第73話「be with you」
――お前、何で最近孤羽とつるんでんの?
――ん? 何でって、アイツ全然友達いないだろ? ほら、俺って学級委員で優しいからさ、可哀想な孤羽くんのお友達になってあげてんだよ。
――マジか! お前めっちゃ良い奴だな!
――だろ? お前らもああいう可哀想なインキャには優しくしてやれよ?
「チッ……」
過去の記憶を思い出して舌打ちする。裏切られた痛みは俺も知っている。そして、飴宮さんがそれを知る必要はない。
「……待ってくれ! 違うんだ、誤解なんだって!」
飴宮さんの背中に向かって叫ぶ。手ぶらの俺に対して飴宮さんは鞄を持っているのに、ついていくのがやっとだ。自堕落な生活のツケがこんな時に回ってきた。
「こ……来ないでっ!」
飴宮さんは一瞬だけ振り返り、今まで聞いたことのない、切り裂くような大声をあげた。通行人たちは訝しげな視線を向けてくるが、お前らに構っている暇はない。
「待ってくれ……頼む……」
息も絶え絶えに懇願する。体力の差からじりじりと距離が詰まっていくが、身体はとっくに悲鳴をあげていた。喘ぐように肺いっぱい空気を吸い込んでも、胸が張り裂けるような息苦しさはどうしても振り切れない。
歯を食いしばれ。今ここで飴宮さんを失ったら、俺にはもう何も残らない。悲しんでいる女の子ひとり救えないようじゃ、物語の主役は任せられない。
少しずつ距離が縮まっていく。左右に揺れる飴宮さんの鞄を、手を伸ばして届くか届かないかの範囲に捉える。
限界だ。これ以上追いかけっこが続いたら、飴宮さんに振り切られてしまう。ここで決めるしかない。
――力を貸せ、俺の翼!
「ッ!」
左足で地面を蹴る。全てを懸けた一瞬の跳躍。身体ごと腕を伸ばして飴宮さんの鞄に右手を伸ばす。
「!」
紙一重で鞄を掴んだ。飴宮さんはガクンと後ろにつんのめり、抵抗することなく立ち止まる。
「へへ……捕まえ……た……」
鞄を掴んだまま、膝に片手をつき荒い息を整える。飴宮さんは脱力したようにへたりと座り込んだ。俺と負けず劣らず息が上がっていて、肩が大きく上下している。
「げほっ、げほっ……な、なんでついてくるんですか……はぁ……」
「だから……はぁ、はぁ……話を……はぁ……悪い、ちょっと待って……おえっ」
* * *
放課後のカフェテリア。立ち話もなんなので俺たちは向かい合って座っていた。他に利用者もおらず、部活に精を出す生徒たちの賑やかな声が遠くに聞こえる静かな部屋。
「話なんて、ありませんよ」
だからだろうか、飴宮さんの声が鋭く耳に突き刺さる。怒ったような声ではなく、見ず知らずの他人に向けられるような、どこかよそよそしい声。全てを諦めてしまったような仄暗い声が、今の俺にはどんな罵声よりも堪え難かった。
「聞きました。私が隣にいることを、窮屈に感じていたんですね。……別に、無理に引き止めることないです。孤羽くんは、今まで私に付き合ってくれていたけど、本当は、孤独が好きな人、なんです。川魚が海に棲めないのと同じように、孤羽くんにはこういうのが向いてなかっただけ、なんですよ」
「それは拡大解釈だ。あの話には続きがあって――」
「短い間でしたが、夢、見させてくれてありがとうございました。もう、私のことなんて忘れて、自由に生きてください」
俺の弁解を聞こうともせず、飴宮さんは虚空に向かって喋り続ける。
「だから待てって。俺はそんな――」
「別に……っ、もういいんです。むしろ、孤羽くんに無理させて、これ以上、嫌われる方が、悲しいです」
「……」
俺の言葉を遮り、独りよがりにまくし立てられる。何も言えずに黙っていると、飴宮さんは「でも……でもね」と呟き、顔を上げる。
「もし、私のことなんて嫌いになっても、私は、あなたのこと、ずっと好きだから……」
眼に涙をいっぱいに浮かべて、飴宮さんは優しく微笑んだ。今にも壊れてしまいそうな儚げな笑顔に、俺も応えなければならない。言うべき台詞は決まっている。
