第78話「伝言」
休み時間のこと。教室の雑音をバックに、俺は頰杖ついて読書していた。隣の席の飴宮さんは席を外している。図書委員の集まりかあるらしい。
「……」
誰の気にも留められず、誰の視線にも晒されず、世界から自分だけが消えてしまったような、自分以外の世界が消えてしまったような感覚に陥る。こうしていると心が安らいで好きなのだが、飴宮さんのいない隣を少しだけ物足りなく思ってしまう。別に、いたところで黙って読書してるだけだから特に何かあるわけでもないけど。
「……!」
人の気配を感じて視線を上げると、こちらに向かって歩いてくる狼月と目が合った。
「よ……」
狼月はバツが悪そうに軽く笑い、片手を上げた。役目を終えて行き場を失ったその手は、ゆっくりと首の裏に回される。
「……なんだよ」
「いや、あれ……怒ってない、のか?」
狼月は慎重に探るように訊いてくる。だが、狼月にそんな気を使われる理由が俺にはないので困ってしまう。
「なんだ……? 俺が気づいてないだけでなんかしょーもないイタズラでもしかけられてたのか?」
ふせんでも貼られてるのかと背中を探ってみる。肩甲骨が固い。
「俺がいらないこと言ったせいで、なんかややこしいことになっちまっただろ。ほんと、あれ……悪かった、って飴宮さんにも伝えておいてほしい」
「そんなことかよ。別にお前のせいじゃないし、今はもう元通りだから。飴宮さんもそんなに気にしてないんじゃないの」
そう言うと、狼月はほっと息をつき安堵の表情を見せた。
「ならよかった。俺、飴宮さんのこと好きだからさ」
「……は?」
思わず聞き返すと、狼月は「言い方が悪かったな」と俺の反応を楽しむようににやにやと笑う。こいつ絶対わざとだ。
「俺は孤羽の隣で楽しそうにしてる飴宮さんが好きなんだよ。だから、変にこじれずに、ずっとこのままでいてくれると嬉しい」
「お前の願望なんか知るか」
「おっと……噂をすればなんとやらだ。じゃ、俺はこれで」
狼月はそそくさと場を後にした。すると、入れ違いで飴宮さんが帰ってきた。
「なんの話、してたんですか?」
「いや別に……」
「な、なんだか、邪魔をしてしまったようで、すみません」
返答に困りお茶を濁すと、飴宮さんにぺこりと謝られてしまった。いらん気を使わせてしまったな。
「謝ってた。あのときのこと」
「あ、あんなの、私が勝手に勘違いしただけだから、気にすること、ないのに……変に気を使わせてしまって申し訳ないです、と伝えておいてください」
「また伝言かよ……」
「そ、そう言わずに。孤羽くん以外の人と、まだ、ちゃんと話せない、から……」
そんなすがるような眼で頼られると悪い気はしない。でも、本当に飴宮さんのためを思っているなら、いつまでも頼られる立場に甘んじていてはいけないよな。
「もうそろそろさ……いいんじゃないの。こういうの」
「……え?」
* * *
飴宮さんと一緒に、自席で窓から外を眺めている狼月のもとに向かった。
「……?」
俺たちに気づいた狼月は窓からこっちに視線を移し、無言で説明を求めてくる。まぁお膳立てくらいはしてもいいか。
「いや、こないだのことについて飴宮さんから一言あるんだって」
軽く前振りをしてから、一歩身を引いて俺の背中に隠れている飴宮さんを登場させた。ふいに狼月と目が合った飴宮さんは、一瞬びくりと肩を震わせ、ぎこちなく作り笑いを浮かべた。
「あっ……あっあっあっあっあっ」
思いっきりテンパってどもりまくる飴宮さん。いつまで経っても言葉が出てこず、コソッと俺の背中に隠れてしまう。
「……」
「……」
いたたまれない沈黙。狼月も困惑しきった顔で俺を見ていた。
「飴宮さんになに無理させてんだよ」
「お前が温かく迎え入れなかったのが原因だろ」
「俺がそういうのできないの分かってて言ってるだろ」
「……」
飴宮さんは俺の背中に隠れてぷるぷるしていた。俺は人見知りの子供と公園に来たお母さんかよ。
「……」
ブレザーの裾が軽く引っ張られる感覚がした。飴宮さんに呼ばれた気がしたので後ろを振り返る。
「その節は、私の勘違いのせいで、余計な気を使わせてしまって申し訳ないです、と伝えてください」
「この至近距離で伝言……⁉︎」
「いいから」
この会話狼月に全部聞かれてんだろ、といささかバカバカしい気分になりながらも、俺は狼月に視線を戻す。
「そうは言っても悪かった、って改めて飴宮さんに伝えてくれ」
俺が伝言を伝える前に狼月が言った。伝言の手間が省けたが、狼月までこの奇妙な伝言ゲームに乗ってきやがった。この会話も飴宮さんに全部聞かれて以下省略。
「いえいえ、と伝えてください」
「もう俺帰っていいかな?」
* * *
「や、やりましたよ、私。あの狼月さんと、会話できました」
自席に戻るなり、飴宮さんは興奮した様子で話しかけてきた。あれを会話認定するのはどうなのだろうと思わざるを得ないが、まぁ進歩したのは事実だし、飴宮さんが少しでも自信がついたところにわざわざ水を差すような趣味もない。
「よかったな。次は、俺の背中に隠れなくても会話できるようになるともっといいかもな」
「あはは……それはまた、次の機会に……」
飴宮さんは冗談っぽく眼を泳がせて微笑する。飴宮さんのコミュ症を治したいなどと大それたことを思っておきながら、この笑顔はいつまでも俺だけのものにしておきたい……なんて、身勝手な考えが一瞬でも浮かばなかったといえば嘘になる。
先週は投稿できずにすみませんでした。飽きたとか、終わらせる気は全くないので、そこだけご理解ください。