第83話「風邪」
朝。完璧に計算された遅刻寸前の時間に教室に着いた俺は、重い息をついて自席に鞄を置いた。
「おはようございます」
「おはぴ」
「うう、お、思い出させないでください……」
「……」
隣の席の飴宮さんの困り顔を見て、薄く笑って席についた。朝から快活な挨拶を交わしているものの、脳内では脈打つような頭痛が響き、全身が鉛のようにだる重い。このけだるさは単なる高二病の朝特有の症状とは少し違う気がした。
「ど、どうかしましたか? なんだか、いつもより元気がない、ような……」
俺のそんな違和感を察した飴宮さんは、気をもむように声をかけてきた。
「なんか、頭痛くて全身ダルいんだよなぁ」
「風邪なんじゃないですか? 保健室、行った方がいいですよ」
飴宮さんは気遣ってくれるが、自分が風邪をひいているのかいまいちピンと来ない。
「うーん……俺も風邪だと思うんだけどな、おでこに手当ててみても熱は全然なくて普段と変わらなんだよ」
「はぁ……じゃあ、風邪とは違いますね。風邪のとき、おでこ熱いですもんね。なんでしょうか。もっとこう、特徴ありませんか?」
「頭がボーっとして、何する気にもならないんだよ」
「それ、風邪ですよ。もっとも、孤羽くんは、常日頃から無気力、ですけど」
「でも、体育の授業はやけに楽しみなんだよな」
「風邪じゃないじゃないですか。風邪気味の日の体育の授業なんて、楽しみなわけがないですからね。もし楽しみだとしたら、授業をサボる大義名分ができることくらいですよ」
「喉がイガイガして通学中に咳き込んじまって」
「もう完全に風邪じゃないですか。大丈夫ですか? あめちゃん、なめますか?」
「口元を押さえた手からツツーって血が垂れてきたんだけど」
「じゃあ風邪じゃないですよ。咳き込んで吐血するのは、明治時代の人がかかるやつですから。身体、大丈夫なんですか?」
俺の身体を気遣ってくれた飴宮さんは「……って」と何かに気づいたように呟き、不満げに口を尖らせた。
「私のことからかってませんか? この話の流れの特徴は完全にコーンフレークのアレじゃないですか」
「意外と知ってるんだ」
「さっきの話がどこまでが本当か知りませんが、熱はないけどだるくて頭痛いのは、慢性的な寝不足、もしくは寝る直前までスマホを見ていたから、といった原因が考えられますが」
「詳しいな……まるで自分のことのように」
「さて、なんのことやら。冬休みはもう終わったんだから、不摂生はよくないですよ」
「ソシャゲ廃人に言われたくねえよ」
「さ、最近は、夜ふかしは控えてますよ……夜ふかしして楽しいのは数時間だけど、すっきりした頭で早起きすると、1日が楽しい、から」
「俺は明日を犠牲にしてでも、刹那ともいえる深夜の数時間をフィーバーしたい派なんだ。むしろその背徳感が最高にそそる」
ちょっとした価値観の相違を提示すると、飴宮さんはむーっとむくれて不服そうな顔をした。
「学校で過ごす1日より、夜ふかしを取るんですね……いや、別にいいんですけど……」
「いやそれは違うじゃん……ま、いいや。ちょっと寝る」
「はぁ。おやすみなさい」
飴宮さんに見送られ、俺はぐたりと机に体重を預けた。目を閉じると頭痛がいくぶんマシになり、弛緩した意識がすうっと薄れていった。
* * *
「……」
休み時間の廊下の騒がしさで目が覚めた。なんか普通に寝てたけど今何時だ? 目を開けるの面倒くさいなぁと思いつつも重いまぶたを持ち上げる。
「……」
「……」
目を開けると、微笑をたたえた飴宮さんとなぜか目が合った。飴宮さんは俺と目が合い、驚いたように目を丸くする。
「あ……あら。おはようございます」
飴宮さんはさっと目を逸らして挨拶した。微かに頰が赤くなっている。寝ている状態から目が合ったということは、飴宮さんは俺の寝顔でも見てたんだろうか。俺の寝顔がよっぽど面白かったんだろう。
「……今何時?」
「よほど寝不足だったんでしょうね……もうお昼休みですよ」
「は⁉︎ マジ⁉︎」
思わずガタッと立ち上がると、飴宮さんは顔を背けて吹き出した。なぜ笑われたんだと教室のかけ時計を見ると、まだ朝のホームルームが終わったばかりの時間だった。
「何が昼休みだ。たかだか10分くらいしか経ってないじゃねえか」
席についてぼやく。それを見て飴宮さんはくすくすと笑っていた。しかし冗談でよかった。ほっとしたような、なんだか得をした気分だ。
「疲れは取れましたか?」
「ん、ああ。だいぶ良くなった」
「よかった。それでは、今日も1日頑張りましょう」
「はいはい」




