第40話「勘定」
俺を思いっきり無視して、逸部は近くの店員にオーダーを済ませた。……割り勘か。割り勘なのかな。俺はコーヒー一杯しか飲んでいないのに割り勘なのだろうか。
「孤羽っていつもこの店来るの?」
注文を済ませて一仕事終えた風の逸部は、爪の状態を確認しながら俺に話しかけてきた。超どうでもよさそう。
「たま〜にだよ……それがどうした」
「いや、次友達と行く時はこの店やめようかなーと」
「あぁそれでいんじゃね」
「そこは突っ込んでよ! ガチの悪口みたいになってんじゃん」
「相手するの疲れた。ファンサービス終了」
いかにも面倒くさそうにはぁーっと溜め息を吐くと、逸部は憮然とした表情を浮かべる。
「孤羽のくせに生意気な。いいから黙ってイジられてなさいよ。アンタに拒否権無いんだから……いや、ほ、ほんとに嫌なら、もうやらないけど……」
「前後で発言内容変わりすぎだろ。二重人格か」
「は?」
「あ?」
俺は逸部とメンチを切り合う。逸部の不器用な気遣いというか優しさめいた発言を真面目に処理するのが照れくさかったので茶化してしまった。変な優しさはいらない。調子狂っちゃうだろ。
「ところで、お前のテストの点数がどうなろうと知ったことじゃないが、勉強しないのか?」
狂いかけた調子を戻そうと話題を変えた。いつまでも喋ってないでさっさと勉強しろよ……さっきから会話してる俺たちをひたすら無視して写経の如く英語の課題をこなしている飴宮さんを見習えよな。
「勉強……? あぁそうそう、勉強しに来たんだった。孤羽、数学教えて」
「……どこが分からない?」
「えー……全部」
「なめてんのか。まず分からない所を分かれ。そしてそれをググれ。人に聞くのはその後だ」
勉強を教えてくれる友達はいないし、先生にわざわざ質問しに行くのも面倒くさい。人に聞くという選択肢が無いぼっちの俺が編み出したぼっち式勉強術。つっても別にそんな大層なものじゃない。一言で言うとググれカスだ。
「数学……私も、教えてもらっていいですか?」
すると、飴宮さんもおずおずと手を挙げた。そうだった、彼女も数学が苦手だった。
「どした」
「ベクトルが、全体的によく分からないです、先生」
「紙面上の主人公を移動させるコマンドみたいなもんだ。ベクトルの『大きさ』と『成分表示』の違いさえちゃんと区別出来れば、びっくりするほど簡単」
「むむ……適当に授業受けてるように見えて、私よりも頭良い、です」
「なんか腹立つよねー」
「そんなんじゃない。当たり前のことを適当に言ってるだけだ」
「……私は、当たり前すら理解出来てないんですもんね……」
「うっわーやな感じ。あーちゃんかわいそー」
「おい。さっきから外野がやかましいぞ」
ちらっと逸部の方を見て牽制すると、逸部はすねた子供の様にぷいっとそっぽを向いた。
「だって、あたしの質問は適当にあしらうんだもん」
「あれは質問とは言わん。丸投げだ。……てか、数学なんてどうでもいいから化学勉強したいんだけど。赤点の危機」
「……ふっふっふ」
「なに急に笑ってんだよ、気持ち悪い」
「孤羽って化学苦手なんだぁ。この極秘資料は誰にも見せちゃいけないやつなんだけどなぁ、孤羽が化学苦手ならしょーがないなぁ」
逸部はにやにやと笑い、リュックから1枚のクリアファイルを取り出した。
「な……何だ、そのクリアファイルに挟まっている、見たことのない化学のプリントは」
「ふっふっふ、あんまり大きい声では言えないけど、化学の先生からこっそり貰った『これさえ覚えれば大丈夫リスト』!」
「おま……」
声でけぇよ、他のお客さんもいるだろ……じゃなくて、なんでお前だけそんな特別待遇を……そのプリントは一般配布されていないぞ。ま、まさかお前……。
「ちょっ、なに想像してんの? きっしょ。いやそんなんじゃないから」
「まだ何も言ってないが」
あらぬ誤解を引き気味にツッコむと、逸部は顔をぼっと赤くして俺の顔を指差した。
「表情でなんとなく分かるわ! このバカ! あたしが化学の成績底辺なの知ってて、先生がくれたの!」
