第68話「シンデレラ」
「メイドやってくれない?」
コーヒーを注ぐ手を止めて、飴宮さんは戸惑ったように首を傾げた。
「……へ?」
「シフトの女子が全員実行委員で、急な仕事押しつけられたみたいで、今、店に私しかメイドいないの。戻ってくるまでのつなぎでいいから、お願い、できるかな……?」
「わ、私なんてそんな……似合わない、ですし、いても空気悪くするだけ、ですよ……」
「そんなことないよ! 絶対可愛いよ!」
「で、でも、私、知らない人と喋れない……」
「大丈夫、接客は執事たちにやらせるから! 労働力じゃなくて華やかさが欲しいの! なんならもう、孤羽くんと居るときみたいにニコニコしながら立ってるだけでいいから!」
「なっ、なんでそこで孤羽くんが出てくるんですか……」
飴宮さんは困惑気味に抗議した。コップに注いだコーヒーが容量オーバーしてドバドバと溢れだす。手にコーヒーがかかる感覚で我に帰った飴宮さんは「わたた……」と、その辺のタオルでコーヒーを拭き取る。でもそれ、小野のプリキュアハンドタオルなんだよな……。
「えいっ」
その隙に、餅月さんは自分のフリルカチューシャを外して無防備な飴宮さんに装着した。
「ちょ、ちょっと……」
「どう、孤羽くん? 似合ってる?」
そんなことを俺に尋ねてくる。
「え? ……あぁ、いんじゃね」
* * *
飴宮さんが抜けた分を補ってくれるだけでよかったのだが、たこ焼き屋が昼の恩返しにと全員で厨房を手伝ってくれているので暇ができた。
「……」
「……」
活気があって騒がしい廊下を狼月と一緒にそぞろ歩く。暇つぶしに校内を徘徊していたら、仕事をサボってふらついていた狼月に捕まったのだ。かっちりした執事服すら自分流に着崩していて、無造作な銀髪も相まって執事というよりホストに見える。
「飴宮さんのメイド姿を見るために厨房抜けてきたのか。しかしサボりとは感心しねーな」
「一緒にすんなよ。ちょっとした休憩。死ぬほど働かされたから羽休めてんだよ。……あと、べ、別に見にきてねーし……」
狼月の勝手な誤解を解くが、奴はにやにやと笑いやがる。
「素直じゃねーな。知ってんだぞ、お前が遠くから店の中チラ見してることくらい」
……い、いや別に、もうホントたまたま近くを通りがかったら偶然何回か視界に入ってきただけだから。
「そんなブラフには釣られねーよ」
ブラフにブラフで返すと、狼月は「フン……」と微笑して追及をやめた。やはり鎌をかけていたらしい。人の発言の裏を読むぼっちの能力がなければやられていた。表情ひとつ変えずに嘘吐く奴ほんと怖い。
「まぁとにかく1回見てみろよ。案外サマになってるからさ」
頭をかきながら狼月は言う。メイド姿を見てみたい気持ちも反面、ここで狼月の言うままに付いていくのもなんだか癪だ。狼月に会うまでは、遠巻きにメイド飴宮さんを観察しようとは思っていたが、他人に口出しされるとどうも天邪鬼になってしまう。
「いや別に。飴宮さんも俺なんかに見られたくないだろうし……」
心にもない台詞が口を突く。客観的に見て相当面倒くさくて嫌な奴だが、狼月はそんな俺の内心すら見透かしたように薄笑いを浮かべる。
「いいから。行くぞほら!」
狼月は、心のどこかで期待していた言葉をかけてきた。背中をぐいぐいと押され、喫茶店に連行される。
「……」
開放された入り口から、そーっと中の様子を伺う。全席満員。テイクアウトの客も居るが、安らぎとメイドを求めた客どもでテーブルは全席満員だった。と、飴宮さんの姿を発見する。やってきた客に挨拶しているところだった。
「い、いらっしゃいませ、ご主人さま……」
羞恥心で顔を真っ赤にしながら、飴宮さんは客の家族連れに固い笑みを浮かべた。それからぎこちなくお辞儀をする。
「おねーちゃんかわいー」
すると、連れの幼女が飴宮さんのエプロンを掴んでニコリと笑った。
「か、可愛い? あ、ありがとう……ふふ」
照れ笑いした飴宮さんは客をテーブルに案内する。知らない人と喋れないとか言ってたけど、上手くやれてるじゃないか。
「メイドさん、パンケーキってお持ち帰りできる?」
すると、客のひとりが飴宮さんを呼びかけた。飴宮さんはぴこんと反応してしどろもどろ客のもとに赴く。
「えっ、あっ、お持ち帰りは、お飲み物だけで……」
「注文いい? メイドさん」
