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第47話「解」

 

「軽い熱中症だね。まぁ大丈夫だと思うけど、次の授業は休んでベッドで安静にしてなさい。まったく、こんなに暑いのにジャージなんか着てテニスするからだよ。ホント最近の子は何考えてんだか」


 回転椅子に座った保健室のおばさん先生が言うと、飴宮さんはカクンと俯いた。静かで涼しい室内。微かに漂う消毒液の匂い。冷房の稼働音。


「それじゃ、君は授業戻りなさい。この子に付き添ってくれてありがとうね」


 先生は俺に視線を移し、軽く微笑みかけた。出会うのがあと30年早かったら今ので惚れてたかも知れない。危ないところだった。


「じゃ……英語の先生には俺から説明しとくよ。お大事に」


 俺は飴宮さんに軽く手を振り、保健室を後にした。




 * * *




 自販機で買った250mlボトルのポカリを手土産に、俺は再び保健室を訪れた。中に入ったが、先生は出払っているらしく部屋の中に人気はない。俺は部屋の奥のベッドに視線を向けた。


「……」


 体育着姿の飴宮さんは、ベッドに座ってぼうっと窓から外の景色を眺めていた。ジャージは脱いでいて枕元に畳んであった。軽い熱中症で休んでいるだけなのに、木漏れ日を浴びる飴宮さんの横顔は、不治の病にかかって死を待つ映画の主人公か何かのようで、飴細工のように繊細で儚い横顔に、俺は思わず動きを止めて息を呑んでしまう。


「……」


 俺はそっと飴宮さんに近づいた。外を眺めてこっちを見ていない飴宮さんも、近づいてくる足音を聞いて俺の方を向く。疲れているのか、ぼうっとした眼だ。ちょうど眼が合ったので、俺は挨拶代わりに軽く片手を上げた。


「よ」


「……授業抜けて、こんなところまでサボりに来たんですか?」


「まぁそう言わずに。ポカリいる?」


 ペットボトルを差し出すと、飴宮さんはぼうっとした眼のままニコリと笑った。


「いいんですか? ありがとう、ございます」


 俺のポカリに飴宮さんは無邪気に手を伸ばす。半袖の体操着から伸びる、小ぶりで色白な腕。華奢な曲線美は手首にかけて細くくびれて――


「あ……」


 左手首に、猫に引っかかれたような、白くて細い傷跡が数本入っていた。それが何を意味するか、それすら分からないほど俺は無知じゃない。




「――!」




 視線に気付いた飴宮さんはポカリも忘れて、ものすごい速さで手を引く。左手を庇うように右手で押さえて、胸に抱いた。


「ひ……ひ、引きました、よね、今」


「別に、なにも」


「いいですよ、無理しなくて。私だって、引きますよ……リスカしてる女なんて。あーあ……孤羽くんにだけは、バレないように頑張ったのにな……」


 飴宮さんは弱々しく笑った。軽い調子の言葉とは裏腹に、両肩がかくりと落ちていて、本気で残念がっていた。この暑さにもかかわらず長袖のジャージを着ていたのは、俺に()()を見せないためだったのか、と気づいた。


「おいおい……そんなもんでショック受けるような繊細に見えるか? 俺が?」


 おどけて肩をすくめてみせるが、飴宮さんの表情は晴れなかった。


「だって……嫌い、なんですよね、『都市伝説』。親しみ深かったキャラクターの思わぬ闇を目の当たりにして、イメージが一気に瓦解するから。私の闇なんて知ったら……孤羽くんは私のこと……」


「別に怖がりも幻滅もしないよ。悪いけど飴宮さんが訳ありなのはとっくの昔から気づいてるから、『思わぬ闇』なんかでもないし」


 すると、飴宮さんは顔を上げて、真剣な眼差しで俺をじっと見つめてきた。俺の言葉の真偽を見定めているのだろうか。こんなに警戒されたのは初めてだ。


「それよりさ……俺なんかのために無理するのは、これきりにしてくれないか。今回はたまたま俺が見つけたからよかったけど、もしあの状態で誰にも気づかれずに閉じ込められてたら……」


 声のトーンを落として言うと、飴宮さんは体操着の裾を両手でぎゅっと握った。それから、意を決したような表情を見せる。


「なら……聞いて、くれますか? 私の、都市伝説むかしばなし


 禁じられた扉が、ひらかれる。




 * * *




「私……こう見えて、小学生の頃は明るくて、賑やかな方だったんですよ」


 ぽつりと、飴宮さんはそんな前置きで口火を切った。飴宮さんも俺も横並びで、長椅子のようにベッドに腰かけている。近くにはいるが、よほど意識しない限り眼も合わせられない。飴宮さんもこの配置の方がやりやすいのだろう。


「中学で一緒になった仲のいい友達数人と、女子テニス部に入部しました。練習はキツいけど楽しくて、面白い友達や優しい先輩に恵まれて、そこそこ充実した日々を送っていました」


 そのときの楽しい記憶を思い出したのか、飴宮さんは昔を懐かしむように遠くを見つめ、目を細めた。


「そんなみんなが夢中になっていたのが、テニスが上手くてかっこいい、男子テニス部の部長さんで、みんなで『王子』と呼んでひそかに崇めてたんです。でも……その人が、なんというか、私に一目惚れしたらしくて、ですね」


