第84話「授業参観」
「英会話〜次の授業は英会話〜♪」
「……」
授業の合間の休み時間。金髪ギャルの逸部はアホみたいな鼻歌を歌いながら、スキップのような足取りで俺の隣を歩いていた。教室移動のために廊下を歩いていたら逸部に絡まれて、英会話室に向かうまでの間行動を共にすることを余儀なくされたのだ。
「やめろよ、アホみたいだろ」
「え、別にうち親来ないし」
今週は授業参観週間だ。小学校の頃は誰それのかーちゃんが来てたとか、親の前で怒られて恥かいたとかでなにかと話題になるちょっとしたイベントだったが、高校生ともなると授業参観週間なんてのは名ばかりで、実際に誰かの親御さんらしき姿を目にすることはほとんどない。
まぁそんなわけで授業参観のあの独特の空気を味わうこともないので、こちらとしては都合がいい。小学生の頃、授業参観の日は憂鬱だった。授業中に無闇に後ろを振り返るわけにもいかないので、背後に立っているかどうかもわからない親の幻影に怯えて授業を受ける羽目になるし、休み時間に他の奴らは普通に友達と遊んでるのに、俺だけ誰とも話さずにひとりでいる姿を晒した日にはなんだか涙が出てくるのでこの話はもうおしまい。
「お前、なんで英語だけそんな得意なの?」
「いや英語以外も得意教科あるからな? え、いやなんでって言われても……両親が洋楽好きだから、まぁその影響? かな?」
「はっ。なんだそれ」
ぷらぷらと歩いていた逸部だったが、軽やかなその足取りが突然ぴたりと止まった。
「あっ忘れてた。ハルに教科書貸してたんだった。じゃ」
唐突に思い出したようにそう言い、逸部はそそくさと他クラスの教室に入っていった。なんだあいつ、急に……。
まぁ別にどうでもいいけど。うるさいのが消えてひとり。いつものことだ。
「Excuse me」
突然、後ろから女性に流暢な英語で話しかけられた。俺に向けられたものと分かり、振り向く。肩まで伸ばした金髪。青い瞳。フレンドリーな笑顔を浮かべた彫りの深い顔立ち。私服姿で、歳は40半ばくらいだろうか。
「……え、あ、アイキャントスピークイングリッシュ……」
めちゃくちゃびびってしまい、あまりに見苦しいクソ英語で返してしまった。そんな俺を見て、女性はおかしそうに笑った。首に提げた名札が揺れる。授業参観を見に来た親御さんらしい。
「ゴメンなさい、日本語で大丈夫よ。ちょっと道を聞いてもいいかしら」
普通に日本語話せるなら最初からそうせえや! と内心毒づきつつも、「どぞ」と軽く会釈して促した。
「英会話室に。娘が授業受けるのよね」
「はぁ。よりによって。先生もプレッシャーすごいでしょうね」
「Haha、たしかに」
金髪英語……そしてうちのクラスと……ふーん。そういうことか。この人逸部のお母さんだ。雰囲気似てるし、逸部がさっき不自然に場を後にしたのも、あの校則ガン無視の金髪がなんとなく容認されているのも説明がつく。
「英会話室なら……あそこの階段ひとつ降りて、右にずっと行ったあたりす」
「ありがとう。助かったわ」
会話はそこで終わったが、俺たちは依然として一緒に廊下を歩いていた。目的地が同じなのだから当然か。この人からは道を聞かれただけなので指示通りにしたまでのこと。一緒に行きましょうだなんてフランクな台詞を言うような距離感でも性格でもない。
「……あなたも英会話室で授業?」
「まぁ」
「なんだ、それなら言ってくれればいいのに。うちの娘とクラス同じなのね」
「はぁ、まぁそうすね」
言ってどうなるねん、という無意味なツッコミはさておき、俺はふわっとした返事をした。他人の母親と話したのなんて小学生の頃以来なので接し方かわからない。この人やたらフレンドリーだし。
「それにしても、意外と人いないのね。高校の授業参観って」
「まぁ、言うてもう高校生なんで、興味ないんじゃないすかね」
「そんなものかしら。子供の成長を目にするのは、いくつになっても嬉しいものだと思うけど」
逸部母はどこか遠くを眺めた。
「うちの娘、一時期ちょっと荒れてて、毎日つまらなそうに学校から帰ってくるのが、いつも気になってたのよね」
「へぇ……」
逸部にそんな一面があったとは。今でこそアホみたいに騒いでいるが、あの境地に行き着くまでには色々と紆余曲折があったのだろう。あと、その話、教室に着くまでの雑談のネタにしては少々重すぎませんかね。もっとこう、部活なにしてんの? くらいでいいんじゃ……。
「でも、最近友達ができたらしくて、その子と何をしたとか、どこに行ったとか昔みたいに楽しそうに学校のこと話してくれるようになったの。性格も明るくなって、よく笑うようになったわ」
「はぁ……」
逸部の交友関係なんて広すぎて想像もつかないが、俺と会う前になんか青春ドラマみたいな出来事でもあったんだろう。最近という言い回しが少し引っかかるが、まぁ母親なんてのは数年前のことでも平気で最近というので聞き流すのが吉だろう。
「だから、今日はそのお友達にお礼言いにきたの。話に聞くだけで顔を知らないから、今探してるところなんだけどね」
「……別に、そこまでして言わなくていいんじゃないすかね、お礼なんて。感謝されたくて仲良くしてるんじゃないんだし」
「うっとおしいのは分かってるんだけどね、引きこもりがちで塞ぎこんでたあの子の笑顔を取り戻してくれたから。娘が、普通に楽しく学校に行く。そうしてくれるだけで、ワタシはとても嬉しくて、そうさせてくれた人にはぜひお礼を言いたい……ワタシにはできないことだから」
「……」
二度と会うこともないような他人だからこそ、こんな心の内も話せるのだろう。俺の親も似たようなことを考えているのだろうか。俺は別に無理に誰かとつるむよりはひとりでいる方が楽しい人間なのだが、知らないうちにいらん心配をさせてしまっているのかもしれない――
「……ん?」
……逸部が引きこもり? ちょっと想像つかないが……そもそも、この人を逸部の母と勝手に決めつけていたが、本当にそうなのだろうか……。
もやもやと違和感が湧いてくるなか、女子トイレの横を通過する。
「……」
と、ちょうどそこから飴宮さんが出てきた。目が合ったので、挨拶代わりに軽く片手をあげた。
「や」
「……」
返事がない。俺の挨拶は黙殺された。
「……」
というより、飴宮さんは俺のことなど眼中にないとでもいうように、俺の隣の女性を驚愕の眼差しで見つめていた。
「……お母さん?」
「えっ」
軽く挙げた手が硬直する。
「あら、薄荷。あっ、もしかして、この子があなたのお友達の"コバネクン"?」
傍らの金髪女性の口から、信じられないような言葉がポンポンと放たれる。さっきの違和感やら考えていたことが全部吹き飛び、飴宮さんと隣の女性の顔を交互に見比べずにはいられなかった。
「お母さんんんんんん⁉︎」
「Yes! ワタシ、薄荷の母の飴宮アリスです!」
目をひん剥いて驚く俺に、その人……飴宮さんママはニコリと微笑んだ。