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第6話「告白」

 

 2限が終わった休み時間のこと。


 無性に喉が渇いた俺は、食堂前の自動販売機でレモンティーを買った。ぼっちには行動を共にする仲間がいないので、誰にも合わせずに自由気ままな休み時間を送ることができる。群れてる奴より気楽で快適だ。


 心地よい優越感に浸りながらその場でレモンティーを飲んでいると、自販機に客が来た。


「おっ。孤羽、奇遇だね」


 逸部は片手をあげる。ひとりで来たようだ。


「……けてたのか」


 もう放っておいてほしいので敵意を込めて呟くと、逸部は意味が分からないといったポカンとした表情をした。数秒して、ゴミを見るような目つきに変わる。


「は……? 何言ってんの? キモすぎ。孤羽くん、自意識過剰すぎてマジキモいぞ♡」


 寒気がしたのか、逸部は腕をさすって数歩後ろに退がり、仮面みたいな笑顔でウインクした。今までのが猫被りで、元々の性格はこんなんだとは思っていたものの、実際に目の当たりにしてちょっと傷ついてしまったぜ……。


「いや……キャラ豹変しすぎだろ。確かにこの場には俺しかいないけど――」


 そんな俺をお構いなしに、逸部は俺のレモンティーを見て「あっ」と声をあげた。


「孤羽もそのレモンティー好きなんだ」


「これか? まぁ」


「見てたらなんか飲みたくなってきたなー。一口ちょーだい」


 逸部は、女友達に言うように俺のレモンティーをねだる。チッ……間接キスを求めてくるとはあざとい奴め。中学の頃の俺なら間違いなく好きになってたぜ。


 童貞諸君に言っておくが、女は友達同士で食べ物のシェアをよくするので、男より間接キスに対する意識が薄い傾向にあるらしい(俺調べ)。つまり「間接キス=好意」の等式は成り立たない(だが「他の男とは間接キスするのに俺だけ間接キスしない=嫌悪」、これは成り立つ)(悲しい)。この知識で勘違い男がいなくなることを私は願っています。


 ……脳内でバカみたいな講義を繰り広げていないと、うっかり現実を見失ってしまいそうだ。


「やらねーよ……」


 間接キスに動揺してしまえば奴の思う壺。表情を変えずに言い捨てるが、逸部は俺のそんな内心を見透かしたような、いたずらっぽい笑みを浮かべる。


「減った分、あたしの飲ませてあげるよ」


「そういう問題じゃねえ」


 またしても思わせぶりな逸部を適当に突っぱねる。ふと思ったが、「逸部のレモンティー」と言うとなんだかとても卑猥な感じになるからこれ以上考えないようにしよう。何言ってんですかね俺は。


 やはり、この手の童貞をからかってくる小悪魔女は苦手だ。いろんな刺激に過剰反応して、こっちがどんなに隙のないふるまいをしても、逆にそんな必死な自分を笑われているように感じてしまう。手のひらの上で転がされている感じが嫌だ。


「孤羽ってガード固いね」


 逸部はそう言って折れたように微笑むと、自販機でミルクティーを買った。


「痛いのは嫌だから防御に全振りした結果がこれだ」


「あっそ」


「雑な反応……」


 この後、逸部のミルクティーを飲むかどうかでも一悶着あった。やれやれ……。




 * * *




「はぁ……」


 美術バッグ片手に、美術室から教室に帰る道中。ようやく6限が終わったというのに、俺はため息をついていた。


 当然、それは隣を歩く飴宮さんの耳にも届く。


「どうしたの、ですか? ようやく、授業、終わったのに、ため息なんて……わ、私と教室戻るのが、い……嫌、でしたか?」


「あなた本当にネガティブだね……いや、そうじゃなくて、今日はなんか疲れたなと。あの後もなんやかんやで逸部が一日中絡んできたし」


「あ……そうでした、か」


 照れ臭そうに頭をかき、飴宮さんはホッとした表情になる。


「――なになに〜、あたしがどうしたって?」


 噂をすれば影がさす。いきなり現れた逸部は俺の肩をポンと掴んだ。女友達にするような軽いボディタッチだが、全身の毛がぞわっと逆立ち、心臓が跳ね上がってしまう。


 いや、なに……俺みたいなピュア男子は、なにげないボディタッチで簡単に心が乱されるからさ、世の女性は軽率なボディタッチをやめていただきたい。もっとも、コイツはそれを理解した上で俺の反応を楽しんでいるんだろうけどさ。


「……ん? えーと……誰だっけ、シャーベットさん?」


「は? 逸部だし。名前間違えんなし」


 名前を間違われた逸部はムッとした顔をする。


「で、逸部さんが何の用だし? 用ないなら帰れよし」


 最近覚えた逸部語で返すと、開祖の逸部は「真似すんなし……」と言い、仕切り直すように俺に笑いかけた。


「いやー、別に? 孤羽って彼女とかいるのかなぁと思って」


 一気に距離を詰め、逸部は冗談めかして俺と腕を絡ませる。冗談なのは知っているし、動揺する俺を見て内心バカにしているのも分かっている。だが、制服越しに伝わる女の子の柔らかい腕の感触に、早鐘を打つ心臓は止まらない。ええい鬱陶しい。


