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第41話「錯綜」

 

「おはよ」


 計算通り始業のチャイムが鳴るちょうど1分前に着席した俺は、普段通り自席で読書をしている隣の席の飴宮さんに軽く挨拶した。


「おはよう、ございます」


 飴宮さんは本から顔を上げて俺に応えた。いつぞや俺が提案した、長い前髪で右眼だけを隠した鬼太郎ヘアに、後ろでひとつに結んだ髪は肩にかけている。いつもの飴宮さんだ。


「今日はそれ何読んでるの? 東野圭吾の――」


「『パラレルワールド・ラブストーリー』です」


「前に映画化されたやつだっけ」


「そうですね。たまには、恋愛ものにも挑戦、しようかな、と」


「ふーん。で――昨日は何で学校休んだんだ?」


 言った瞬間、やらかしたと思った。飴宮さんの顔から表情が消えたからだ。その顔と雰囲気には既視感がある……自分の領域に土足で上がりこんだ人間に対する、心の内から湧き出てくる嫌悪感。卓球の件では俺がそれを嫌いながらも、今は彼女に全く同じことをしていた。迂闊だった。最近、距離感が近かったから忘れていたんだ。今まで俺が何気なく歩いてきた道は、地雷源だらけの戦場だってことを。


 俺の失言に、飴宮さんは俺から眼を逸らし、本に視線を落とした。


「……おなか痛かったんです」


 飴宮さんはボソリと答えた。視線と一緒に声のトーンもいくぶん落ち、これ以上の会話は望まないといった感じだった。確信はないが、なんとなく……嘘っぽかった。友人を疑うなどあるまじき行為だが、そう思わずにはいられなかった。


「あったかくして寝ろよ……中間試験近いんだから」


「……すみません、色々」


 中身の無い社交辞令を言うと、飴宮さんは本に向けて謝ってきた。いわれのない謝罪を受け取る気はない。軽いため息で返事をすると、飴宮さんの小さな背中が、ふにゃぁ……と丸まって更に縮んだ気がした。気のせいかも知れないし、知ったこっちゃない。


「……」


「……」


「…………」


「…………」


 ……なんだなんだ、このギクシャクした空気は。そりゃ、俺も飴宮さんも饒舌な方じゃないけど、流れる沈黙はやけに重々しい。同じ空間にいるはずなのに、教室の能天気な騒がしさが遠く感じる。気まずい。なるべくこの場から動かないで、衣擦れの音ひとつ立てずに息を潜めていたい。


「……」


 だがそうするとこの空気に屈した気がして癪なので、俺はいつも通りガサガサと鞄を漁り、先週買ったラノベを取り出した。正直もう最後まで読んでしまったのだが、この空気をやり過ごすには他に方法がない。あたかも栞でも挟んでたかのように適当なページを開き、視線を本に落としながら考えた。


「……」


 ……最後に飴宮さんと喋ったのは、確か日曜日。コメダ珈琲店で自習してたら、逸部と一緒に来たんだっけ。そのときは普通だったけどなぁ……。でも、その翌日、ってか昨日飴宮さんは学校休んだから、俺が何かしたとしたらコメダ珈琲店しかない。


 えぇ……原因は何だ? チェリーか? チェリーがいけなかったのか? 人前でレロレロはまずかったか、クソッ。双葉にも注意されてたけど、人の注意は聞いておくべきだな……。


「……」


 冗談はさておき、マジで心当たりが無い。飴宮さんを傷つけたどころか爆笑させた記憶しかないんだが……。本当に腹痛で学校休んだのかな。だったらこのギクシャクした空気は何だ? 腹痛の原因と何か関係があるのか? 興味本位でそこらへんの草を食べてみたとか? 匂い付き消しゴムを食べてみたとか? 賞味期限が2年前に切れたお菓子を食べてみたとか? いやそれ全部俺じゃねぇか。何してんだよ俺。


