第64話「-1」
文化祭を2日後に控えた準備日。うちのクラスが催す喫茶店は食品部門なので、自分の教室ではなく家庭科室から近い空き教室を借りて店を構えることになった。
丁寧に拭かれて新品同然の黒板。机も教卓もゴミ箱も撤去され、ゴミと段ボールが散乱するだだっ広い床。座り込んで看板の絵を描いているのは、ついさっき意外な才能を開花させたやつ。こめかみに手を当てた実行委員はスマホで買い出し組と電話している。
「……」
床に座り、変わり果てた教室をぼさっと眺める俺。
少しピリピリしているが、どことなく浮ついた空気。気の合う友達同士で談笑しながら作業するさまは、まさに安い青春ドラマのひとコマのようだった。誰もが、自分を主人公にしたドラマの役を演じていた。
「……手、止まってます、よ」
俺の隣で正座して作業している飴宮さんが話しかけてきた。10人弱の非リア界の住人たちで教室の片隅に陣取り、山積みの段ボールにローラーで絵の具を塗っていく作業中だった。去年の文化祭準備では、ぼっちの俺に仕事を頼むやつがいなかったから居場所の無さからくる疎外感を味わったが、今年はそういう外れ者達をひとつのグループにまとめて、時間がかかる仕事を処理させている。餅月さんが裏で糸を引いている気がしてならない。
「やれやれ……さすが、チームリーダーさんだ」
「や、やめてくださいよ……私なんか、そんな器じゃない、のに……」
飴宮さんは外れ者どもを束ねるリーダー役になっていた。まぁリーダーといっても大層なものではなく、中心役の餅月さんから仕事の依頼を受け、その旨をチームに伝達(……は、やりたくないらしいので飴宮さんの伝言を俺が伝達している。俺偉い)、適宜進捗状況を報告し、もし疑問点があれば代表して訊きに行くというだけ。リーダーを任されたのは、まぁこの中では唯一の常識人キャラで餅月さんと仲が良いからだろう。木藻尾にやらせたら何の報告もできずに1日終わる。
「主体性がない俺たちにとっては、形だけでもリーダーがいるのはありがたいもんだよ……」
俺はそう言って飴宮さんを労い、ローラーで段ボールを白く染める。ミスのしようがない単純作業は気が楽で良い。
「そんなもの、でしょうか……」
「――その通り。頼りにしてるぜリーダー」
すると、俺の隣で作業していたやつが会話に入ってきた。飴宮さんはそいつをちらっと見て、え、誰あれ……? みたいな視線を俺に向けてくる。そういう反応やめてあげてよ……山根くんが傷つくだろ。
「こほん、申し遅れた、僕はエロゲマスター山根。よろしく!」
伸び放題の肩にかかる長髪をなびかせ、山根は爽やかに笑った。サムズアップした親指が絵の具で白く汚れていて汚い。
「いや……爽やかな笑みを浮かべながら女子に向かってする自己紹介じゃねえよ」
「……3次元の女には興味がない」
ボソリと呟く山根の目からは光が消えていた。これには飴宮さんも「は、はは……」と苦笑い。文化祭準備は、普段絡まないやつとも期間限定で接点が持てたりする。だがこいつとはあんまり繋がりたくなかった。深く関わっちゃいけない匂いがする。
エロゲマスター山根は見なかったことにして、黙々と作業を続ける。ひたすら心を無にして作業に打ち込むと、中2の修学旅行で座禅組まされたのを思い出す……あれ、中3だったっけ……別にどうでもいいわ。
「なんだか、文化祭みたい、ですね」
飴宮さんがふざけたことをぬかしやがる。
「何言ってんだよ。まさに文化祭だよ。単純作業の連続でおかしくなっちゃったのか?」
「非日常的な教室で、皆で協力して、大きなものを創り出す……自分には似合わない、と思っていながら、心のどこかで、ずっと憧れてました」
段ボールに絵の具を塗りながら、飴宮さんは微笑んだ。相変わらずその気持ちは理解できないが、柔らかく微笑んだ横顔を歪める気にもならなかった。
「憧れてたのか」
「こういう、ベタな青春っぽいの、中学生の頃の分まで、経験したいな、と……ごめんなさい、湿っぽいですかね」
「いや……いいんじゃないの。そういうの」
何が良いのか聞かれても困るが、そう肯定しておいた。俺が文化祭を嫌いなのは依然変わらないが、文化祭を楽しみにしている飴宮さんの気持ちも分かってしまった。これはきっと歩み寄りの肯定。
ふと、飴宮さんが正座の状態からしゃがんで作業しているのに気づいた。あのな飴宮さん、この世にはしゃがみパンチラという言葉があってだな……。
「……はしたないよ」
とは言えない紳士な俺は、どこまで真意を読み取ってくれるか分からないがとりあえずそう注意した。
「え、ああ……いえ別に、スパッツ穿いてきてるので……」
俺の言葉で大体察した飴宮さんは、正座に戻りながらぼやいた。スパッツ穿いてるから見えても良いよねじゃないんだよそういう無防備な態度がアウトなんだよ!
「全然大丈夫じゃないから……」
「?」
「いや……ダメなんだって」
「??」
「いやいや……」
「まぁ2次元に限るけど、スパッツ穿いてガードが甘くなってる女の子って最高に……ふふ」
「スパッツの魅力を理解しているとは孤羽氏もなかなかでござるな……デュフ」
「ちょっ、お前らマジ黙っててくんない⁉︎」
気色悪い笑みを浮かべる山根と木藻尾を一喝した。ふと時計を見ると、早いもので既に12時半を過ぎていた。
「もう昼か」
「ですね。ひと段落したらお昼ごはんにしましょうか」