 俺はそれを振り払い、逸部をジトっと睨めつける。


「新手の嫌味か? なんでそんなこと言わなきゃいけない」


「孤羽って最近飴宮さんと仲良いじゃん? だからこのふたり付き合ってるんじゃないかな、って――」


 ――どさり。


 何かが落ちる音が逸部の言葉を遮る。飴宮さんが美術バッグを落としたのだ。


「……」


 彼女の顔はまるで病人のように青ざめていた。俺と付き合っていると勘違いされたのがそんなにショックだったのか……。


「なに……どしたの?」


「ご、ごめんなさい……なんでもない、です」


 俺の問いかけに短く答えて、飴宮さんは廊下にしゃがみ込んだ。廊下に散らばったプリントや色鉛筆を拾い集め、美術バッグに詰めていく。その後ろ姿は、なぜかとても惨めに映った。


 バッグの中身をぶちまけられたいじめられっ子のように見えるから、と気づくのにそう時間はかからなかった。


 俺と付き合っていると勘違いされたのがそんなにショックだったのか……(2回目)と内心傷付いていると、飴宮さんは一礼して走り去ってしまった。


「……」


 遠ざかる背中を茫然と目で追った。なんか振られた気分だ。告白なんてしてないのに。


「あの子、どうかしたのかな……まぁいっか」


 そんななか、逸部は一人ヘラっと笑う。俺の中で何かが急速に冷めた。


「……」


 ……最初から分かっていた。逸部の発言が、飴宮さんにとっての地雷であることは。あんな前髪をするくらいだ。何かしらの闇を抱えていたっておかしくない。


 それを深く考えないように自分をごまかして、邪推と詮索の末に余計な真実に気付かないようにしていた。


 知らないことは知られたくないことだから、知らないままでいることは必ずしも悪いことではない。他人の闇をほじくり返すより、見て見ぬふりして過ごす方がお互いにとって都合が良い。


 人間関係なんてそんなもんでいい。下手に一歩立ち入って、そんなもんに余計な労力を費やすのは御免だ。


 今までそうやって生きてきた。これからもクールな自分でいたいから。




――これ以上、俺の心を乱さないでくれ。




「もう放っといてくれないか」


 ほんの脅しのつもりが、自分の予想以上に冷たい声が出た。俺の態度が今までと明らかに違ったからか、逸部はびくりと身体を震わせ、怯えたような視線を向ける。


「な、なんだよ……あんたが、あたしの告白断った最初の奴だから……ちょっとからかってやろうと思っただけ、なのに……」


 逸部は震えた声で告白する。目には見る間に涙がたまり、ついには頰に零れ落ちた。すん、と鼻を啜りながら逸部は目頭を押さえる。え、うそ、泣いた。いい年こいて女の子泣かせちゃった。


「い、いや……悪い、そんなつもりじゃ……いや、でも無関係の飴宮さんを巻き込むのは違うだろ……あーいや、そうはいっても、なんというかその……」


 しどろもどろの言葉に、挙動不審に動く両手。逸部の涙を見て、自分でも引くほど動揺していた。このいたたまれない罪悪感は、いつになっても慣れる気がしない。


「……ぷっ」


 ふと、逸部の口から笑い声が漏れる。


「……ん?」


「くくく……あははははっ! やっと面白い反応見れた! だっさ、なにキョドってんの⁉︎ あははははは!」


 さっきまでの泣き顔はどこへやら、逸部は腹を抱えて大笑いしていた。雨雲のように肥大していた罪悪感が見る間に消え失せる。


「お前なぁ……」


 怒りのあまり口の端がピクピクと痙攣する。こんなに笑われたのは朝以来だな。人をバカにしやがって。




 ――あははははっ! ダメだ、こういうシリアスな嘘無理だ!




 逸部の楽しそうな笑い声が脳内にフラッシュバックした。ちょっとイラッときたが、漠然とした違和感を覚える。


「逸部、お前……」


「なに?」


「……いや」


――お前、シリアスな嘘は無理なんじゃなかった?


「鼻水拭けよ」


 喉まで出かかった言葉を呑み込み、ポケットティッシュを差し出す。逸部は頰を紅潮させてティッシュを奪い取った。


「……バカ」


 こっちを軽く睨みながら鼻をかむ逸部を、俺は微笑を湛えて睨み返す。双葉とキャラが微妙に被るんだよな、コイツ。




 今になっても、あれが嘘泣きだったのかは結局知らない。知らないままで良い。なぜって、知らないことは知られたくないことだからな。


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