ? 可愛いって?」
那美が頷いた。
「おー。那岐君、意外にやるなぁ」
伊雪が少し顔を赤らめていた。
「もう、その那美の顔でお腹いっぱいだよ」
どうやら珠々葉も満足してくれたようだ。
「そうだね」
「この話はこのくらいにして、校外学習で行く所決めておこうよ」
珠々葉が話題を変えた。
「良いね」
伊雪も賛成した。
「何処に行く?」
校外学習は京都だ。ほぼ自由行動で、行きたい所に自由に行ける。観光パスポートが配布される事になっている。
「私は伏見稲荷大社と清水寺行きたいな」
那美は京都の有名な寺社に行きたいので、先に言っておいた。
「伊雪は?」
「私も清水行きたい!」
「音羽の滝だね」
「そうそう。確か3つあるんだっけ。どの滝なんだっけ?」
「恋愛成就なら真ん中だよ」
那美は記憶を手繰り寄せて答えた。
「さすが那美。よく知ってるね」
「有名だよ」
「他に行きたい所は?」
他にも行ってみたい所はあるが、あちこち行けるだけの時間も無いし、寺社ばかりというのも面白く無いので那美は首を横に振った。伊雪も特に無いようだ。
「そっか。じゃ、京都水族館も行こうよ」
「良いね!」
「うん」
「でしょ。でさ、6人で固まって回るんじゃなくて、男女ペアで回ろうよ」
「良いけど、どうやって決めるの?」
「クジか何かで良いんじゃない?」
「そうだね」
「私もそれで良いよ」
那美はクジだろうが、天命で那岐と一緒に回れると思ったので、異論を挟まなかった。
「じゃぁ、このくらいにしておこうか。明日那岐君達に伝えよう」
「うん」
「じゃ、そろそろ帰るね」
「また明日ね~」
「うん。またね」
昼休み、那岐は珠々葉から昨日話し合った事を聞いた。
「悪く無いな」
「そうだな」
「これで良いんじゃないか?」
隼人も真一も異論が無いようだ。
「俺らはまだ特に考えてなかったな」
まだ少し先の話だから全く考えていなかった。
「まだ余裕があると思うけど、他に行きたい所あるか?」
那岐は2人に訊いてみた。しかし、2人とも腕を組んだまま何も言わなかった。
「そういや、京都タワーがあったな」
集合場所が京都駅なので、ふと思い付いた。
「そんなものあったな」
隼人の暴言は置いといて、那岐は皆に「昇った事ある人は?」と訊いた。すると、全く反応が無かった。
「どうせなら行ってみようぜ。そこも対象のはずだし」
「そうだな」
「おっけー」
皆一斉に賛同した。
「この位で良いんじゃないか? 移動もあるし、見る時間もいるし、お昼も挟むから」
「じゃ、那岐君! おおまかなスケジュールは任せた!」
珠々葉は漫画のように擬音が付く位の勢いで那岐を指差した
「あいよ。適当に組んで、それを見せればいいな」
「そうだね」
「じゃぁある程度時間の希望があるなら、今のうちに言っといて」
「水族館はね、2時間くらい欲しい」
「わかった」
「清水と伏見稲荷は……長くても30分から1時間くらいかな」
「そうだね。あ、でも清水の近くのお土産屋さんとかある所も寄りたいな」
「あぁ、松原通りだな。おっけー。京都タワーも同じくらいで大丈夫だろ」
「あとはお昼か――」
珠々葉が昼食をどうするか考え始めた。
「さすがに京料理は無理だしな」
「その時に考える?」
伊雪はそう言ったが、その時その場で考えるよりはある程度決めておく方がスムーズだと思った。
なので那岐は「それもある程度決めておくよ」と言っておいた。
「じゃぁ頼んだよ」
珠々葉は那岐の肩を軽く叩いた。他のメンバーも特に無いようだ。
「じゃ、解散!」
珠々葉はやけにテンションが高かった。昨日の用はこの事だったのだろうか。しかし、デートの翌日だったので、那美から色々と聞き出した可能性の方が高い。那岐はそれで珠々葉のテンションが上がっているのだと思った。
放課後、数日振りに那美の部屋で勉強をした。その休憩中にふと、乙女との会話を思い出した。
「そういや――那美は伊勢の大学に行くんだってな」
「一番近い所で神職資格が取れるのは、そこだけだからね」
「通う間は向こうで暮らすんだろ」
「そうだよ。大学の中に寮があるの。だからそこに入るんだ。2年間だけなんだけど。残り2年は近くに住もうと思ってる」
「そうなんだ――」
那岐は改めて寂しさを感じた。
「ちょっと、寂しいな」
「え?」
那岐はつい思った事をそのまま言ってしまい、自分でも驚いた。
「あ、こうしてさ、ほぼ毎日顔合わせてるのに、それが来年には無くなるんだなって思うと」
「でも、二度と会えなくなるって訳じゃないし――ね?」
那美は笑顔でそう言ってくれた。