「勝手なことばっか言ってんじゃねえよ」
ボソリと呟くと、飴宮さんは俯いて、スカートの裾を両手でぎゅっと握りしめた。
「こ……こういう、重いところが、嫌い、なんですよね……最後まで、すみません……」
「――っ、だから、そういうとこだよ! そうやって、なんでも悲観的に捉えてすぐ卑屈になるのやめろよ! 気安く謝るなよ! いつだってそうだ……そんな悲しそうな顔されたら放っとけないんだよ……!」
無自覚のうちに感情的になっていた。今まで抱いていた小さな不満が、ここにきて爆発してしまった。自分でも理不尽なことを言っている自覚はあるので、飴宮さんから視線を外し、髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。
「確かに、常に隣に誰かが居るのが窮屈だと言ったのは本当だし、そりゃ、ぼっちで居るのは好きだ。なんなら、アイデンティティと思ってるくらいだ」
「……」
「けど、飴宮さんが隣に居る日常も、同じくらい楽しくて大切なものなんだ……って言おうとしたんだよ。人の話を最後まで聞かないで勝手に被害者面してんじゃねえ」
「じゃ、じゃあ、孤羽くんは私のこと……」
「誤解だって言ってるだろ。飴宮さんを嫌いになったことなんて、1秒たりともないよ」
「よ、よかった……」
飴宮さんは安堵のため息をつき、涙を零した。強張っていた表情が、陽の光を浴びた雪のように、ゆっくり解れていく。たったこれだけのことを伝えるのがこんなに難しく、無事伝わるとこんなに嬉しいとは、思いもしなかった。
「今の俺は……飴宮さんの前髪なんだよ」
「……その心は?」
シャツの袖で目元を拭いながら飴宮さんは小さく聞き返してくる。右眼を覆う長い前髪。昨日切ったばかりで新しい髪に慣れていないと言っていた。
「変化を受け入れるのには時間が必要ってこと。常に隣に誰かが居ることに今はまだ慣れてないだけで、決して飴宮さんが鬱陶しくなった訳じゃない。そもそも、罪悪感ひとつ感じずに平気で遅刻するような奴が、興味ない人間のためにこんなことするかよ」
「確かに、そうですね……私、パニックになって、周りが見えなくなってしまって、また孤羽くんに迷惑をかけてしまいました……」
落ち着きを取り戻した飴宮さんはふるふると頭を振る。だが、心が不安定だったのは、飴宮さんに限った話ではない。
「俺も……怖かったんだ。飴宮さんと仲良くなってぼっちじゃなくなることで、自分がどこにでも居る無個性な人間になって埋没していくのが……でも、もう迷わない。それが、飴宮さんと一緒に居ることの代償なら」
「孤羽くんは、ぼっちなだけの人じゃ、ありませんよ」
力強く飴宮さんはそう言う。確固たる自信を持った頼もしい声。ついさっきあんなことを言っておきながら、心のどこかでは失くした個性を飴宮さんが再び見つけてくれることを期待していた。
「孤羽くんは、ひねくれてて、ちょっと意地悪で、何に対しても無気力で、不真面目で無愛想で無表情で……」
「いや、面と向かってそんなに悪口言われたの、いくら俺でも初めてよ」
「……怖がりだったり甘党だったり、変なところで子供っぽくて、私のくだらない話も楽しそうに聞いてくれて、笑った顔可愛くて、優しくて格好良くて、何より、コミュ症こじらせて面倒くさいこんな私と、愛想を尽かさずに友達で居てくれました……こんな素敵な人、他に知りません」
「……」
「顔、真っ赤ですよ」
「う、うるせえ……面と向かってそんな恥ずいことよく言えるな……」
「ふふ」
飴宮さんにいたずらっぽく微笑まれる。でもまぁ、吹っ切れた気がする。ぼっちであることに縋らなくても、飴宮さんがそんな風に思ってくれているなら、俺はアイデンティティの呪縛から解放される。これからも何も気に病むことなく、変わらぬ日常を飴宮さんと過ごすことができるのだ。