「俺はなんも貰ってないけど。多分お前より化学ゴミカスだぞ」
「それはアンタ……あの……授業態度?」
「ちょくちょく遅刻するやつがよく言うぜ。あーあ、嫌なこと聞いちゃった。あの化学のオヤジ、女子には激甘なのかよ。やる気なくすわー」
驚愕の真実に果てしなくやる気を削がれていると、ちょうど店員が飲み物とシロノワールを持ってきた。
「わあっ。シロノワール、すごいです」
「でしょ? ちょっとその顔のまま待ってて、あーちゃんとシロノワールのツーショット撮ってあげる」
シロノワールにはしゃぐ女子2人。クリームパンでそこまでテンション上がるとか人生楽しそうでいいな。……いや、別に羨ましくなんか思ってねぇし。些細な出来事を楽しめる心が欲しいとか願ったこと1回もねぇし。
無邪気なあーちゃんかわいーとかやめてくださいーとかきゃっきゃしてるおふたりさんを横目に、テーブルに無造作に置かれた逸部の極秘資料を手元に引き寄せた。テスト問題を意識した用語暗記、授業内で実施した実験の結果の値の算出式、実戦形式の計算問題など、これではテスト問題を垂れ流しているようなものだ。逸部はこっそりくれたと言うが、もしこんな代物がリークしたら成績底辺男子どもは大荒れだな。
「はい、これ孤羽のぶん」
逸部は、切り分けられたシロノワールのひとかけらを乗せた皿を俺の手元に置いた。哀れシロノワールくんは8等分されていた。あぁ……あらかじめ切っておくのね。
「3切れ食べる権利はおふたりさんにやるよ」
「おー、ありがと。孤羽ならそう言うと思って切るの楽な8等分にしたんだ。てか極秘資料返せ」
逸部は俺の手からクリアファイルを奪い取った。俺は、こんな奴に自分の行動を読まれたショックでそれどころではない。
「な……何でもいいけどそのプリントの存在、不用意に人に教えない方が身のためだぞ……あと、逸部、その皿の端に落ちてるチェリー、食べないのか? がっつくようだが好物なんだ……くれないか?」
「……ふっ」
俺がチェリーを指差すと、勘のいい飴宮さんは小さく吹き出した。声にこそ出さないが、ずっとニヤニヤしながら俺を見つめて、何かを期待している。
「あたしは別に。あーちゃんもいらない? じゃあげる」
「サンキュー」
俺はチェリーを舌に乗せ、口を半開きにしたままひたすらチェリーを舌の上で転がせ、レロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロ……と表面を舐め回した。俺の唐突な異常行動に、逸部の顔がさあっと青ざめる。
「うわ、えぇ、きっしょ! 孤羽アンタ、ちょっ、やばいって!」
「あはははははっ!」
「えぇ、あーちゃん何でそんな笑ってんの⁉︎ 怖っ! 意味分かんなっ!」
ただひとりだけ取り残された逸部は、突然チェリーをレロレロし出した頭のおかしい俺と、めちゃくちゃ爆笑する飴宮さんにドン引きしていた。まぁ、花京院典明ネタを知らない人から見たらただの変態にしか見えないよな……飴宮さんにはこの手のネタが通じるから面白い。
思えば、今まで飴宮さんが爆笑する姿は見たことがなかった。慎ましい性格の彼女が見せるのは、大抵微笑か苦笑だ。初めて飴宮さんの爆笑をさらえて嬉しかったから、俺はもうちょっとだけ頑張ることにする。
「おっ、見ろ逸部。フラミンゴが飛んだぞ」
「あっはははははははははっ!」
「……」
ふたりでジョジョネタで大盛り上がりしていると、逸部は青ざめた顔で俺たちを見ていた。
「おい、なんだその可哀想なものを見る目は」
「それが普通の反応です……やれやれです」
こんな調子で勉強などはかどるはずもなく、結局休日と金を費やして無駄な時間を過ごしただけだった。まぁ……コメダ行ったおかげで逸部の極秘資料の写真撮らせてもらったし、飴宮さんも笑わせられたから、まぁいっか……と、辛うじてプラスを見出してマイナスを清算する俺だった。
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