第74話「分岐」
「……意外、でした。孤羽くんが、あんなことを考えていた、なんて」
帰り道。飴宮さんと駅までの道を歩いていた。最初の数分は特に何も話さなかったが、飴宮さんがふと話しかけてきた。
「あんなことって?」
「いや、その、アイデンティティがどうのこうの、と……私、孤羽くんの悩みとか、過去のこととか、そういう、心の奥のこと、なにも知らなかったんだな、って」
飴宮さんは自信なさそうに俯いた。
「そりゃ、なにも話してないからな……俺のしょーもない自分語りなんか聞いても楽しくないだろ」
そう言ってフォローするも、飴宮さんはむーっと唸って不満そうな眼を向けてくる。
「ずるいですよ、そんなの。私は、いろんな重い話、孤羽くんに聞いてもらったのに……」
「別に、俺が聞くのはいいんだよ。ただ、自分から話すのが好きじゃないってだけで」
「もっと、孤羽くんのこと、知りたいです。いつか、私の過去の話、聞いてくれたとき、すっと心が軽くなって、救われました。だから、私にも、悩みごととか、辛いこと、聞かせてほしいです」
「いや……」
「……そ、それとも、私は、孤羽くんにとって、悩みのひとつも打ち明けられないような、頼りないやつ、なんでしょうか……」
「そうじゃないが、まぁ……じゃあ、悩みごとってほどじゃないけど……あーやっぱなんでもない。今のなし。で、話変わるけど――」
「なっ、なんですかそれ。そこまで言っておいて、それはないですよ。なんでも、遠慮せずに、話してください。なにを言っても、受け入れますから」
「そうか? じゃ、そこまで言うなら……さっきのこと、蒸し返して悪いけどさ、俺のこと好きとかなんとか言ってたような……」
あのときは飴宮さんの誤解を解くことに必死で深く考える余裕がなかったが、今冷静になると、まぁまぁ意味深な告白をされていた。
飴宮さんはかあっと頰を赤く染めた。
「あ、あれは全部忘れてください! あんなの、ひとりで空回りして、あんな恥ずかしいこと言って……私、馬鹿みたいじゃないですか!」
羞恥心で頰を真っ赤にした飴宮さんに吠えられた。若干涙目になっている。
「……」
ふぅ、と大きく息をついた飴宮さんは、仕切り直しにこほんと咳払いをする。
「ま……まぁ、念のために言っておくと、あれは、ずっと友達だと思っているって意味であって、決して『月が綺麗ですね』みたいなそういうニュアンスは含まれていないですからね。勘違いしないでください、というと自意識過剰みたいでアレですが、まぁ、その……こうやってムキになって否定するのも、それはそれで、アレ……ですね」
頭をかき、飴宮さんは誤魔化すように照れ笑いする。頰に差した朱は抜けきらないままだ。
「いや、なに……過去にあんなことあったんだし、俺だってマジで勘違いしてる訳じゃないよ。ただ、確認しただけ」
俺もそう言って頭をかく。うわミラーリング効果やべえ。
「……」
飴宮さんは中学生の頃、高嶺の花の先輩に一方的に好意を抱かれるも、それを断ったために周囲の反感を買い、ひどいいじめを受けたという。それ以来、恋愛沙汰がトラウマだということを聞かせてもらった。
「そう……ありえませんよ、孤羽くんのことを異性として好きになるなんて」
「いや全然いいんだけどその言い方はちょっと傷つくわ」
「……この関係が、壊れてしまうから」
ともすれば聞き逃してしまいそうな、小さな声で飴宮さんは呟く。
「……」
言葉を脳で反芻する。そのことは俺も何も考えていなかった訳ではない。
なにかと気が合い、性格的な相性もよく、ずっと親しく、仲良くやってきた。もしかしたら、友達の枠を越えて飴宮さんは俺のことを好きなのかもしれないし、俺も飴宮さんのことを好きなのかもしれない。
でも、仮に付き合うとなるとこれまでの関係性が微妙に変わってくる。そうなった場合、いつまでもうまくいくとは限らないし、ダメだった場合、飴宮さんは俺という『友達』を永遠に失うことになる。好きだからこそこれ以上好きになるべきではないという、奇妙な一線を飴宮さんは理解しているのだ。
それに、飴宮さんは逸部や餅月さんとも友達だ。俺も、友達の友達繋がりで彼女たちとふたりで行動したこともあるが、もし飴宮さんとこれ以上の関係を望むなら、それもできなくなる。彼女たちも気を使って俺たちから離れていくだろう。そうすると、今までの人間関係が、変わらぬ日常が、失われてしまう。
何かを得るには、何かを捨てなければならない。そうして変化した日常を、俺たちはたぶん愛せない。だから、何も気づかない曖昧な関係のまま、心地よいぬるま湯に浸っていたい。たとえ臆病者のぬるま湯だろうが、飴宮さんはその温もりを求めて闇の中を何年も生きてきたのだ。選択しない選択も、立派な選択肢であることに変わりはない。
そして、今はまだ変化を選択する局面ではない。
「……もう駅か」
気づけば駅に到着していた。改札を通り、それぞれのホームにつながる分かれ道にさしかかる。
「では、また明日」
別れの挨拶に、飴宮さんが小さく手を振ってきた。俺は片手を上げてそれに応える。
「じゃ」