「……」


「向こうの方も、自分が『王子』なんて呼ばれて崇められているのを知ってるので、急に告白してきたんです。タイプじゃないので断っちゃいましたけど」


 ふふ、と飴宮さんは冗談めかして笑った。俺は、その後の展開が予想出来てしまってとても笑えない。


「でも、先輩たちは、みんなの王子様が、新入りの私なんかを気に入って、しかも告白を断って、王子様に恥をかかせたことが、許せないらしくて。優しかった先輩たちが、嫌がらせをしてきたんです。最初は無視とか軽い感じでしたけど、段々エスカレートしてきて、ついには部のみんなで私をいじめるようになりました」


「色々されました。ひどいこと言われたり、ボールをぶつけられたり、シューズがゴミ箱に捨てられてたり、お弁当にシーブリーズかけられたこともありました。……一緒に入部した友達が首謀者だったのは、後で知りました」


 飴宮さんは手を胸の前で組んで、フラッシュバックした恐怖に耐えるように身を固くした。奴らには、王子をフッて恥をかかせた()()を懲らしめるという大義名分があるから、それはそれは容赦なかっただろう。それこそ、ひとりの人間の人格を180度変えてしまうほどに。


「そのとき悟ったんです。恋愛は、昔からの友達にさえ、牙を向けさせる。人を狂わせる、と。それ以来、その手の話がトラウマでして……いつぞやは、ご迷惑をおかけしました」


 飴宮さんは俺の方に向き直り、ぺこりと頭を下げた。パラレルワールド・ラブストーリーの表紙が脳裏をよぎる。辛い記憶を呼び起こしてしまったのだろう。


「部活はやめて、学校にも行けなくなって、しばしばゲーセンに入り浸ってました。ゲームに集中しているときだけは、どんな嫌なことも忘れられました。けど、ふと我に返って、ラケットとか服とか買ってもらっておいてすぐに部活やめて、ろくに勉強もせずにゲームばかりして、両親に心配かけて、自分はなんて最低なんだ、と自己嫌悪に陥りもしました。……この傷は、その時の名残りです。深くまでやっちゃったし、多分……死ぬまで消えない、です」


 飴宮さんは綺麗な右手で左手首をさすった。真面目な彼女のことだ。自分を過度に追い詰めて、そのストレスに耐えられなかったのだろう。その結果、自傷行為に走った。


 その傷が一生残るとどこかで知ったとき、彼女はどんな気持ちだっただろうか。自分の心と体に一生消えない傷を付けたテニス部に対する怒りか、気が狂いそうな後悔の渦か、はたまた底なしの絶望か。俺では心中を察することすらおこがましい。


「保健室登校して、遅れを取り戻すために必死で受験勉強して、なんとか、同じ中学の子がひとりもいないこの高校に入学しました。昔みたいに明るいキャラで高校デビューしようと思いましたが……環境が変わっても、一度歪んだ人間は、そう簡単に変われませんね」


 飴宮さんは、ふふ……と自虐的に笑い、頭をぐしゃぐしゃとかいた。


「でも、孤羽くんは、コミュ症で面倒くさいこんな私を、差別も同情もなくひとりの人間として受け入れてくれて、仲良くしてくれて、いろんなこと話して、ときには、迷惑もかけちゃいましたが……感謝しています。孤羽くんが、初めてですよ。こんなに、昔のことを誰かに話したのは」


「おかげで、胸がすっきりしました」


 俺の顔を見て、飴宮さんはニコリと微笑む。長い前髪で隠された右眼から涙が伝い、陽光を浴びてキラリと輝いた。


 飴宮さんはずっと探していたのだ。自分の心の内をさらけ出せる相手を。弱い自分を受け入れてくれる相手を。でも、過去の経験から『友達』という関係を信用できなくなっていて、さらけ出しても拒絶されるのが怖くて、誰にも言えなかった。安心して身を預けるに足る存在に出会えなかった。


 でもそれもついさっきまでのこと。


「あれ……ありがと、な。そんな話、聞かせてくれて。俺、飴宮さんよりはうっすい人生送ってるから気の利いたこと言えないけどさ、これからも、話し相手にならいつでもなるよ。……友達だろ」


 俺は、それじゃ……と小さく呟き席を立とうと腰を浮かせた。すると、飴宮さんが俺のシャツの袖を咄嗟につかんで引き止めた。


「あ、あの……もう少しだけ……お話、しませんか?」


「よしきた」


 それから俺たちは、取りとめのない会話で盛り上がった。好きな漫画の話、目玉焼きにかける調味料の話、来期の深夜アニメの話、電車の中で毎日会うオッさんの話……。整合性も有益な情報も何もない、ただの無駄話である。だが、俺は、俺たちは、こうして無駄な話をしている時間がとても楽しかった。時間も忘れて喋り倒し、気付けば数十分も経っていた。


「あはは……あ、もうこんな時間。ごめんなさい。こんな時間にまで、付き合っていただいて」


「もうじき授業終わるな。顔出さないと。まぁ誰も俺の不在に気付いてないだろうけど、一応」


「私も、そろそろ復帰しますかね。では、教室で会いましょう」


「おう」


 最後に挨拶を交わして保健室を出て、ドアを閉めた。すると、なぜか壁にもたれて腕組みをしている保健室の先生と目が合った。先生は俺を見てにやりと笑う。


「あの子、2年生になってから保健室ここに来る回数がめっきり減ったと思ったら、そういうことだったのね」


「盗み聞きすか……いるなら堂々と入ってくりゃいいじゃないすか」


「入れるもんかい、あんな楽しそうに笑われてさ」


 先生は舌を出して、保健室に入っていった。さて、俺も早く帰ろう。いつもの席で、隣の席の飴宮さんといろんな話をしなきゃならないからな。


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