第66話「文化祭」
来たる文化祭当日。紙花や風船などでメイクアップされたビビッドカラーの教室。椅子は机とセットで喫茶店風にセッティングして、ご丁寧にテーブルクロスまでかかっている。壁に張りついているのは俺たちが担当した段ボール。昨日の放課後、レイアウト担当が残って頑張ったんだろう。作業場だった教室がそれっぽい感じに変身していた。
「……」
クソみたいなデザインをした文化祭Tシャツに袖を通した俺は、虚な目をして壁にもたれていた。他の奴らも壁にもたれたり、地べたに座りこんだ状態で、ミーティングの司会を務める実行委員をぐるりと囲んでいる。どいつもこいつも楽しそうだな、と青春っぽい風景を他人事みたいに少し遠くから俯瞰した。
どうせ「一生の思い出に残る最高の文化祭にしよう」とかクセェことしか喋ってないし、隣に立っている飴宮さんがそれらを熱心に聞いているから、まぁ聞き流して問題ないだろう。昨日シフト表を見たが、厨房班の俺たちは休みなしで一日中働かされることになっていた。一見華やかに見えるメイド喫茶は、裏で厨房班が人柱になることで成立しているらしい。こんなの聞いてなかった。訴えたら勝てるレベル。
「――じゃっ、ミーティング解散」
ボーっとしてたらミーティングが終わった。終わるなり慌ただしく教室から出ていく奴や、早くも仕事の準備を始める奴もいたりする。
「いよいよ、始まりましたね。ドキドキしますね、この非日常な雰囲気……!」
飴宮さんが期待と緊張のはらんだ声で話しかけてくる。これから起こる祭りごとが楽しみでたまらないのが、上ずった声色から伝わってくる。
「これから1日フルで働かされるってのに、何でそんなに眼ぇ輝かせてんだよ……」
「それだけ、文化祭に参加させてもらえる、ってことです。休み時間なんて、もらっても結局持て余すだけ、ですし」
「まぁそれは言えてるが、いやはや……」
「楽か面倒か、じゃなくて、その先に楽しいことがありそうかどうかで、行動する。私の人生哲学、です。なんちゃって」
「んっんー、名言だねぇ」
「もう、茶化さないでくださいよ……」
いつも通り喋っていると、後ろから「孤羽」と肩をつつかれた。逸部の声に、後ろを振り向く。
「お帰りなさいませ、ご主人様♡」
ふりふりフリルのメイド服に着替えていた逸部はそう言って、きゅるんっ! と満点スマイルを見せた。な、なんだよ急に。割と似合ってんじゃん……。
「……」
「な、なんか言ってよ! これ、こう見えて、け、結構恥ずいんだからね!」
今更羞恥心で顔を真っ赤にした逸部は、ご主人様である俺の肩をベシッと叩いた。俺なんかに言うくらいで恥ずかしがってどうすんだよ。君、本当にこの世界でやってけんの? 今なら引き返せるよ。厨房班入って仕事減らしてくんねえかな。
「逸部さん、意外と似合ってますね。可愛いです」
「でしょー、ふふ。飴宮ちゃんもメイドやるべ」
「わ、私はいいですよぅ。……恥ずかしい、です……」
「ええー、そお? もったいないなぁ。絶対似合うと思うけどなー。孤羽もメイドあーちゃん見たいよね?」
「まぁ、イエスかノーかって言われたら、イエスだけど……」
「こ、孤羽くんまで……あ、あんまり、からかわないで、くださいよ……」
メイド服姿の自分を想像したのか、飴宮さんは頰を赤くしてぶんぶんと首を振った。
* * *
他クラスの厨房班も入り乱れ、慌ただしい家庭科室。
「コーヒー4つミルクティー2つ、オレンジジュース1つ」
オーダーを読み上げ係の小野の声が響く。店からオーダーされた注文を、山のように積まれている使い捨てのプラコップに注いで店側の運び屋に渡す。厨房班の役目はそんなところだ。
「……」
俺はというと、流れてくるコップに氷を詰めて横に流す作業を延々と繰り返していた。干渉し合わずに個々の作業だけに集中する流れ作業。気分はひたすら同じ作業を繰り返す工場のアームロボットだ。少しロボットと違うところがあるとすれば、氷に触れすぎたせいで指の感覚が麻痺してしまっていることくらい。ブラックすぎる。
厨房を担当したい、というよりは接客が嫌だからここにいるやつが大半なので、厨房班のメンツは文化祭準備で一緒になったやつらとほぼ変わらなかった。ほぼ、というのは、エロゲマスター山根だけは厨房班の労働環境を事前に知っていたのか、受付を担当してさっさとフケていやがったのだ。きっと去年経験して痛い目を見たんだろう。
「……あと追加で、例のやつ1つ」
小野が言うと、ぼーっと椅子に座っていた水戸部が立ち上がった。キュッと三角巾を締め直す。
「……」
