第1話 出会い
畝迫那岐は、クラス分けの紙を見ていた。3年1組の表から見ようと決めていた那岐は、早速自分の名前と、友人の名前を見つけた。
「また同じクラスだな」
後ろに居た関久隼人が言った。隼人とは1年の時に出席番号が隣だったので、1番最初に話し掛けられた。隼人とは、すぐ互いに名前で呼び合う仲になった。
「今年こそ那岐にも彼女出来たらいいな」
「でも、受験だぞ。作るのは厳しいと思うわ。隼人は良いよな。既に彼女持ちだから」
「すまんね。抜け駆けして」
隼人はにやりとしていた。
「リア充め……」
一緒に教室に入り、始業式までの時間を自由に過ごした。隼人を含め数人と喋っていたが、那岐の視界に1人の女生徒が目に入った。セミロングのストレートヘアがとても似合っているのも興味を惹いたが、彼女は誰とも喋らずに、1人で本らしきものをとても良い姿勢で読んでいた。あれは普通の本ではない。相当色あせているし、まともな背表紙すらない。
「どうした? 那岐」
「何やってるのかなって思って」
「あいつは、お前には多分無理だ」
「どういうことだ?」
那岐は隼人の言葉の真意が分からなかった。
「あまり友達が居ないが、言い寄ってくる男は割と多い。見た目も良けりゃ、頭も良いからな。性格も良い。でも、全員断わられている」
さすが隼人だ。こういった話題は隼人に訊くのが1番早くて恐らく正確だ。
「因みに、巫女だぞ」
「巫女?」
「多賀神社の巫女なんだよ」
「へぇ……」
畝迫家は神道で、多賀神社の氏子だ。氏神様の神社なのでよく行くが、彼女のような巫女が居たとは知らなかった。
「一部の連中からは、呪いが掛けられる巫女って言われてる。俺は信じてないけどな」
「ふーん。呪いね……」
丁度会話が終わった所で、体育館に集合しろと放送が掛かった。
「じゃぁ、行くか」
校長の話を聞き流し、赴任してきた先生の紹介や担任の紹介が終わり、教室に戻った。
「担任、乙女先生になるとは思わなかったな」
「最後の最後で乙女先生とはラッキーだな」
桐生乙女は現代文の担当で、生徒からの人気が男女問わず高い。非常に面倒見が良い先生で、とても優しい。だけど、悪い事をしたら真剣に叱ってくれる、とても良い先生だ。
暫くしてから乙女が教室に入ってきた。
「皆、おはよう」
「おはようございまーす」
「皆来ているみたいだから、軽く自己紹介をしようか。その後で席替えするぞー」
今の席順は出席番号順になっている。那岐の前は隼人だ。そして、後ろはさっきの巫女だ。
「畝迫那岐です。苗字が少し言い辛いと思うので、那岐って呼んで下さい。宜しくお願いします」
「多賀那美子です。多賀神社の巫女をしています。宜しくお願いします」
那美子は印象通り、凛とした声をしていた。那岐は那美子の名前を聞き、噂の呪いについて思い当たった。
古事記での話だが、伊耶那美命は伊耶那岐命と共に国産みを行い、その最後に火の神である迦具土神を産んだ。その時の火傷が原因で伊耶那美命は死に、黄泉の国に行ってしまった。
伊耶那岐命は伊耶那美命に会いたくなり、黄泉の国まで行ったが、既に伊耶那岐命は腐敗して、かつての美しい姿はそこに無かった。その醜い姿を見られた伊耶那美命は怒り、伊耶那岐命を追いかけるが、伊耶那岐命は何とか逃げ切った。
伊耶那岐命は黄泉の国の出口を大きな岩で塞ぎ、夫婦離別の呪文を唱えた。それで、更に怒った伊耶那美命は「お前の国の人間を1日に1000人絞め殺してやろう」と言った。それに対し、伊耶那岐命は「それならば、私は産屋を建て、1日に1500の子を産ませよう」と言い返した。
この一説によるが、伊耶那美命の呪いで人間に寿命が授けられた――と考えられている。勿論、これは神話だ。
まさか、1日に1000人を絞め殺せる呪いでも持っているのだろうか。
「それじゃぁ席替えを行う。準備してあるから、順番にクジを引いて」
クジが入った箱が回っている間に、乙女が黒板に座席票を書いて、番号を適当に書いていた。
全員に回り、最後の人が乙女に箱を渡した。
「はい。ありがとう。じゃぁ、自分の持っているクジの番号の所に座って」
那岐は窓際の1番後ろを引いた。隼人は少し離れ、那岐の隣には那美子が来た。
「多賀さん。宜しく」
折角隣に来たので、声を掛けてみた。
「宜しく……那岐君」
那美子は少し言いづらそうにしていたが、名前で呼んでくれた。
「お、早速名前で呼んでくれた」
那岐が受けた印象では、まずは苗字で呼ぶかと思ったので、意外だった。
「ん……そう、呼んで欲しいって言ってたから……」
「そうだけど、いきなり呼んでくれるとは思ってなかったなぁ」
那美子は言葉を詰まらせ、それ以上は何も言わなかった。
また軽く乙女先生から話があった。今日は始業式なので、これで終わりだ。那岐は部活に所属していないので、さっさと帰ろうと立ち上がった。
「あの、那岐君」
那美子は、立ち上がった那岐に声を掛けた。
「ん?」
「この後、時間ある?」
