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第53話「ラーメン」

 

 今日から夏休みである。


「……」


 俺は、欠伸をしながら教室を後にした。重ねて言おう。今日から、夏休みである。まぁ種明かしすると学校の夏季講習が終わったとこ。講習は午前で終わりだが、学校に通うという呪縛から抜け出せないため休みの実感はあまりない。


 夏休みの学校は、生徒数が少なく、生徒も先生もどことなく浮ついたゆるい空気感がする。俺はその空気がわりと嫌いではない。


 家に帰っても昼食が待っているわけでもないし、駅前のラーメン屋でも行くか。暑くてダルいから冷やしつけ麺でも食べてスッキリしよう。


 廊下を歩きながら昼の予定を立てていると、図書室の看板が眼に入ってきた。受験生のために解放しているんだろう。俺にはしばらく縁がない部屋だ。昇降口はその先にあるので素通りしようとしたら、図書室のドアがからりと開いた。そこから出てきたひとりの女子生徒と眼が合う。


「……!」


 着用規定をきっちり守ったスカート。腕まくりした長袖シャツに白ベスト。白いバンドの腕時計を巻いた左手首。落ち着いたポニーテールに右眼を覆う長い前髪。


 図書室から出てきたのは飴宮さんだった。


「や」


 思いもよらない再会に鞄を抱いたまま硬直している飴宮さんに、俺は軽く片手を上げた。我に帰った飴宮さんは、夏に咲く向日葵のような満面の笑みを浮かべる。


「お久しぶりです!」


「大げさだな。昨日学校で会っただろ」


「あれ、そうでしたっけ……夏季講習、でしたか? お疲れさまです」


「まぁ、数学の模試演習。そっちは図書委員の当番かなんか? お互い大変だねぇ」


「どうも。とは言っても、クーラーの効いた部屋でぼーっと読書するだけの、お気楽なものですよ」


 飴宮さんと駄弁りながら校門を通過した。自然と、一緒に帰る流れになっていた。


「いやはや、今日から夏休みっすよ、飴宮さん。何か予定とかある?」


「暇なので、週1で読書感想文でも、書こうかなと……まぁ、こういう予定って、大抵上手くいかないですけど」


「まだ一ヶ月ある、まだ一週間ある、って先延ばしにしてダラダラ過ごして結局何もせず終わるんだよなぁ……まぁ、『浪費するのを楽しんだ時間は浪費された時間ではない』。楽しければ、ダラダラ過ごそうが充実した夏休みなんだよ」


「勇気を貰える名言です……ところで、孤羽くんは何か予定は?」


「別に。これからラーメン屋で昼飯食うこと以外全くノープラン」


 すると、飴宮さんの鞄から電話の着信音が鳴った。飴宮さんは「失礼……」と一言入れてスマホを耳に当てた。


「もしもし……お母さん? 連絡はLINEかメールにしてって何度も……ちょっ、人の話を……えっ? ……そうなの? えぇ……いやいいよ。じゃあね」


 飴宮さんは通話を切って「はぁ……」とため息を吐いた。


「……なんて?」


「お母さん、友達とランチ行ってるから、昼食は自分で用意しろ、って」




 * * *




 くだんのラーメン屋に飴宮さんも一緒に行くことになった。2人席の向かいに座った飴宮さんは、待ち遠しそうに店内をそわそわと見回した。


「一回、来てみたかったんですよね、ここ。ひとりで入るにはハードルが高かったので、今日は孤羽くんに会えてラッキーでした」


 ロック系の店内BGM、客の話し声や厨房の何かを炒める音で賑やかな店内。スープとニンニクと油の混ざった、ラーメン屋特有の腹が減ってくる匂い。クーラーが効いてひんやりしているが、熱いラーメンを食べるうちに汗が吹き出てしまいそうな予感がする。だから私は冷やしつけ麺。


「ヘイお待ち、汁なし坦々麺。冷やしつけ麺柚胡椒風味はこっちの子かな」


 黒Tシャツに前掛け姿の、恰幅の良いオッさん店員が注文を持ってきた。


「どうも」


 俺と飴宮さんの注文逆だけど。


「まぁ、こんな大人しめの女子が汁なし坦々麺食うって、イメージしづらいだろうからな……」


 俺は丼を交換しながらオッさんのフォローをする。


「ですよね……私、この店の中で明らかに浮いてますし」


 飴宮さんはいただきます、と汁なし坦々麺に両手を合わせた。麺の上には赤黒い豚ひき肉と薬味の細切りネギやらが乗っかっている。ごま油と唐辛子、山椒、各種スパイスが混ざった刺激的な匂い。辛いのが苦手な俺からすれば、匂いだけで喉が痛くなってくる。


 そんな毒物みたいな代物を、飴宮さんはぱくりと食べた。


「んふっ」


 思わず歓喜の声が漏れている。


「えぇ……」


 飴宮さん……辛さの暴力みたいな見た目と匂いの坦々麺を、まるでお中元のそうめんか何かのように軽々と啜ってやがる……。辛いのも熱いのも避けて冷やしつけ麺食ってる自分が女々しくて辛いよ。


「……ひ、引いてます、か?」


「いや……美味いの? それ」


「美味しいですよ。でも、やっぱり辛いですね。全身から汗が……」


 飴宮さんはおしぼりで口と鼻先を拭い、ベストに手をかけするりと脱いだ。長い前髪から滴る汗がいやに艶かしい。


 ……てか、汗でシャツがくっついて下着がうっすら透けて見えるんだよ。何なのもう。普段ベスト着てるからって無防備なんだよ。向かいに座ってる俺はどこ見れば良いんだよ。延々とつけ麺相手ににらめっこしちゃうよ。


「……あれ、孤羽くん。餃子、頼まなかったんですか?」


「ん? まぁ、別にって感じ」


「食べたくなりません? 餃子」


「別に……ああ、ひょっとしてアレか。俺に注文させて、何個か分けてもらおうとしてるのか?」


「あはは……バレました? せっかく来たんだから、ひとつ味見できたらいいな、と……あんまり、たくさんは食べられないし、次に、こんな機会がいつ来るかも……」


「いや、そんなことなら、別に……誘ってくれればどこにでも行くよ。まぁ毎日外出する気にはなれんが、たまにのお誘いなら喜んで」


「ほんと、ですか? 私、そういうの間に受けますよ」


「社交辞令でも言わないよ、自分の時間が減るリスクのある台詞なんて」


 飴宮さんだから言ってんだよ、と思ったが口には出さなかった。


「では……いずれ、愛想を尽かされない程度に、連れ回します」


「連れ回しちゃうのかよ」


 俺がツッコみ、ふたり同時に吹き出した。この後、激辛麻婆豆腐巡りに付き合わされたり、路地裏の怪しげなインドカレー屋を開拓しに行く羽目になるのはまた別の話。


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