慣れた手つきで、水戸部はあっという間にパンケーキを焼き上げた。甘くて香ばしい香りが、立ちっぱなしで疲れた身体につかの間の安らぎを与える。しかし水戸部にこんな能力があったとはな。
「……」
この繰り返しでどれだけ時間が経ったか。それを考えることすらやめていた。
「いつまで続くんだよこれ……」
思わずぼやくと、隣のコーヒーを注ぐ担当の飴宮さんがちらっと前の時計を見た。
「もう午後ですし、ピークは越えたんじゃないですか」
言われて時計を見ると、時刻は午後1時をとうに過ぎていた。驚いたことに、腹は全く減っていない。この状況を鑑みて昼食を摂ることを諦めた満腹中枢が、空腹すら麻痺させているらしい。普段ならこの時間まで飯抜きとか考えられない。
「だといいな」
あんまり期待しないようにしたが、飴宮さんの言う通りオーダーの数はどんどん減っていった。
暇ができたので家庭科室の入り口から外の様子をぼんやり眺めていると、メイド服姿の餅月さんが家庭科室に入ってきた。俺たちの方に向かってくる。
「しばらくはお客さん来なさそう。みんな、ありがとう! ひとまずお疲れさま!」
餅月さんが店の状況を報告しに来たのだ。しかし、餅月さんメイド服やたら似合うな……。
「オッフ……餅月氏のメイドコス……尊みが深すぎて死ぬ……」
木藻尾がものすごい小声で何やらほざいていた。よく見ると、木藻尾に限らずみんな餅月さんのメイド姿を見て挙動不審になっていた。
「さて、私は店戻るけど、みんなはちゃんと休んで、ご飯食べてね。じゃ!」
餅月さんはそう言い残してパタパタと去っていった。向こうも向こうで色々大変なんだろう。心の中で敬礼しつつ、忙しなく揺れるポニーテールを見送る。
「……」
餅月さんの労いの言葉で一気に緊張感が消えた。誰からもなく、そこら辺から椅子を引っ張り昼食の用意をしていた。俺もコンビニ袋からスティックパンとコーヒー牛乳を取り出す。
「足りるんですか? それだけで?」
指がかじかんでコーヒー牛乳のストローが取れずにイラついていると、飴宮さんが話しかけてきた。物置きと化したそこら辺の机の上にいつもの弁当箱を広げている。
「意外と燃費良いんだよ、こう見えて」
「ふぅん。お弁当、分けてあげようと思ったけど、必要ないみたい、ですね」
「ま、残念ながら」
「……」
飴宮さんは少し残念そうに弁当に箸を付けた。それを横目に俺はパックにストローを刺す。
すると、会話が途切れたのを見計らったように、よそのクラスの厨房班の女子が飴宮さんに向かって駆けてきた。
「飴宮せんぱーい!」
「あっ、西澤さん。こんにちは」
西澤さんと呼ばれた元気の良さそうな女子に、飴宮さんはにこやかに挨拶する。飴宮さんを先輩と言ったから、図書委員の知り合いかなんかだろう。
「これ、うちのクラスで作ってるやつなんスけど、よければどうぞ!」
そう言って、たこ焼きのパックを差し出した。俺たちの人数分の竹串とたこ焼きが入っている。
「あらあら。あ、ありがとう、ね。よければ、なにか飲んでいって」
「えへへ、どうも」
西澤さんと呼ばれた元気娘は、空コップにミルクティーを注ぎ、一礼して去っていった。
「慕われてるな」
「はい。とてもいい子、です。私なんかを、先輩、だなんて……ふふ」
たこ焼きを眺めながら飴宮さんは柔らかい笑みを浮かべる。中学時代は部活を1年でやめたらしいから、後輩というある意味異質な存在が自分を受け入れてくれているのが居心地が良いんだろう。
「さて、人数分あるようですし、み、みんなで、頂きましょうか」
飴宮さんが言うと、厨房班のメンバーたちが椅子をずるずる引いて集まってきた。次々と竹串を手に取り、たこ焼きを食らっていく。
「ほふっ、美味いでござる」
「タコいっぱい入ってた。やりますねぇ!」
「語録誤用キッズはROMってろハゲ。つーかワイのタコが入ってないやん! どうすんのこれ」
「熱っつァ!」
「……」
口々に好き勝手な感想を言い合う面々。ちなみにシャウトしたのは小野。キツい仕事を共に勤め上げたことで仲間意識が芽生えたらしく、寄せ集めだったグループが和気あいあいと飯を食っている。
俺もたこ焼きを食べた。外は焦げ付き中は半生、口いっぱいの紅生姜。文化祭だから許されるクオリティだが、こうして食べると雰囲気も相まって不思議と美味く感じた。
みんなでまったりしていると、小野のスマホからLINEの着信音が鳴った。
「……コーヒー5つ、ミルクティー4つ、パンケーキ2つ」
店から依頼された注文を読み上げる。一気に頭が仕事モードに切り替わる。
「やりますか」