那美子は少し遠慮するような感じで那岐に訊いた。
「あるよ」
「えっと……うちに来て欲しい。話したい事があるの」
「良いよ」
理由はよく分からなかったが、那美子の誘いに乗ってみた。隼人の言うとおり可愛くて、穏やかな印象を持つ彼女に少し興味が湧いてきた。
「ありがと」
一緒に昇降口に向かい、靴を履き替え、学校を出た。
那美子はずっと黙ったままだった。下を向いている訳ではないが、那岐は間が持たなかった。
「うちさ、多賀神社の氏子なんだ。だから良く行くんだけど、まさか同い年の巫女が居るとは知らなかったよ」
「私は那岐君の事、知ってたよ」
「え?」
那岐は意外な事を言われ、驚いた。
「那岐君のお家が氏子だって事は知ってる」
「あ、そうなんだ」
「お父さんとは何度か会った事あるよ」
「親父と?」
那美子は頷いた。
「私は、元々あまり表に出て仕事をする方じゃないから。だから那岐君は気付かなかったんだと思う。裏方の雑務をしているの。あと、夏祭りの神楽……してるんだ」
「あぁ、あの神楽、多賀だったのか」
「うん――」
那美子は少し恥ずかしそうにしていた。その仕草が、可愛かった。
「多賀って、近寄りづらいのかな? って思ってたけど、そうでもないんだな」
那美子は不思議そうな顔をした。
「隼人──俺の友達なんだけどさ、高嶺の花だぞ、って言ってたから」
「そっか」
那美子は納得したような顔をしていた。
多賀神社に着いた。那岐も那美子も鳥居を潜る前に、一礼した。那岐が鳥居を潜ると、大きな風が吹いた。
「お参りはする?」
「いや、いいよ」
「じゃぁ、こっち」
住居の方に案内されるようだ。全然知らない方向へ誘導された。
「ただいま」
那美子はそう言ったが、返事が無かった。家族は今居ないようだ。
「どうぞ。上がって」
「お邪魔します」
靴を脱ぎ、那美子に着いて行った。那美子は部屋のドアを開けた。
「ここで待ってて。お茶淹れて来るから。紅茶で良い?」
「あぁ」
那岐は返事をして、部屋の中央にあった小さなテーブルの前に胡坐を掻いて座った。
那美子の部屋は所々女の子っぽさがあるものの、かなりスッキリしている方だと感じた。
暫く待っていると、那美子が部屋に入ってきた。
「お待たせ」
那美子はテーブルにお盆を乗せ、那岐の対面に座った。ティーポットを持ち、カップに紅茶を注いでくれた。那岐はカップを取り、紅茶を飲んだ。すると紅茶の良い香りが鼻を通っていった。
「美味しいな」
「ありがと」
那美子は笑顔で答えた。
那岐はティーカップに入った紅茶を飲みきった。カップをソーサーに置いて、那美子の用件を訊きだす事にした。
「その――話って何?」
「うん。どこから話そうかな――」那美子は少し考え「隼人君、他にも何か言ってなかった? 呪いとか」
「あーそう云えば、言ってたな」
那美子は、さらっと隼人君と言ったが、そこは今関係が無い。
「実はその事なんだけど――本当なの。そして、那岐君も関係があると思う」
「マジで?」
那岐は非現実的な話だと思って聞き流していたが、本当の話だったとは思っていなかった。しかも自分と関係があるらしい。那岐は、緊張で口に溜まった唾を飲み込んだ。
「本当。でも、まだあまりよく分からない事もあるの」
那美子は、バッグから教室で読んでいた古い本らしきものを取り出した。
「ここに書いてあるんだけど、言葉が難しくて解読が全然進まないの。後、対になっている本があるのかも知れないの。ほら、ここ……」
那美子は本を開いて見せた。確かに、明らかにおかしなページがあった。ページの半分が何も書かれてなかった。また別のページは文字の半分が切れていた。
「ん~……」
「那岐君は、お家で似たような本、見た事無い?」
「え? 無いよ」
那岐は何故自分に訊くんだと、疑問に思いながらも答えた。
「畝迫家と多賀家は、昔から関わりがあるみたいなの。ほら」
那美子は開いたページの一部を指し示した。
「あ……」
そこには確かに畝迫と書かれていた。
「だから多分那岐君と私が、今こうして居るのは天命なんだよ」
「へぇ……」
那岐は半信半疑ではあるが、那美子の話を受け入れた。
「あ――今日は、もう少ししたら用事があるの。また明日、学校で」
那美子は申し訳なさそうな顔をしていた。
「おう。またな多賀」
「那岐君……那美って呼んで。友達は皆そう呼んでる」
那美は少し恥ずかしそうにそう言った。
「分かった。じゃ……」
那岐と那美は立ち上がり、玄関に向かった。那岐は靴を履き、那美の顔を見た。
「那岐君。また明日」
那美はそう言って、軽く手を振った。
「あぁ。またな……那美」
那岐は那美の柔らかい笑顔に見送られ、神社を後にした。帰宅した後、すぐベッドに寝転がり、さっきの言葉を思い出していた。
天命――天から与えられた命と書いて、天命だ。人間に、天に逆らえる程の力なんて無い。
だから流れに任せるしかないな、と思い、目を閉じた。すると那美の可愛い笑顔を思い出し、胸が高鳴った。