 それとも俺には分からない何か特有の……と、思考があらぬ方向に向かいそうなので俺は考えるのをやめた。


「惚れた女を親友と取り合ううちに、いつしか友情は殺意に変わる……」


「――!」


 ラノベから眼を離さずに独り言のようにボソリと呟くと、飴宮さんはピクリと肩を震わせて本から顔を上げた。食い入るように俺を見つめる、大きく見開かれた物言わぬ左眼。今まで見たこともないような鋭い眼光で、俺の心の中を透かして見ようとしているようだった。


 独り言の解説をしないといけない気がしたから、俺は視線を本から飴宮さんに移した。……思いっきり眼が合ってしまったので、適当にずらす。


「パラレルワールド・ラブストーリーのあらすじ。……あれ、違ったっけ?」


「……なんで、そういうの言っちゃうんですか。まだ読んでる人の前で」


 飴宮さんは固まった表情を崩して、困ったように苦笑した。


「あ、あぁ……悪い。知ってると思ってた」


「いえいえ。聞けてよかったです」


「はぁ?」


 支離滅裂な返答に思わず間抜けな声を出した俺をよそに、飴宮さんはパタリと本を閉じた。相変わらず何を考えているかは分からないが、とりあえず怒ってはいないという事だけは、態度の変わり方からなんとなく分かった。


「……」


 何で読むのやめたんだ――と気にはなったが、その疑問は飲み込んだ。流石にそこまで馬鹿に生まれた覚えはない。飴宮さんがどうしようと彼女の勝手だし、いちいち行動に理由なんか求めても仕方ない。


「何で読むのやめたんだ……って、聞きたそうな顔、してますね。――私、嫌いなんです。その手のストーリー」


「……」


 俺の疑問に答えるように飴宮さんは告白し、口元を歪めて微笑した。


「友情だなんだと言っておきながら、恋愛という動物的な本能の前ではその関係すら忘れ去って1匹の飢えた獣と化し、己の欲求を満たすためだけに、かつては友と呼んだ目障りな敵を噛み殺す……醜くないですか? 人間じゃないですよ、そんなの」


「……」


 軽く流せばいいのか、重く受け止めないといけないのか区別が付かなかったので、俺は彼女にポケットティッシュを差し出した。


「涙、拭けよ」


 なぜだか、彼女の両頰には涙が伝っていた。飴宮さんはシャツの袖口で目元を拭って、俺のティッシュを受け取った。


「ぐすっ……ごめんなさい……花粉症がひどくて……」


「……」


「ふふ……何言ってんのか、わけ分かんないですね……」


 聞くに堪えない苦しい自分の言い訳に、飴宮さんは自虐的に笑った。俺なんかに気を使って、泣きながら無理して笑っている彼女をこれ以上見たくはなかった。


「もういいから……あんま喋るな」


「では……保健室にいる、と先生に言っておいてください」


「はいよ」


 飴宮さんを直視出来なかったのでラノベに視線を落としながら返事をすると、飴宮さんは無言で一礼して教室を出ていった。主人を失った机には、砕け散った涙と、『パラレルワールド・ラブストーリー』がポツンと置かれていた。


 勝手を承知で俺はそれを手に取る。透明なカバーがかかっていて、背表紙には学校図書館のラベルが貼ってあった。そういえば彼女、図書委員だったっけ。


 ――惚れた女を親友と取り合ううちに、いつしか友情は殺意に変わる。


 飴宮さんが異様な反応を見せた俺のさっきの発言を、ポツリと脳内で反芻する。俺の知らない飴宮さんの過去に何があったのか、この一文を考察すれば、何か掴めるかもしれない。だが――


 これは俺が踏み込んでいい領域なのか。


 透明な水面に血が一滴垂れて、波紋と共に血の赤黒い色がゆらゆらと拡がっていくような映像が脳裏に浮かび、軽く眩暈めまいがした。


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