「はっ、やっ、ただいま」
暇してる執事もいるのだが、別の客に呼ばれて注文を取りに行く飴宮さん。道中、大学生っぽいお姉さんたちに絡まれる。
「メイドさん、萌え萌えきゅんやってよー」
「うぅ……も……もえもえきゅん……」
「ぐはー! かわいー!」
「メイドちゃんしか勝たん〜!」
「はぁ、ど、どうも……」
恥ずかしがる姿やイジられてオロオロする姿が小動物みたいで可愛らしいようで、客にチヤホヤされていた。控えめな性格も、ご主人様に奉仕するというメイドの本来の性質にベストマッチしている。
「いやー飴宮さんパナいわ。No.1メイドだわ」
俺の隣で廊下から店内を覗く狼月。いやお前は店の人間なんだからさっさと入って仕事戻れ。
「なんだそのキャバクラみたいな言い方。指名されてんのかよ」
「ちょくちょくされてる。ま、本来はサービス外なんだがな」
「ハァ……職務怠慢だぞ。注意しろよ」
「誰がキャバクラのケツ持ちしてるヤクザだよ。そんな仕事してねえよ」
やんのかコラ、と冗談半分で凄まれるが、正直コイツの内面を知らない状態で恐喝されたら泣きながら土下座する自信がある。
「――!」
声が聞こえていたのか、飴宮さんは突然しゅばっ! とこちらを振り向いた。俺と眼が合い、顔が見る間に朱に染まる。
「な、なんでいるんですか……こっち見ないでください……」
飴宮さんは持っていた銀のお盆で顔を覆ってしまう。なんなのその天性のあざとさは。
「厨房よりこっちの方が適正高いんじゃないの」
「全然、ですよ……うぅ……もう帰りたい……」
「まぁそう言わずに。文化祭終了時刻まであと30分だし、どうせなら輝いてなよ」
そう言い、俺はメイド喫茶を後にした。
* * *
家庭科のスピーカーから、文化祭の終了を告げる放送が流れる。
「……」
文化祭が終わった。来年は受験があるから、俺の人生最後の文化祭が終わったことになる。
厨房の後片付けを終えて喫茶店に戻ると、内装の撤去作業が進んでいた。喫茶店風のテーブルクロスがなくなり、何の変哲もない勉強机が顔を出していた。壁紙や装飾品が剥がされ、ただの教室に戻りつつあるメイド喫茶。文句を垂れながらも頑張ってきた文化祭が、束の間の非日常が、魔法が解けたカボチャの馬車みたいに儚く崩れて形を失っていく。
「終わっちゃいましたね……」
非日常が消失していくさまを俺の隣で眺める飴宮さん。教室に戻る頃にはメイド服から文化祭Tシャツに着替えていた。
「あぁ……なんか、懐かしいな。準備してた頃が」
「理不尽に押しつけられた仕事、みんなで協力して、終わらせました、よね……」
「木藻尾が差し入れ買ってきてくれて、な」
「私……楽しかったです。去年までは、コミュ症でぼっちのこんな私が、文化祭なんてまともに楽しめるはずない、と思っていたけど、今年は孤羽くんと一緒で、楽しくて楽しくて……最高の思い出、です」
飴宮さんは語尾を震わせ、目頭を押さえた。
「おいおい」
「えへへ……これで終わりだと思うと、さみしく、て……」
飴宮さんは哀しげに微笑した。泣いている女の子を前にすると、柄にもない台詞ばかり浮かんでしまう。
「まぁ、なに……これから記念撮影あるし、せっかくなら笑って終わろうぜ」
「……意外、です。孤羽くんの口から、そんな言葉が出てくるとは」
「文句あるのかよ。俺だって、別に……全然楽しくなかったわけじゃねーし」
こっ恥ずかしいので思わずぶっきらぼうな口調になってしまう。俺も飴宮さんに文化祭をダルい作業から悪くない思い出に昇華させてもらったのだ。それを伝えたかった。
「写真撮るから集まってー!」
と、片付けがあらかた終わったようで、実行委員が集合をかけてきた。クラスの連中は友達同士で固まりながら黒板の前に集まる。
「行くか」
厨房班の面々が固まっている隅の方に紛れ込んだ。なんだかんだでコイツらと行動を共にするのも慣れたが、文化祭が終われば熱が冷めてこの繋がりもバラバラになってしまうのだろう。厨房でのつい数時間前の激闘が脳裏によぎり、少しだけセンチになった。
その感傷は、高校生活を無駄に空費する俺に「永遠なんてないんだよ」と忠告するようだった。早いものでもう2学期だ。飴宮さんが隣にいるこの日常すら永遠ではないのなら――なんて、柄にもないことばかり考えてしまうのはきっと飴宮さんのせいだ。