第65話「戦友」
食堂から教室に戻ると、作業場には誰もいなかった。床を汚さないように敷いた新聞紙の上に、主人を失ったローラーや乾いた筆が転がっている。
「バックれたか」
「いや……き、きっと、お昼食べてるんですよ。さ、やりましょ」
飴宮さんに言われて持ち場につく。グループといっても仕事をするために集められただけなので、メンバー間の人間関係は希薄だ。休憩のタイミングもバラバラだし、今どこで誰が何をしているかなんて全く知らない。連絡先なんてもってのほか。
まだそこそこ残っている段ボールの山に手を伸ばす。隣に見慣れない山があった。
「あれ、なんか仕事増えてない?」
「こ、これ、別のグループの担当、です……餅月さんからの連絡はないから、どうも、押しつけられたみたい、ですね……」
飴宮さんは困り顔で苦笑した。外れ者どもの寄せ集めグループだ。仕事を押しつけても泣き寝入りで引き受けるとナメられているんだろう。
と、飴宮さんは新たな段ボールの山から上の一枚を取った。
「放っとけよ。実行委員に怒られるのはそいつらなんだから」
「でも、その……餅月さんから、ちらっと聞いたんですけど、予定より作業ペースが遅れ気味、だって……やるしかない、じゃないですか……」
「一回受け入れたら何度でも押しつけられるぞ」
「それでも、構いません。私は、文化祭を成功させたい、ので……この仕事は、私ひとりで全部片付けます」
飴宮さんはそう決意して、チューブから絵の具をひり出した。本気でやる気だ。
「やれやれ、お人好しなリーダーだこと」
飴宮さんの熱量に折れた俺は、軽くため息を吐いて新しい山から一枚取った。とはいえ、だ。俺たちが何を決意しようと、人手不足が解消するわけではない。たったふたりでこの量、仕上げらんねえよ。もし他の奴らが本当に全員バックれてたら、最終下校時刻まで残業確定だな。
「ごめんなさい……私がもっと、ちゃんとしてれば……」
段ボールに色を塗りながら、飴宮さんは謝ってきた。形だけとはいえリーダーの名に必要以上に責任を感じているらしい。押し付けられた仕事を独りで片付けると言ったのも、不甲斐ない自分に対する戒めのように思えてくる。
「別に飴宮さんのせいじゃねえよ……」
筆先に目を向けたまま、吐き捨てるように言った。俺だって去年は文化祭準備は午後はバックれた身だ。気持ちは分かるし、そいつらをどうこう言える立場ではない。
「――おっ、リーダー! お疲れさまっス」
「……」
「やれやれ、やっと解放されたよ。肉体労働なんてその辺のゴリラにやらせとけばいいのに……」
すると、エロゲマスター山根と、喋らない男水戸部、プリキュア信者の小野が戻ってきた。ろくなやつがいないが、この3人がバックれていなかったというだけでもちょっと嬉しい。
俺がずっと見ていたからか、山根は両手を広げて不在の理由を説明し始めた。
「いやー空き教室に机移動させる仕事押しつけられてさ、もう腕と腰やばいわ。しばらく筋肉痛でエロゲに支障が出ちゃうよ。出ちゃう出ちゃうもう出ちゃうぅ」
「うるせえよ」
この下ネタ野郎、嬉しいと思ったらすぐこれだ。
「……」
水戸部が、増えた段ボールの山をじっと見ていた。説明を求めるように俺に視線を移す。
「あぁ、コレ……仕事増えた」
「ご、ごごごご、ごめん、なさい……お、おっ押し付け、られた、みたい……で……」
俺の影に隠れた飴宮さんが説明すると、ハァ……と、小野が面倒くさそうにため息を吐いた。
「さっさと終わらせよう。私事で恐縮だが、今日は夜7時からフレッシュプリキュアの再放送なんだ」
小野はカチャリと眼鏡を押し上げる。
「この僕が本気を出すときが来たようだね……チェインジ・プリキュア! ビートアップ!」
「イエローハートは祈りのしるし! とれたてフレッシュ! キュアパイン!」
「山根君、キュアパインは僕の役だッ!」
うっとおしいやり取りも、大量の仕事を押しつけられた今となっては、沈んだ気分が和んで心地良い。向こうで作業中の女子グループが刺すような白い目を向けてくるが、それすらも気にならない。
「ハハ……」
なんか物足りないな……と思ったら、木藻尾と愉快な仲間たちの姿がなかった。いつぞやの卓球で励ましてもらったことがある。知らない仲ではないから、なんだか裏切られたような気がした。でも俺にはそれを非難する資格なんてないよな……。
再び沈みかけた気分に目を伏せると、教室のドアがガラリと開く音がした。
「木藻尾降臨! 差し入れ買ってきたでござる!」
「アイスティーしかなかったけどいいかな?」
「それ俺が言いたかったんだけど。810年ROMって、どうぞ」
寒い内輪ノリの会話をしながら木藻尾たちが現れた。両手に持っている半透明のレジ袋からは、結露で濡れた午後ティーのペットボトル人数分と、菓子パンのパッケージが透けて見えた。近くのスーパーで昼食の買い出しに行っていたらしい。
「悪いな」
レモンティー微糖を受け取りながら軽く礼を言うと、木藻尾はニヤリと口元を歪ませた。
「デュフ、勘違いするな。文化祭を利用して、仲間のために差し入れを買ってくる優しい男を演じて餅月氏の気を引くためだ」
「餅月さんなら今教室居ないけどな」
「ファッ⁉︎ え、う、嘘……」
「さて、仕事だ仕事。ボヤっとしてんなよ」
ショックを受けている木藻尾に構うことなく持ち場に追いやる。レモンティーをひと口飲むと、酸味と甘味で脳がキリッとした。
「……っし、やるか」
気合を入れた俺は、作業場の面々をぐるりと見回した。プリキュア談義に花を咲かせる小野と山根。黙々と作業をこなす仕事人水戸部。木藻尾たちは深夜アニメの話で持ちきり。みんな向いている方向は別々だが、さっさとこの仕事を終わらせるというたったひとつの目的を共有してこの場に集いし戦友たちの姿は頼もしく映った。
「ふふ、やたらご機嫌、ですね。みんなが集まったのが、そんなに嬉しい、ですか?」
飴宮さんがからかうように言ってきた。
「はっ、冗談よせよ。どっかのお人好しが大量に抱え込んだ仕事を定時までに片付けられる可能性が浮上したからに決まってんだろ」
「うっ……」
少し意地の悪い物言いをすると、飴宮さんは黙りこくってしまった。いかんな、想像以上に効いてしまっている。
「いや、ま……こういうのも、たまには悪くない、かもな」
そう言って肯定すると、飴宮さんは小さく苦笑した。
「素直じゃない、ですね」
ちなみに、仕事はなんとか定時前に仕上げることに成功した。が、そのせいで有能扱いされてしまい、新しい仕事を割り振られて結局少し残業してしまった。俺たちの優秀さが憎い。




